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民主主義社会の「現実」と「理想」⑤

2020年03月01日 | 政治・経済
中断していました“民主主義社会の「現実」と「理想」”のシリーズを再開させていただきます。

(マスコミ型民主主義の問題点)
ただ、もう一方で、「言論機関の持つ権力が非常に大きくなっているにもかかわらず、その責任問題が十分には解決されないでいる」という問題があります。

例えば、言論機関における、個別の不法行為については立件できるかもしれません。「個別にやったことが、ある人の名誉(めいよ)を傷つけた」とか、「間違った報道によって会社が大きな損失を被(こうむ)った」とか、そういう個別のものについての救済は、法律的にも、裁判においても成り立つわけです。

しかし、マスコミが全体として、イナゴの大群のように動き始めた場合には、もはや、どうにもなりません。

それについて、法律による救済、あるいは、裁判による救済を求めても、この世的には時間がかかりすぎてしまいます。数年、あるいは、十年、二十年かかることは当たり前の事態であるため、毎日毎日、刻一刻、情報を流し続けるような機関に対しては、少なくとも時間速度から見て、対抗の余地がほとんどないのです。

最近では、個人に対する名誉毀損(きそん)についても、賠償(ばいしょう)額が上がりつつはありますが、従来は、百万円を超えることはなかなかなく、「賠償金が十万円でも二十万円でもいいから、とにかく、どちらが有利かを明らかにすれば、気分を晴らさせる」という程度の結果に終わっていました。

そのため、裁判手続きに伴う弁護士費用、その他を考えると、裁判を起こすことは、あまり有利ではない状況が長く続いていたのです。

これは、つまり、消極的司法主義なのかもしれません。「裁判で争えば、どちらにしても損だ」ということになると、結局、「お互いに、そういうことはしない」というような、訴訟(そしょう)の少ない社会になるわけです。

しかし、これには別の意味で、隠(かく)れた犯罪を誘発(ゆうはつ)したり、あるいは、非合法な社会や闇(やみ)社会の力を増したりする“効果”もあります。

要するに、「暴力団、ヤクザ、あるいは、それに類した人による、非合法な脅(おど)しや暴力等で解決してしまう」ということもないわけではありません。司法による救済が十分でなければ、そういうことがありえるのです。

そういう意味では、戦後、マスコミ型の民主主義が、かなり重視され、称揚(しょうよう:ほめ上げる)されたのですが、現代社会においては非常に問題が多くなり、人権の値打ちが高い国家ほど、大きな問題になりつつあります。

例えば、アメリカのような国では、名誉棄損であっても、人によっては十億円や数十億円の賠償金が認められることもあるわけです。

---owari---
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