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“平和ボケ”で自らを危地に追い込んだ日本

2017年11月27日 | 政治・経済

私たちは日本で、七十年間の“平和ボケ”のなかを生きているわけですが、やはり、この世の中を地獄の再現にしないように努力する必要はあると思うのです。

 

韓国では、文在寅氏が「対北融和策」や「反日強化」等を掲げて新大統領に当選しました。

彼は、かつての恩師である廬武鉉大統領のように、北に対しては「太陽政策」風に出ようとして、「対話する」などと言っていました。

 

しかし、その四日後に、北側がミサイルを撃ってきたところを見ると、「核・ミサイル開発は続ける」ということを意思表示したのでしょう。「対話したければ北の軍門に下れ」という意思表示にも取れるかと考えられます。

 

こうした中において、日本は非常に動きが遅く、また、細かい言葉尻を捉えての応酬ばかりを延々と繰り返しています。

 

どうか、われわれが、自分たちの心を見つめて、平静な心で生きていけるような時代を維持するためにも、そうした立場に立っている方々、あるいは研究している方々、専門にしている方々は、この国家に住む人々の生命・安全・財産・領土・領空・領海等を護れるように、もう一段、真摯な努力をしてほしいものです。

 

「対話をする」と言われると、“平和”のような気がするのですが、それは相手によります。それがどういう相手であるかによって、対話が成り立つか、成り立たないかということを考えたほうがよいでしょう。

 

例えば、「個人が、自分の知り合いと意見が合わず、権利関係について、話し合いを続ける」という場合や、「対等な会社同士で交渉をする」という場合は分かります。

 

しかし、みなさん一個人が、某指定暴力団員と対話を続けるなどということは、不可能な話です。それは、何か強制力を持っていないかぎり、絶対に不可能なことです。指定暴力団のような人の“刀狩り”をするのであれば、やはり、県警本部ぐらいは動いてくれないと、どうしようもないというのが現実です。

 

したがって、相手が北朝鮮のように高度なミサイルを開発しているところであるならば、やはり、それに対応できるような国も含めて、真剣なかたちで話をしてもらわないと、もう、どうにもならないところまで来ています。

 

このまま放置し続けた結果、平和ボケの日本は、もはや、“安楽死”を待つしかない状態にまで来ているのではないでしょうか。自分たちでは何もできない状態になりつつあります。

 

---owari---

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