政治家や大きな会社の経営者などにとっては、「率直であることは邪魔になるのではないか」というように見えることもあるでしょう。しかし、長い目で見て、多くの人たちに信じられるためには、やはり、率直でなければいけないのではないかと思うのです。
永田町のようなところには、「タヌキ・キツネ学」と呼んでいるものがありますが、中国には、伝統的に「*厚黒学(こうこくがく)」というものがあります。
*中国の成功哲学の一つ。「歴史を動かそうとする人物は厚顔無恥(厚黒)であれ」という逆説的な主張の下、「厚かましく、かつ、腹黒く生きる」ことを勧める。著者は清末民初の学者である李宗吾。
「厚黒」というのは、「面の皮が厚く、心が石炭の如く黒い」ということです。「厚黒学」では、要するに、「大政治家、歴史上の英雄というのは、だいたい、面の皮が厚くて心が真っ黒だ」というように説いているわけです。中国の指導者はみな、それを読んでいるので、現実にそのようにやっています。
例えば、面の皮について、「厚きこと城壁の如し」と書かれています。これは、すごいことです。「城壁の如き厚さ」というのは、どのくらいの厚さでしょうか。また、心の色については、「黒きこと石炭の如し」と述べています。
「心が石炭の如く黒い」というのです。「たいてい、この二つの条件を満たしたら大英雄になっている」といって、その例が幾つか挙げられているのですが、あえて本文では取り上げません。
これに比べて、日本の明治維新のころからの英雄には、確かに面の皮が厚い人はいたかもしれませんが、「心が真っ黒」という人は、わりあい少なかったのではないかと思います。
例えば、吉田松陰の場合、カエルのように顔に水をかけられても平気だったかもしれませんが、面の皮が厚かったわけではないでしょう。また、心が黒いなどということは、決してないと思います。まったくの正直、真っ正直です。
坂本龍馬も同じで、個人的な欲など、まったくありません。大政奉還を実現したあと、龍馬の提案した新政府のメンバーに自分の名前がなかったというのですから、それはすごいことだと思います。「なんで、おまえの名前がないんだ」と周りの人が訊くと、「俺は、政府が新しくなったら、世界の海援隊(商社)でもつくってみようかと思っている」という感じのことを言っていたようなので、まったく私心がなかったのでしょう。
日本には、こうした英雄が数多く出ています。私は、この伝統は穢してはいけないと思うのです。
ところが、現在、永田町では、中国的な「面の皮が厚くて心が真っ黒であれば、大英雄になれる」というような思想が通用しています。永田町で偉くなっている人を見てください。だいたい、面の皮は厚く、心は真っ黒です。そして、国会答弁でうまく嘘をついて切り抜けた人、野党、あるいはマスコミの攻撃に長く耐えられた人だけが、生き残って大臣になり、宰相になっています。
しかし、これは考え直したほうがよいでしょう。「嘘をつくのがうまくないと政治家になれない」とか、「心にもないことを言える人種でなければ政治家になれない」とかいうのは、おかしなことです。
やはり、正しいことを「正しい」と言い切って国民を導く人が、真のリーダーでなければいけません。また、国民も、それが分からないほど愚かであってはいけないのではないかと思います。
---owari---
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