1945(昭和20)年、太平洋戦争に敗れた日本は、母国語を失いかねない危機に見舞われた。
戦争中、玉砕するまで戦い抜いた日本人を見たアメリカ人は、「日本人は間違った情報を伝えられていて、正しい情報を得ていないに違いない。なぜなら、新聞などがあのように難しい漢字を使って書いてある。あれが民衆に読めるはずはない。事実を知らないから、あんな死に物狂いの戦い方をするのだ。
だから、日本に民主主義を行き渡らせるには、情報をきちんと与えなければいけない。そのためには漢字という悪魔の文字を使わせておいてはいけない」と考えた。<『日本語の教室』(大野晋 岩波新書)より>
日本語の改革を初めに提起したのは、GHQの民間情報教育局(CIE)のキング・ホール少佐だった。彼は、「漢字はエリートと大衆の調整弁であり、漢字の持つ特異性によって情報はコントロールされ、民主主義は広がらない」と考えていた。
朝日新聞社などの新聞社も「漢字を廃止してローマ字に」と唱えた。当時の新聞は活版印刷で、かなや漢字の活字をひとつずつ埋め込んでいく作業量が多く、コスト削減のために少ない数で済むアルファベットを採用したかったからだ。
また、戦前から存在した日本語をかな文字やローマ字にしようと考える勢力もこの動きに呼応し、日本語は危機を迎えた。「フランス語を日本の公用語にせよ」という暴論まで日本人作家からとびだした。
1946(昭和21)年3月、マッカーサーの要請により、アメリカ教育使節団が来日した。
使節団はアメリカの教育制度の専門家27人だったが、日本の歴史文化に精通していたわけではなかった。25日間ほど日本を視察し、報告書で「日本語は漢字やかなを使わず、ローマ字にせよ」と勧告した。「ローマ字による表記は、識字率を高めるので、民主主義を増進できる」というのが、彼らの考えだった。
そして正確な識字率調査のため民間情報教育局は国字ローマ字論者の言語学者である柴田武(東大助教授)に全国的な調査を指示した。
1948年8月、CIEは「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、日本人がどれくらい漢字の読み書きができるか調査した。調査地点は270ヶ所の全国の市町村で、配給台帳を元に無作為に選ばれた15歳~64歳の17,100人が調査対象になった。調査対象となれば、炭焼きのお婆さんでもジープで連れ出して日本語のテストをさせたという。
どのような問題が出たのでしょうか。
【次の空欄を埋めなさい】
➀たいしょう にねん はちがつ にじゅうはち にち
大正2年8月( )日
②調査するの意味を選びなさい。
・手紙を出す
・かんがえる
・役場に行く
・しらべる
・巡査が來る
③次のひらがなを漢字に直せ。
【りれきしょ】
など等、様々な漢字の問題が出されたのでした。
調査の結果、テストの平均点は78.3点で、日本人は97.9%という高い識字率を誇っていることが判明したのです。テストで満点を取った者は4.4%で、ケアレスミスで間違えたのではないかという者で満点と認めてもよいという者が1.8%いた。合計すると6.2%(1,060人)が満点という好成績だった。
CIEはこの結果に驚き、日本の教育水準の高さに感嘆し、「日本人の識字率の高さが証明された」との判断が大勢を占めた。
読み書き能力調査委員会のCIEの担当者であったジョン・ペルゼルはテスト後に、柴田を呼び出し、「識字率が低い結果でないと困る」と遠回しに言われたが、柴田は「結果は曲げられない」と突っぱねた。
CIEの教育・宗教課長だったハロルド・ヘンダーソンは日本の禅や詩歌を愛する知日家で、ローマ字化推進論者のホール少佐の意見を抑えた。ホールがヘンダーソンの後継者として課長になると見られていたが、他のポストに移され、日本語のローマ字化の企みは潰えた。
「アメリカ教育使節団報告書」は、教育勅語の廃止、六三制義務教育、PTA導入、教員組合の組織の自由などを勧告した。
戦後の日本の教育はこの勧告に基づいて行なわれたが、唯一、実現されなかったのが「日本語のローマ字化」だった。
日本人の圧倒的な識字率の高さが、日本語の存続を守ったのです。
---owari---
明治新政府の時と、GHQの時と2回危機がありましたが、今また3度目の危機ではないかと思えます。
小学生から英語の授業、いいとは思えません。
コメント有難うございます。
日本語消滅の危機、よくご存じですね。
世界の人々は、いま日本語を学びたいと熱心なのに、
本元の日本が小学生から英語を習うとは、腑に落ちないですね。
しっかりとした日本語を教える方が先だと思います。