優しさとは何であるかというと、生きていて幸せだ、と多くの人に思ってもらうことです。
優しさの価値というものは、人間が仏の子であることを示すための、何よりの証左なのです。
優しさは、他人に対するいたわりです。他人に対するねぎらいです。相手の立場に立って考える心です。そう、「すべての人が、よかれ」と思う心なのです。
優しさの根本には、愛があります。愛は自我に根ざしていません。愛は、自分というものを離れて、自分の周りにあるものを生かしていこうとする力です。
愛はちょうど、あの太陽の光のようなものです。
太陽は無所得のまま、植物や動物に光を与え、彼らを育んでいます。
「愛とは光のようなものだ」と思ってください。よきものを、温度を、熱を、光を与えつづけること、それが愛なのです。
優しさとは、「弱々しい」「めめしい」ということではありません。優しさとは、逆に人間を強くしていくものです。それを忘れてはなりません。
強き男性であるからこそ、優しさが溢れてくるのです。強くなければ、真に優しい男性とはなれません。その強さとは、責任感に裏打ちされたものでしょう。
また、真に優しき女性とは、勇気ある女性でもあります。
夫がいかなる苦難・困難のなかにあっても、それを支え、励まし、偉業をなさしめるのは、妻の力です。ここで要求されるのは勇気なのです。
勇気ある女性こそが、また優しいのです。
優しい言葉、優しい振る舞い、優しい心情、優しい表情――。
優しさとは大切な美徳であり、最も大切な思いです。優しさとは、愛の具体化そのものなのです。
そして、そのことを通して、優しい人々が、この地に満ちますように。(仏法真理)
「優」という漢字の成り立ちは、「人」+「優」の形声文字で、「うれえる(よくないことになるのではないかと心配する)」の意味)から、他人を思いやる気持ちを持った人、すなわち、「やさしい」を意味します。
私たちは、心に優しさを持つということが、どれほど大事であるかということを知らないままに生きることがあります。
私たちが、天界にいる間、人に対する優しい気持ちがあり、人に対する祝福の気持ちがあり、また欲望を強くせず、足ることを知る心を持っていたでしょう。あるいは、共に相和し、共に協力し合い、共に生かし合う姿もあったでしょう。
決して、自分一人が幸福になろうとする心ではなく、また我欲をつっぱるのでもない、そういう姿があったでしょう。限りなく透明感に溢れ、限りなく優しい、限りなくあたたかい、そうした気持ちがあったでしょう。そのような世界こそが天国なのです。
そのことを思い起こしながら、この地上で過ごすことが、また大切なことなのです。
---owari---
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