徳川家康といえば″タヌキおやじ″といわれ、その人事管理も″分断支配″で、互いに反目させて両方がクタクタになるような使い方をするので有名だった。
家康自身、
「部下は水と同じだ。よく舟を浮かべるが、またよく舟をひっくり返す」
と言った。舟というのは自分のことだろう。部下にすればこうはっきりと「部下不信」の態度を示されたのではオチオチしていられない。勤めぶりは皆極度の緊張感で貫かれていた。
家康が京都の二条城に行ったときのことである。かれを田舎大名出身の天下人とみる京都の知識人が、かれの政治を批判する文を書いて城の前に貼った。大騒ぎになった。門番が重役の所に持ってきた。
重役たちは額を集めて相談した。
家康は重役に対しても普段こういうことを言っていた。
「主人を諌言(かんげん)するのは、戦場の一番槍より難しいぞ」
聞きようによっては、
「おれに妙な諌言をするとトバすぞ」
という意味に聞こえる。
そこで重役たちは協議の結果、「握りつぶそう」ということに決めた。ところが貼紙は翌日も出た。次の日も出た。そしてある日、外出した家康が、
「あれは何だ?」
と聞いた。進退きわまって重役たちは、
「実はコレコレでございます」
と報告した。
そして、
「現在、犯人を厳重に探索中でございますので、なにとぞおゆるしを願います」
と言った。すると、家康は、「犯人を探索中だと?」と目を剥(む)いた。
「はい」
「やめろ」
「は?」
「これは京の人間の正直な気持ちだ。放っておけ。ついでにわしの名で明日は何を書いてくるか、楽しみにしている、という高札を出しておけ」と笑った。重役はそのとおりにした。高札が立てられてしばらくたつと、その高札にこんな貼紙がしてあった。
「おまえには負けた、タヌキおやじめ」
そして以降、貼紙はプッツリなくなった。
(『歴史小説より』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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