このゆびと~まれ!

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家康のエピソード、組織統制はあくまでも秩序を保つこと

2020年11月17日 | 歴史
こんな話がある。
関ケ原の合戦だったか、大坂の陣のときだかの話である。家康は、全大名に命令した。
「今度の戦いは、この徳川家康の存亡を賭けた戦いである。各大名家においては、それぞれの部下が、あなた方に尽くすのではなく、この家康に尽くすのだということをよく徹底して奮闘していただきたい」

大名たちは、いろいろな反応を示した。
「天下人になったからといって、おれの部下を自分の部下のように考えるとはとんでもない人物だ」
「そこまで思い込んでいる徳川殿はりっぱだ。部下にもよく伝えよう」
「どの大名が、どんな反応を起こすかよく見極めたうえで、おれの行動を決めよう」
つまり、家康の命令を批判する者、感心する者、日和(ひより)みる者などに分かれた。

ある若い大名が、家康のこの言葉に感動した。自分の陣に戻ると、家康の言葉をそのまま伝えた。そして、「今度の合戦では、徳川家康公のために戦うのだということをよく認識して、みんながんばってほしい。なんでも思いきってやれ」と命じた。部下たちは心を奮い立て、いっせいに「オー!」と叫んだ。

合戦が始まった。乱戦になった。その若い大名のまわりには、大名を守るための親衛隊がいたが、戦場が混乱状態になったので、異常に興奮してしまった。やがて、大名の脇にいた親衛隊も、一人二人とどんどん合戦の現場に飛び込んでいった。大名のまわりにはだれもいなくなってしまった。

大名は不安になった。しかし、さっき家康の命令をそのまま伝えて、「おれのことなどどうでもいいから、思いきって戦え」といった手前、もうどうすることもできない。まさか、一所懸命戦っている部下たちに対して、「おれの身が危ないから、戻ってこい」とはいえない。

が、こんなことが起こった。
その主人の部下で、敵の大将級の首を取った者がいた。首を取った武士は、大名のところへ戻らず、直接徳川家康のところへ走った。そして、「私は何々という大名の部下でございますが、ただいま、敵将の首を取りました。まず、あなた様に見ていただきたいと存じ、駆けつけました」と報告した。

家康は、首にチラリと視線を向けたが、こう聞いた。
「おまえが敵と戦っている間、おまえの主人は何をしていたのだ?」
そう聞かれるとその武士は見当がつかなくなった。
「さあ」と答えた。家康は聞き咎(とが)めた。
「さあ、とはなんだ?」
武士は答えた。
「敵との戦いに夢中になっておりましたので、主人が何をしているかはわかりませんでした」

「さっき、おまえは主人の旗本だといったな?」
「はい」
「旗本というのは、たとえどんなことがあっても、最後まで主人を守るのが役目だ。その旗本がなぜ主人のもとを離れたのだ?」

「このたびの戦いは、主人のためよりもむしろ徳川様のための戦いなのだから、思いきって戦えと主人がいいましたので」
「そうか……」
家康はうなずいた。そしてその武士に、「陣へ戻れ。そして主人に私のところへ来るようにいえ」といった。

せっかく敵の大将級の首を取ったのに、あまり褒めてもくれない家康に不満の気持ちを持ちながら、その武士は陣に戻った。そして家康の伝言を伝えた。
家康のところにやって来た若い大名は、部下から報告を聞いて、その部下の功績を褒(ほ)めてくれるのだろうと思った。そこで、「先程お伺いしました部下は、私の秘蔵っ子でございます」と自慢した。家康は苦虫をかみつぶしたような顔になった。

「あなたは心得違いをしている」
「はあ?」
その大名は、けげんな表情になって家康を見返した。家康が意外に不機嫌なので、心配になってきた。

家康はいった。
「私がいかに思いきって戦えといっても、それには限度があるのだ。私もあなたも組織のうえに乗って仕事をしている。組織の秩序は重んじなければならない。思いきってやれ、いうのは、言葉の綾(あや)で、組織人には組織人のケジメがなければならない。トップがいきなり現場の兵に向かって、なんでも思いきってやれ、責任を取るなどというのは無責任だ。そんなことをいったら、間の中間管理職の立場がなくなってしまう。

私があなた方に思いきってやれといったのは、あなた方を立てて、部下に奮闘努力しろという意味だ。あなた方を飛ばして、この家康に直結しろということではない。まして、立てた手柄を、主人に報告せずに、いきなり私のところに来るような人間は嫌いだ。ああいうさっき来たような者は、すぐクビにしたほうがいい」
「…………!」

若い大名は真っ青になった。家康の言葉がそういう含みのあるものだとは思わなかったからである。若い大名は反省した。そしてつくづく、「徳川家康様という人は、実に恐ろしい方だ」と思った。家康は、あくまでも組織の秩序を重んじた。部下を水とみなす彼には、組織を統制していく唯一の管理方法は、あくまでも秩序を保つ以外にないと考えていたのである。徳川家康の複雑さを示す話だ。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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