山下弘子さんは、癌により余命半年と宣告されてから今もなお、強く生きておられます。
ご自身のブログのタイトルで「今を生きる・人生を楽しめない事ほど残念な事は無い」とおっしゃっています。
山下さんは体調が良いときには自身の講演会に出かけられています。
その講演会の中で、「幸せ」って何ですか?と皆さんと討論されています。
以下は山下さんのブログからの転載です。
「幸せになりたい人~」って言うと、かなりの数の方から手があがります。
そして、「今幸せな人~」と言うと、やはり手がある程度下がります。
また、「どんな時に幸せを感じますか?」の私の質問に対して
・家族とまったり過ごしている時
・美味しいもの食べている時
・ほめられた時、感謝された時
などなど、様々な幸せを感じる時がありますが…
実は皆の幸せを感じるときって、一つ共通点があります。
それは………
それは、すでに得られているものなのだという事。
分かりやすく言うと、幸せは「なる」ものではなく、「感じる」ものだということ。
どんな状態でも、幸せを感じる事ができると私は思います。
幸せか幸せじゃないかって、自分自身にしか感じる事はできないものです。
誰かが自分のかわりに幸せを体験する事はできませんし、不幸を体験する事もできません。
また幸せの感じ方も一瞬で変わったりします。
過去においてこれが幸せだと感じていた物が、次の瞬間には変わっていたり…幸せの感じ方もすぐコロコロ変わります。
例えば天気だったり、気温だったり、ニオイだったり、色彩だったり、それらでもすぐに変わるものです。
幸い、私はどんな状態でもその状態において、幸せを見つけたり、感じれたりする事ができるようになりましたと、綴られていました。
私は山下さんの
「幸せは『なる』ものではなく、『感じる』ものだということ」
「どんな状態でも、幸せを感じる事ができると私は思います」
と言われたことに感銘しました。
以前に、新聞で読んだことがあります。
自分が死にかかった人や、大病を患って手術した人は何気ない風景が輝いて見えるといわれていました。
集中治療室から窓越しに見える紅葉した樹木が、また癌だとわかった後に見た何気ない道端の小石が宝石のように輝いて見えたと書かれていました。
その人たちが見える世界が正しいのか、私たちが見える世界が正しいのかはわかりませんが、山下さんがおっしゃっているように、幸せは「なる」ものではなくて、「感じる」ものなのだと。
そうであれば、いつでも、どんな状態においても、幸せは見つけられるというメッセージを山下さんは伝えておられるのだと思います。
山下さんのご健康を心からお祈りいたします。
---owari---
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