(普遍的なルールとしての善悪を学べば、正しさが見えてくる)
学校で、いじめや犯罪行為などをグループで行っているのを見て、すぐに、「それはおかしい」と意見を言うのは、たいてい、帰国子女や、外国帰りの親を持つ子供です。
また、日本から出たことのない人でも、親がミッション・スクールなどの宗教系の学校を出ていたり、子供自身が宗教的な環境で育てられたりしている場合には、集団でのいじめ行為などを見て「おかしい」と言うことがあります。
しかし、それ以外の人たちは、数の原理のほうを正しいと考え、多数の勢力のほうに巻き込まれていくことが多いのです。
それは、善悪の基準を持っていないからです。仏や神が、「これは正しい。これは間違っている」と教えていることを信じ、その教えに基づいて行動している人には、「ムラ社会における多数がどうであるか」ということは、あまり関係がありません。
そういう人は、「自分が助かりたい」などとは考えず、真理に基づいて行動し、善悪を判定しようとするので、「こういうことは間違っている」「こんな弱い者いじめは間違っている」ということを、はっきりと言えるのです。
私がいろいろと経験したところでは、外国帰りの人は、けっこうビシッと、「それは間違っている」と言います。国際的な生き方をするためには、やはり、何らかの基準、普遍的なルールが必要だからです。そのため、国籍やムラ社会の意識を超えるものとして、宗教的な善悪の部分が出てくるのです。
そういう意味で、これからの日本の学校教育においては、インターナショナルな目を持った、宗教的な善悪を教える教育が必要であると強く感じます。
---owari---
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