マンガ・アニメのシリーズ最終話になります。
日本精神の特徴を整理すればこうなる。
①1400年の歴史で身についたセンスになっている。
②被侵略がないので全員共有。
③共同体の論理もグローバル・スタンダードも両方分かる。
④以上を芸術から産業にまで応用して磨きがかかっている。
これを見て、読者もそれぞれ付け足すものがあれば、どうぞ付け足してほしいと思う。
まず①として、聖徳太子以来1400年の歴史があるから、日本精神は言葉を超えて、日本人のセンスになっている。知識ではなく、もう常識になっているのであって、それをマンガにし、アニメにしていく。だから、世界の人が見てびっくりする。あるいは日本の子供が学校教育にないもの感じて興味を持つ(学校教育が偏っているからである)。
日本人の多くは、自分は毎日楽しく暮らしてきただけだと思っているだろうが、しかし、生い立ちからして知らない間に仏教も、道教も、密教も、神道も、キリスト教も、みんな聞いているはずである。
だからソクラテスを読んでも、カントを読んでも、ゲーテを読んでも、ヘーゲルを読んでも、「昔、そんな話を聞いたな」という気がする。ゲーテはインド・中国の思想に感心してマネしたのだから、ゲーテが分かりやすいというのは当然である。
ともあれ、しかとは覚えていないにしても、そんな話があったなと思う。こういうことを全部総合して「センスになっている」と表現したいのである。
しかも第②番目に、外国の異民族が日本を占領して支配階級になり、民衆に何かを強制した、ということがない。だからいま日本人が持っているものは全部、自分が好きで選んだものばかり。好きで身につけたものばかりである。
しいて言えばキリシタン、バテレンは御法度という時期があったが、それを除けばほかのものは皆、輸入自由。明治以降はキリスト教も自由となった。面白いことに、自由になっても一定以上広がらない。いつまでたってもクリスチャンは100万人のまま。クリスマスになると日本を挙げて祝うが、それを過ぎるとツリーを門松に変えてしまう。社会風俗になっているだけで、信者にはならない。こんなことなら徳川秀忠はあんなに一生懸命禁止しなくてもよかったのである。
以上のように日本人は、ありとあらゆる思想に対して既に免疫を持っている。抵抗力を持っている。恐るべきセンスがある。常識がある。しかも、それは全員が共有している(ただし、高学歴のインテリ気どりの人だけは別)。こんな国は世界中、これほどの大国ではちょっと他に思いつかない。
ということは、日本は日本一国だけで独立の文明圏を形成しているということで、その発信力は文章ではなく、マンガ、アニメ映画、それから工業製品のほうに現れているのである。
そして第③番目に、日本の中で、共同体の論理も分かるし、グローバル・スタンダードもわかる。すでに両方を経験していて、両方その感覚が分かるのが凄いところである。例えば、戦国時代を思い出せば、みんなで争うとはどういうことか、理屈ではなく実感でわかる。しかもしょっちゅう、戦国武将の物語をテレビや小説やマンガで描くから、いつのまにか常識として身についている。
しかも、そのとき発達した武士道があるので、戦い方のルール化が終わっている。争いごとをしても、途方もなく野蛮にはならない。文明化した戦争のやり方を、日本は源平時代から体験しているのであって、これも世界で非常に進んでいる。
日本人の多くは自覚していないが、第④番目に、以上を芸術・産業に応用して磨きをかけるのだから、それは良いものができるはずである。
二十一世紀の世界は“文明が衝突する”時代になるという意見があるが、これは換言すれば、“世界を見るのに国では小さすぎる。地球では大きすぎる。文明別に見れば六つぐらいになるから、それならモデルをつくりやすい”ということである。
では、日本は文明の一つに入るのか、入らないのか。日本精神は中国精神やヨーロッパ精神の分家なのかどうか。この問題について学者、評論家はその答えを探してようやく論争を始めたところだが、マンガ・アニメと産業は、すでにその答えを出していると思う。独立した文明の一つであるのはもちろんのことで、さらにその上を行っていると思う。
このように、日本の底力は実に凄いのである。
天上界の文明実験に日本は見事に応えたのです。
混乱した二十一世紀にその真価を発揮することが、仏神がもっとも喜ばれることだと思うのです。
---owari---
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