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与六時代から情報がもたらされていた ③

2022年08月19日 | 歴史
今回のシリーズは、直江兼続についてお伝えします。
兼続は上杉家の大黒柱で、米沢藩初代藩主 上杉景勝を支えた文武兼備の智将です。
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上杉謙信は情報通だ。今でいえばITの達人だ。諸国の情報が自然に春日山城に流れ込むようなネットワークを各地に張っていた。これは武田信玄も同じだ。戦国を生き抜くには、何といっても情報通でなければならない。情報通であるためには、その情報が自然に流れ込んでくるような装置が必要だ。

上杉謙信の場合、その装置というのは、彼の人柄だった。
「謙信公のためなら」
という、“ためなら”と思う人間が各地にいた。そして不思議なことに、その謙信の側にいる兼続(樋口与六)宛の情報の提供者が次第に増えてきた。

口コミによるのだろうか、
「謙信公の小姓を務める樋口与六という少年は実に賢い。こっちがいったことを正確に謙信公に伝えてくれる」
という噂が立っていた。

このことは、謙信が死んでもかわらない。後を景勝が継ぐが、上杉家に情報をもたらす各地の実力者たちは、揃って伝え先を樋口与六にしてきた。したがって樋口与六が居ながらにして情報を手にすることができたのは、少年時代からの積み重ねによる。

上杉景勝の代になって急に起こった現象ではない。それほど少年時代の樋口与六も諸国に名を高めていたのである。

(『歴史小説浪漫』作家・童門冬二より抜粋)

---owari---
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