(長所と交われば悪人なし)
「世の中を、よりよく生き渡っていこう。自分の人生を、よい方向に導(みちび)いていこう」と考えるならば、基本的には、「他の人の長所やよいところを見る」という性格を強めていくとよいです。
「長所と交(まじ)われば悪人なし」という言葉もありますが、自分の長所を見てくれる人に対しては、たいていの場合、「いい人だ」「友達だ」と思いますし、「付き合いたい」とも思うでしょう。
一方、自分の欠点ばかりをあげつらってくる人に対しては、やはり、煙(けむ)たく感じるでしょう。「本当にそのとおりだ」と思いつつも、その人からは足が遠のいていくものです。
このように、人間関係を良好にし、友人を増やしていくためには、「なるべく相手の長所を見る」という傾向を養うことが大事です。
これは、「自分の人生の方針として、人のよいところをできるだけ見るように努力しよう」と、心のなかできちんと決めたならば、意外に可能なのです。まずは「そうしよう」と思わなければなりません。そして、そう思えば、そのようになっていくのです。
繰(く)り返しますが、努力して相手のよいところを見ていくことです。「この人のなかにも何かよいところや長所があるのではないか」と考え、なるべく、そちらのほうを見てあげることが大切なのです。
ここで、一点、注意してほしいことがあります。
それは、「学校の勉強をしすぎると、頭脳(ずのう)が緻密(ちみつ)になり、細かいことにまで気がつくようになるが、それと同時に、『これは引っ掛け問題ではないか』と考えるような“緻密さ”も身につくため、人の粗(あら)や欠点などがよく見えるようになってくる」ということです。つまり、“頭がよくなる”と、人の欠点がよく見えるようになるのです。ここが一つの魔境(まきょう)です。
もちろん、管理職など、人を指導する立場に立ったときには、人の弱点や悪いところが見えることも必要であり、それがまったく見えないようでは困(こま)ります。やはり、「人の短所も見えてはいるけれども、その人の長所を引き伸ばしていこう」としている人が、よい指導者なのです。
人の欠点や弱点がまったく見えない指導者にも、また、それなりに困るので、そういう指導者であってはいけないわけです。
ただ、頭がよくなることにより、人の弱点や悪いところばかりが見えてきて、とにかく人の粗を探すような傾向が出てくると、人間としては、嫌(きら)われるようになっていきます。これについては、人から言われないと、なかなか気がつかないものです。
特に、若い人の場合には、そういうところがあります。頭脳が緻密になればなるほど、人の欠点や弱点が見えてくるようになり、特に理数系的な頭脳が発達すると、細かな間違いがよく分かるようになります。しかし、そういう人と友情を結ぶのは、なかなか難(むつか)しいのです。
そういう傾向のある人は、「自分にも、間違ったり、失敗したりすることがある。そういうときに、それを許(ゆる)し、受け入れてくれる人がいるのはありがたいものだが、それは他の人にとっても同じなのだ」ということを知らなければならないと思います。
---owari---
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