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「先進国の学問」に潜む一つの問題

2022年09月06日 | 政治・経済
2014年にノーベル平和賞を受賞した、十七歳のイスラムの女性マララ・ユスフザイさんが、受賞演説で述べたことが印象に残っています。

イスラムの国においては、過激な人たちが、「伝統的なイスラムの戒律を守って、保守的に生きるべきであるから、少女が顔を隠さずにバスに乗って学校へ通うなど、もってのほかである」と言って、四百校ぐらいの学校を壊しました。

そのようなこともあって、彼女のノーベル賞受賞演説では、「なぜ、銃を与えることはとても簡単なのに、本を与えることはとても難しいのでしょうか。なぜ、戦車をつくることはとても簡単で、学校を建てることはとても難しいのでしょうか」と述べていたのです。

そのように、ある種の宗教に属している人々は、今、「自由な教育を受けて、さまざまな職業に就く権利」と「職業選択の自由」を求めて、活発に活動をしています。それも一つの道であり、求められる道でもあると思います。

他方、先進国においては、日本でもアメリカでもそうですが、「根本的に、教育を受ける権利が理想的なものになっているのか」という、もう一つの疑問も湧いてきています。

確かに、「宗教から離れ、教育を得て技術を習得し、職業に就き、社会的に活躍する」という“幸福の方程式”が多くの国では、まだまだ“信仰”されているのかもしれません。

しかし、すでに先進国になった国において、実のところ、教育のなかで、あるいは、「学問」という名において、ある種の「神の抹殺」「信仰の退去」が求められている面もあるように思います。

---owari---
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