(死ぬ前の痛みの感覚は、あの世でも続くことがある)
人間は、単に、目に見える肉体だけでできているのではありません。実は、その肉体のなかに霊的存在(霊体)が宿っているのです。
しかも、その霊的存在はタマネギのような多重構造になっています。中核(ちゅうかく)部分には、神、仏に近い存在があり、その周りに幾(いく)つもの層があって、外側になればなるほど人間的になっているのです。
最も外側には、「幽体(ゆうたい)」といわれる部分があり、この幽体は、人体とほぼそっくりの形をしています。目も鼻も眉毛(まゆげ)もあれば、心臓や肝臓、腎臓、その他の臓器の意識もあります。人体とそっくりの形をしたものがスポッと入っているのです。ただ、幽体を霊視(れいし)すれば、やや肉体をはみ出して見えるようにはなっています。
死んで、あの世に還(かえ)ったあと、自分の姿を見てみると、この世にいたときと変わらない姿をしていることが多く、指の爪(つめ)には半月の部分まであります。そのように、生前と同じような姿であるため、「自分は、まだ生きているのか」と思ったりすることがあるのです。
また、霊体の最も外側にある幽体は臓器の意識も持っているので、臓器の病気で亡くなった人の場合、あの世に行ってからも、その臓器の意識の部分が、まだ痛んだり苦しんだりしているケースがよくあります。
死んで、まだ悟(さと)りが開けていないというか、十分に死の自覚がない人だと、「亡くなったときの状態がそのまま維持されていて、死の直前に痛かった部分がまだ痛い」というような状態が続くのです。これは、まことに不思議な感覚です。
点滴の痛みでさえ幽体に付いてきます。入院中に点滴を打たれ、長く針を刺(さ)されていると、腕は痛いものですが、死んで、あの世に行っても、まだ、その痛みが残っていたりするのです。
肉体との接触(せっしょく)面積が非常に広いため、幽体には、そのように、肉体と似たような感覚を持っているところがありますが、肉体との違いは、「建物の壁(かべ)や天井(てんじょう)を通り抜けられる」「空中を飛べる」といったことです。
例えば、そうしようと自分で考えたわけでもないのに、自分の肉体を乗せて走っている救急車や霊柩車(れいきゅうしゃ)の上を、スーパーマンのごとく飛び、その車についていくことがあります。なぜか、そのようになるのです。
それから、亡くなった人が、生きている人に、お通夜やお葬式のときに話しかけても、その声が相手には聞こえないので、ここでも非常に不思議な感覚を味わいます。「参列者やお坊さんなどが言っていることは、全部、聞こえているのに、こちらの言うことだけが相手には聞こえない」という、一方的な状態が続くのです。
---owari---
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