(あの世でも、唯物論者を説得するのは難しい)
確かに、病気による痛みの感覚を、死後、あの世に持って還(かえ)ることもあります。死んですぐのころであれば、それも、しかたがないと私は思います。
ところが、死んで何年も何十年もたつのに、生前と同じように苦しんでいる人もいます。胃ガンで死んだ人が、胃が痛くて苦しんでいる。心臓の病気で死んだ人が、心臓の痛みを感じつづけている。交通事故で頭を負傷した人が、何十年も頭が痛いままでいる。そのようなことがあるのです。
そういう状態が、死んで何十年たっても続いているというのは、やはり、おかしいのです。
これでは、「第一段階の悟りを得ていない」と言わざるをえません。「人間の本質は霊的な存在である」ということや、「死後の世界では、どのように生きていかなくてはならないか」ということが分かっていないわけです。
その人の死後、どこかの段階で、先に亡くなった親戚(しんせき)や友達、あるいは光の天使などが、その人に対して、そのような話をしているはずです。しかし、そういう人たちの話を聞いても、その人には意味不明で理解できません。
「そう言われても、私は胃が痛いのだ」「私は肺ガンで苦しんでいるのだから、もう、どうしようもないのだ」などと言いつづけ、説得に耳を貸さないわけです。
特に、「病気は病院でしか治らない」と考えている医者が、病気で死ぬと、あの世へ還ってから、「薬がないし、手術もできないので、病気は治らない」と言い張るため、救いようがないような状態になります。
彼らを救おうとする、あの世のお坊さんたちも困っていて、「医者に化(ば)けるしかないかな。医者の格好をして説得するか」などと言っています。
しかし、そんなことをしても、「メスを持つ手つきが怪(あや)しい。偽物(にせもの)ではないか」と言われますし、看護師に化けても、すぐに、「これは違う。看護師の基本動作を覚えていない」などと言われます。
死んだ医者に対する説得は、けっこう難しいのです。
このように、唯物論(ゆいぶつろん)は、そうとう浸透(しんとう)しています。
確かに、この世的な物体依存はありますし、今、この世の科学が、すべて、車か何かのように、「人体は部品の合成でできている」というような考え方をとっているので、医学も、基本的には、「壊(こわ)れたところを取り換えればよい」「修理をしなくては駄目(だめ)だ」というような考え方で成り立っています。
そのため、たとえ死んだとしても、「今の自分は霊的存在だ」という認識に移行するのがとても難しく、なかなかできません。唯物論を頑固(がんこ)に信じ込んでいる人には、「唯物論は、仏教で言う邪見(じゃけん)に当たるものだ」ということを、そう簡単には分かってもらえないのです。
知識的に固まりすぎている人ほど、説得できません。あの世で、いろいろと霊的現象を起こし、霊界であることの証明をしても、そういう人は、「幻覚(げんかく)か何かを見ているのだ」と理解してしまうのです。
今の日本には、「神は存在しない。それは、脳がつくった存在だ」と言っている学者もいますが、この人も、あの世に還ったら大変で、本当に、どうしようもないでしょう。「こういう人には、唯物論者が霊界でよく入る“繭(まゆ)”のなかに入ってもらうしかない」と私は考えているのですが、そのまま何百年か放っておかれるだろうと思います。
この世的に「優(すぐ)れている」と思われている人が、残念ながら、けっこう世を迷わせているところはあるのです。
最近になって発達したことは、優れているようには見えます。しかし、「昔からあるものが必ず間違っているわけではない」ということを知っておかなければいけません。
私は医学そのものを否定しているわけではないのですが、やはり、病気の根本には、非常に不思議なもの、霊的なものがあります。「この世の人たちが霊的なものを信じなくなったことにより、かつては治すことのできた病気が、今、治らなくなっている。そのような病気も多い」と言えるのです。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます