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相手の長所を見ていく努力を③

2019年11月14日 | 人生
(欠点をストレートに指摘すると、人間関係で失敗しやすい)
私が、友人に、「『欠点を教えてほしい』と求められたので、言ってしまったのだ」と言うと、彼は、「親友であるならば、そういうときには、欠点のように見せながら、長所を言うものだ」と言ったのです。

確かに、「酒癖が悪く、毎晩お酒を飲んでいる」ということについては、「彼は付き合いがよすぎる」という言い方にすればよかったのでしょう。「付き合いのよすぎるところが欠点かな」などと言えば、彼がよい人であるように聞こえるからです。

また、「話の腰を折って、口を挟(はさ)んでくる」ということについては、「彼は会話能力が非常に高い。英語ができるだけあって、ものすごく口が立つ」という言い方にすればよかったのかもしれません。

さらに、「バイタリティーがない。体力がなくて、すぐばてる」ということについては、「集中力が高いからだ」という言い方にすればよかったわけです。

私は、「彼の欠点を教えてほしい」と言われたので、欠点と思われることをストレートに言ってしまったのですが、そのために、「もう、あの人と付き合うのはやめなさい」と言うほど、友人の婚約者を怒(おこ)らせたわけです。これには、さすがの私も肝(きも)を冷やした覚えがあります。

要するに、「世の中には、正直であれば成功するとは限(かぎ)らない面があり、世間(せけん)の人間関係においては、多少の“緩衝材(かんしょうざい)”が必要である」ということです。

特に、初対面、ないしは、それに近いような人と話す場合には、少し“緩衝材”を用意しなければいけませんし、「相手が求めているものは何なのか」ということを考えた上で話さないといけないでしょう。

この経験を通して、私は、「相手の言うことを、そのまま受け取るだけでは、いけないのだ」と感じました。

私は、若いころから頭の回転が速かったため、「欠点を挙げてほしい」「間違っているところを教えてほしい」などと頼(たの)まれると、簡単に、それを指摘することができたのです。

しかし、このような経験をしてからは、「どうやら、これは自慢(じまん)にならないらしい」ということが、分かってき始めました。

「他人の欠点や弱点に関しては、適度(てきど)に“ぼけている”ほうがよいらしい。たとえ、それに気づいたとしても、見て見ぬふりをするというか、よく分かっていないような態度(たいど)で接するべきだ。逆に、相手のよいところや素晴らしいところについては、すかさず、『ここが素晴らしいね』などと言って認めてあげることが、人間関係にとってはプラスになるのだ」

そういうことが次第(しだい)に分かるようになっていったのです。
若い人が人間関係で失敗する場合、相手の欠点などをストレートに指摘していることが多いので、気をつけたほうがよいでしょう。

他人の悪口を言ってしまったあとで、そのことを後悔(こうかい)し、悩(なや)むこともあるでしょうが、それは、「性格が本当に悪くて悪口を言う」という場合だけではありません。つまり、頭の回転が速く、人を分析(ぶんせき)する能力が高いために、相手の欠点や弱点が分かってしまう場合があるのです。

そのように、認識力(にんしきりょく)が高いと、相手の足りないところが分かってしまうことがありますが、やはり、「時」と「場合」と「相手」をよく見て話をしなければいけません。これを間違えると、人間関係に亀裂(きれつ)が入る原因(げんいん)になるので、気をつけなければならないのです。それを述(の)べておきたいと思います。

人間関係を向上させるためには、基本的に、相手の長所のほうに目を向ける努力をしたほうがよいでしょう。長所をよく見てあげる一方、弱点については、あまり追及(ついきゅう)せず、ぼんやりと緩(ゆる)やかな目で見てあげるほうがよいと思います。

相手の欠点や弱点を知らないよりは、知っておいたほうがよいのですが、それに気づいたとしても、緩やかに見ていくように努力をしたほうがよいのです。

---owari---
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