今回のシリーズは、武田信玄(第2弾)です。
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「釜無川(富士川の上流)の治水工事など、なにや国主が先に立ってやるほどのことはない」
と思っていたからだ。
(国主にはもっとやることがたくさんある)
と感じていた。ところが晴信(信玄)は、自信をもって、
「武田家を相続した晴信が最初にやる仕事は、釜無川の改修工事だ」
と宣言したのである。
ふたたび諸将たちは顔を見合わせた。このとき信繋(信玄の同母弟)がいった。
「かつて、身延山におられた日蓮上人はその『立正安国論』において、自界叛逆(じかいほんぎゃく:国内紛争)と他国侵逼(たこくしんぴつ:他国からの侵略のこと)の二つを日本国の国難としてあげられた。今武田家が遭遇しているのも、このいわば自界叛逆と他国侵逼という内憂外患だと思う。
兄は、それを一挙に解決するためには、内憂と外患を別々に処理するのではなくともに片付けることが肝要だと考えておられる。それには、父信虎には不可能だった、この国に住む人々の心をつかむことが、肝要な道だとお考えなのだ。おわかりいただけるはずだ」
そういい切った。諸将たちは、思わず信繁を凝視した。それぞれ心の中で、
(中略)
「内部の結束を囲めた上で、最初の事業として釜無川の改修工事をおこなう」
と宣言した。が、この日集まっていた諸将は、その釜無川の改修工事が何を意味するのかまでは、完全に見抜くことはできなかった。武田晴信(信玄)はこの日、弱冠二十嘉である。その若さにしては、余人では到底考えられないような、
(人事管理の恐ろしい野望)
を胸の中に秘めていたのである。
そしてかれが、
(小さな本社・大きな現場)
として、自分の居館は極力小規模にし、諸将の守る砦や支城を拡大すると宣言したことの裏に
(諸将は、分権された城や砦を守るのに全力を尽くせ。多少のことがあってもすぐ躑躅ケ崎(つつじけざき)の館に駆け込んでくるな)
と、それぞれにおける、
(自己完結)
を求めており、さらに、
「その拠点において起こったことについては、オレと同じ責任をもて」
と告げたのである。
(『武田信玄・危機克服の名将』作家・童門冬二より抜粋)
---owari---
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