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二十一世紀、日本文化が世界に広がる

2018年01月17日 | 日本

ロナルド・モースUCLA教授は「日本経済は芸術である。クルマやハイテクをつくっているのではない。あれは芸術作品である」と語ったことに話をもどせば、輸出商品に限らず、日本はあらゆる分野でそのような底力を持っている。

 

そして、経済発展の歴史を振り返ってみると、洋の東西を問わず、先進国は昔からそういうものである。誰か金持ちが贅沢をする。大衆が「それをほしい」と思ったとき、勤勉の精神が生まれる。大衆は働いてそれを手に入れる。

 

するとそこで経済はいったんストップする。欲望が充足されれば、もう発展しない。しかし、そこでまた次の金持ちが贅沢をすると、大衆は「それもほしい」と思って頑張って働く。技術も進歩する。贅沢の生産と消費が普及していく。――すなわち、再び経済発展時代が始まる。

 

わかりやすく言えば、「経済発展時代」が終わりかけのころに「文化爛熟期」があって、しばらくお休み・・・・・しかし、そこで憧れの新文化ができたら、そこからまた経済発展時代が始まる。それは言い換えれば「文化の普及過程」である。

 

文化創造、そして文化普及・・・・・という順番である。

文化普及のところを「産業の時代」と言う。

日本はアメリカという豊かな国に追いついたのだから、それを追い越すのは「日本文化の創造」から始まる。

 

日本文化の精神が、日本マーケットでまず産業になり、それを外国の人が良いと思ったら取り入れる。すると普及していく。よいと思われないものは普及しない。

 

そこで注意してほしいことは、それは日本には関係ないことである。

日本人は自ら満足するために、自らの富と技術とセンスを使ってクルマやハイテクをつくる。あるいはマンガやアニメをつくっている。それを世界が真似するかしないかは、先方の勝手である。

 

が、多分するだろう。現に普及しつつある。

だから二十一世紀は世界中が日本化するのである。

 

「失われた十年」という言葉があるが、それは経済の表面しか見ていない浅薄な言い方で、前述のとおり順番から言えば、「文化爛熟期の十年」である。

 

そこで良い文化、憧れるような文化ができたら、そこからまた経済発展時代が始まる。

今の日本はその入り口で、それは言い換えれば「日本文化の普及過程」である。

 

その日本文化の普及は着々と進行していている。昨今のテレビ番組で見られるように、世界の人びとは日本の文化に憧れ、日本の商品の素晴らしさに驚き、それを使いたいと求めている。

 

日本には数々の伝統文化や観光名所もある。

大相撲、歌舞伎、宝塚歌劇、金閣寺、京都祇園、東大寺、鎌倉の大仏、伊勢神宮、出雲大社、皇居、銀座、高山祭り、青森のねぶた、博多祇園山笠、徳島の阿波踊り、札幌の雪祭り、東北の温泉郷、沖縄のサンゴ礁の海、大阪城公園、姫路城、名古屋城、富士山、阿蘇山など挙げればきりがない。

外国人を魅了する日本文化は健在で、これらは国の宝であり、世界の宝でもある。

 

---owari---

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