世の中には、ここもかしこにも、愚かな者が溢れている。
あなたがたは、どのような者が愚かで、
どのような者が愚かでないか、その違いがわかるか。
あなたがたは、賢き者と、賢ならざる者を分けて、
愚かであるかどうかを見極めようとするであろう。
確かにそうした区別もあるのは事実だ。
けれども、私はあなたがたに言っておこう。
この世の中には、自らが愚かでないと思っている人が数多い。
自らが愚かでないと思っている人のなかに、
愚かな人が数多くいるのだ。
頭の良し悪しだけでもって、愚かであるかどうかを言うのではない。
愚かであるかどうかは、
その人自身が、自らの魂の欲するところを
知っているかどうか、ということにかかっているのだ。
さて、見渡してみよう。
あなたがたのまわりにも、愚かなる人はいるはずである。
いや、ほかならぬあなた自身が愚かに生きているかもしれぬ。
愚かであるということは、
心に毒をつくりながら生きているということだ。
心が毒を食らいながら生きているということだ。
心が毒を食らいながら、
自ら毒を飲み込んでいることを知らずに生きているということなのだ。
自らの肉体が、もし毒を含んだ食物を食べたならば、
肉体はただちに弱り、やがて死の床につくことになるであろう。
しかし、あなたがたは自らの魂が、今、毒素を飲んでいるとしても、
それが自らの魂を死に到らしめる行為であるということを、
なぜ知らないのか。
何ゆえにしらないのか。
諸人よ、我が話をよく聞きなさい。
あなたがたは、知らず識らずのうちに、日々、毒素を食しているのだ。
日々、砒素の毒を飲んでいるのだ。
少量の毒素であっても、毎日毎日摂り続ければ、
やがてそれは大きなものとなって残るであろう。
やがて、あなたがたの魂を死に追いやるであろう。
魂の死とは何であるか。
魂が本来の仏性を有しない姿になるということだ。
魂が本来の仏性を有しない姿になるとは、いかなることか。
それは、本来つくられたる目的と
相反する生き方に甘んじるということだ。
(仏法真理)
---owari---
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