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ピカチュウが裁判社会を変える

2018年01月15日 | 日本

日本の文化はさらに先に行っている。ついに言語を超越し始めた? ピカチュウは「ピカチュウ」という一言しか言わない。言葉の面では、そのイントネーションだけが表現手段で、ロジックもなければ述語も何もない。それでも、怒っているとか嘆いているとか、ちゃんとわかる。日本のみならずアメリカの子供でもわかって喜んでいる。

 

大人の目から見れば知的には劣化した、子供の教育上悪いアニメ。しかし素直な目で見る子供たちは、きちんとその奥深い意味が直観的にわかっている。言葉を超えた以心伝心、ハート・トゥ・ハートの心地良さである。

 

この子供たちが大きくなったとき、アメリカの裁判社会は終わるのではないかと密かに期待している。なぜなら、以心伝心の存在と素晴らしさを知っている(笑)。日本の裁判は和解だらけだが、理屈を立てても時間がかかるばかり。そもそも理屈などはどちらでもつくのであって、それを知っているから、さっさと和解してしまう。

 

日本は和解をする国だから非合理的であるとか、非論理的であるとか、アメリカはいろいろ言っていた。ところが何のことはない、マイクロソフトのビル・ゲイツ氏は自分が訴えられたら急に「和解しよう」となった。

 

とある法律事務所の弁護士によると、アメリカも実は60%が和解だそうだ。ただし、和解する前に双方が自分の持っている証拠を十分に開示して、それから折り合う。要は着地点がみえればいいのであって、早く見えるのならそのほうが賢い。それから着地点以上の利益を、ゴリ押しで取ろうとする強欲さを出さないのも賢い態度と言える。証拠を並べ、言語を使い、論理を駆使して着地点に至ろうという努力は尊敬すべきものがあるが、それが万能ではないと日本人は知っている。

 

その弁護士は続けて“実はそんなに証拠開示を厳重にしなくても、双方の言い分を聞くだけで着地点は大方わかる”と教えてくれた。そうだろうと思う。社会常識があればそうなる。そのうえ人間には直観力がある、洞察力がある――というのを日本人は昔から心得ている。それに学べば――これからはアメリカの裁判用語にも日本語が入ってくるかもしれない、と連想は続く。

 

以上は一例だが、これからそうなっていくはずである。なぜなら和解が一番早くて効率がいい。だからいずれ、アメリカも裁判社会が終わって、和解する時代になるだろう。そのための用語は、日本語になら黒白をつけない表現がたくさんある。早く日本に追いついてほしいと思う。

 

その時代をつくるのは「ピカチュウ」で育った子供たち・・・・・と思っている。

アメリカはすべてを言語化することが知的だと思っていたが、そうでもないのであって、かえって深みがなくなる。コミュニケーションは存在する。むしろハート・トゥ・ハートのほうがよほど深く理解できる。

 

そういうことを、日本人は1400年以上の知的・文化的ストックから、自然と身につけている。アメリカのなかにもわかる人が現れ始めた。

 

けしからんのは日本のお役所の人たち。世界の多くの人びとが自発的に日本語を学びたいという時代に、「もっと英語を勉強して、ロジカルに喋れ」などとは時代逆行である。そう主張するのは勝手だが、税金を使ってやることはない。英語を習いたい人は自分で習えばいいのであって、税金を使って無理矢理教えることはない。

 

英語を使うと知的に劣化することは、すでに縷々述べたとおりである。

 

---owari---

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