今日はフランスの作家、オリヴィエ・ジェルマントマの著書「日本待望論」よりお伝えします。
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熊野の玉置山神社に参拝した日の夜、私は、我が生涯において最重要の夢の一つを見ました。それについてはあとでお話しいたしましょう。
その翌日、私たち一行は那智の滝に至りました。陽光かがやく美しい日でした。千古の森からほとばしり出て、茶褐色の断崖に沿って垂直落下する、細長い、一条の飛瀑を前に、長いこと私は身じろぎもせず立ちつくしていました。
滝は、途中で岩を打ち、それまで堅い描線であったものが、おもむろに広がり、かろやかなヴェールのようにやわらいでいくのでした。さながらその陰に、生命の秘密が隠されているかのように。いや、生命の秘密とは、まさに人間の豊饒の秘密であると、それはさししめしていたのです。
あるときは、滝は、あのインドの男根像「リンガム」さながら、天を孕(はら)まさんとして屹立(きつりつ)し、あるときはまた、受胎を待って開かれた女陰の、深く切れ込んだ美しい線を宿していたのですから。
計り知れない太古から崇拝の対象となってきた、かくばかりの澄みきった力を前にして、私は心中、つぶやいていました。同じ自然でも、それが壮麗、無意味なスぺクタクルと成りはてる場合と、生きた教訓として呈される場合とでは、実は、差は紙一重なのだ、と。
ギリシャのデルフォイ神殿からペルーのマチュピチュへ、エルサレムのオリーブ山からインドのアジャンタ石窟へ、ヴェズレー大聖堂からメッカへと、地上隅なく散りばめられたこれらの最大級の聖地は、人々の視線のなかに存在するが、衰退しつつあります。
時に我々が実人生においてそれを体験するごとく、表層の快楽と、己より大いなるものへと向かう見透しの歓喜の間を、さすらっているのです。
何事も無償ではありえません。奈良、那智、伊勢、富士山、鎌倉、出雲といった日本の聖地が、あえて何かを打ち込めばこそ光輝を発するか、無毒無害の観光地と化するかは、一にかかって皆さんの思い入れの深さいかんなのだと思います。
こうした場の力を身におびるよりも写真撮影に余念のない人々の姿を、自分としては、かなり頻繁に、いや、あまりにもしばしば目にしてきたのですが。日本の再生、我が心から願うこの再生は、この国の聖地への生ける信仰に基づかないかぎり、ありえますまい。
そうでなければ、あなたがたのエネルギーは――これがいかに恐るべきものたるかは我々は百も承知です!――またも不毛の冒険へと駆りたてかねないでありましょう。
この那智の滝の前に立ってのことでした。日本学の権威であるベルナール・フランク教授の勧めでここを訪れた我らが大作家、アンドレ・マルローが、一種の天啓を得たのは。それはマルローの翻訳者にして友、竹本忠雄が世に伝えたとおりで、熊野、ついで伊勢で竹本は、マルローの言葉を精彩躍如と書きとどめています。
それによると、マルローは、滝の前で「アマテラスだ!」と言ったというのです。マルローといえば、ほとんど一生涯をかけて、神聖とは何かを芸術をとおして問いつづけてきた人でしたが、彼にこの問いを発せしめた何物かの存在が、突然、飛瀑のまえで憑依してきたかのようです。
「私は、めったに自然というものに感動させられたことはなかったが・・・・・」
さらにこうつぶやいてマルローは、この一瞬の啓示がいかに重要であるかを強調しています。
滝の前の、アンドレ・マルローが立ったのと同じ場所に、いま、私も立っています。この場所に立つことは長い間の私の夢でした。竹本の著書のおかげで、ここは多くのフランス人にとって、自国の最大の作家の一人が物質から神聖の徴(しるし)を悟得(ごとく)した名跡として知られるに至りました。
水流に、じっと、私は見入ります。見れども飽きず、留めるにすべなき光景ではあります。それほどまでに、久遠(くおん)の現存へと我々を投げ入れてやまないのです。そうです、神々は生きている、異邦人にとっても実在しているのです!
私は予感しています。機会あらば、ただちに自分は、いずこの滝であろうと、そのもとへと赴くであろうと。およそ人たる以上、かならずやそう在ってしかるべきもの――自然の潜勢力の同輩となるために。
---owari---
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