ソクラテスは古代ギリシアの哲学者である。
ソクラテスには有名な哲学者プラトンやアリストテレスなどの弟子がいる。
ある時、弟子から「結婚はすべきかどうか」と、ソクラテスは聞かれた。
「とにかく結婚したまえ。良い嫁さんをもらえば幸せになれる、悪い嫁さんをもらえば哲学者になれる」と答えた。
さて、ソクラテス自身はどうだったのでしょうか。
ソクラテスには悪名高き妻「クサンチッペ」が伴侶でした。
クサンチッペは「世界三大悪妻」の1人として、西洋では知れ渡っています。
三大悪妻はクサンチッペ、モーツァルトの妻コンスタンツェ、そしてトルストイの妻のソフィア・アンドレエヴナ、ということになっています。
「悪妻」や「良妻賢母」という言葉があっても、逆の「悪夫」とか「良夫賢父」というのがないことからみて、一方的な話しだという気がしないでもありません。
クサンチッペを悪妻とするエピソードには、以下のようなものがあります。
ある時クサンチッペはソクラテスに対して激しくまくしたて、彼が動じないので水を頭から浴びせた。
しかし、ソクラテスは平然と「雷の後は雨はつきものだ」と語った。
ソクラテスが語ったとされる言葉にこのようなものがある。「セミは幸せだ。なぜなら物を言わない妻がいるから」。
世の良識ある夫たちへ
私は天下の大哲学者であり聖人でもあったソクラテスでさえ、このような悪妻しか与えられなかったのです。
いわんや、われら凡人に良妻が与えられることはまれだと思わなければならないのです。
私たちの伴侶は悪妻クサンチッペよりは優れているはずです。それを善しとして添い遂げなければなりません。
妻クサンチッペに対し、ソクラテス自身はどう思っていたかと言いますと、
「この人とうまくやっていけるようなら、他の誰とでもうまくやっていけるだろうからね」と思っていたのです。
私たちは自分の伴侶に良妻が当たれば、幸福だと考えますが、それではこの世での修業ができません。
自分の伴侶が難しい人ほど、ソクラテスに近いと考えてはどうでしょうか。
ソクラテスのような聖人にはクサンチッペのような難題な人が伴侶とならねば、人生の醍醐味がないのです。修行ができないのです。
自分の伴侶が難題であるほど、自分の力があると考えてはどうでしょうか。
運命は自分が解けないような難題(難問)は与えられないのです。
難しい問題である人ほど自分の持っている能力は高いと思ってはどうでしょうか。
もちろん、自分の性格や欠点を直してくれる問題が与えられいることも事実だと思いますが、問題を解くことに挑戦しましょう。
このことは、女性の立場から見ても同じことが言えると思うのです。
さて、今日も元気を出して、難問に当たりましょう。自分の能力を高めるために。
---owari---
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