高い目標に向かってチャレンジするからこそ、挫折や失敗があるのであって、高い目標に対してチャレンジしない人には、挫折も失敗もありえないのです。
単に流されているだけの人、クラゲのように浮かんでいるだけの人には、挫折も失敗もありません。高いハードルを超えることを常に目指しているからこそ、超えられないハードルが出てくるのです。
世間では、「人間として大成していくためには、大病、失業、倒産、浪人、失恋、離婚などの経験が必要であり、そうした経験を経て初めて、人物として大きく花開いていくのだ」とよく言われます。
もちろん、そうした経験は自分で望むことではないでしょうが、そうした経験を通じ、内省的な期間を持つことによって、自分を深く見つめることができ、また、他の人を見る目もできてくるのです。
したがって、高い目標に向けて努力し、失敗したときには、それについて愚痴を言ったり、くさったりするのではなく、「自分にとって大切な休養期間が与えられたのだ」と考えて、積極的な光明転回をなすこと、すなわち、発想を転換し、光の方向に心を一転させることが必要なのです。
決して、「これで出世が遅れた」「これで私の人生は駄目になった」などと考えてはいけません。完全主義者や理想主義者は挫折にもろいところがあるのですが、挫折によって駄目になってしまうのではなく、それを一つの「ため」として、さらにがんばらなくてはならないのです。
そして、試練はそれほど長く続くものではないので、そこから学べるだけのものを学び尽くすことが大事です。いつかは必ず逆境から脱するのですから、それまでのあいだに教訓を学び尽くすのです。
「挫折や失敗は、大きなチャレンジをしている証拠」(仏法真理)
---owari---
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