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心は「水晶の玉のなかに入ったダイヤモンド」のようなもの

2016年11月21日 | 人体

「純粋な心を忘れまい。素直な心を忘れまい」という気持ちを、常に持っていることが大事です。

 

心というものは、きれいなガラスの容器に入ったダイヤモンドである――そうしたイメージを持っていなくてはいけません。まん丸い水晶の玉のなかに入っていると言ってもよいでしょう。

 

水晶の玉のなかにダイヤモンドがあるならば、水晶の表面をきれいに磨いておかないと、なかにあるダイヤモンドの美しさが見えません。ダイヤモンドそのものは、外から見えようが見えまいが、いつもキラキラと光を放っているわけですが、外側の水晶なりガラスの器なりが曇ってしまうと、外からはダイヤモンドの光が見えなくなってしまうのです。

 

そのダイヤモンドをキラキラ輝かせるのは、天上界からさしてくる光、仏の光です。それは高級霊からの啓示であったり、インスピレーションであったりします。

 

そうした光がサーッとさし込み、ガラスや水晶の容器を通り越して初めて、そのなかにあるダイヤモンドはキラキラと輝き、その値打ちを周りに見せてくれるのです。

 

昔から、「人間は平等である」という言い方をよくしますが、本当にそのとおりだと思います。

ただ、平等であるということにあぐらをかいて、「人間は平等なのだから、どんな生き方をしても、どんな考え方をしても、みんな同じ値打ちがあるのだ」と思ったならば、それはたいへん傲慢なことだと思うのです。

 

人間が平等だというのは、「誰の心のなかにも、仏から頂いた美しいダイヤモンドがあるのだ」ということを意味しているのです。

 

「心のなかのダイヤモンドを輝かせよう」 (仏法真理)

 

---owari---

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