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「国家社会主義」に向っている安倍政権(後編)

2018年02月05日 | 政治・経済

(財政赤字をつくっておきながら“年貢”を上げる“自民党幕府”)

やはり「税金を取り上げる」というのは、そうとうな強制力です。これは、国民にとって、“死刑の次に怖い”ぐらいのことかもしれません。

 

例えば、徳川幕府が、財政赤字をつくり、それを増税というか、年貢を納めさせて解決しようとしたら、農民は筵(むしろ)旗を掲げて一揆を起こしました。凶作が続き、飢饉も起きて、財政赤字が出ていたため、立て直しの改革を何度か行ったものの、結局、失敗して、それが徳川幕府の潰れる原因になっていったはずです。

 

今の“自民党幕府”も、これだけの財政赤字をつくっておきながら、さらに“年貢を上げよう”としているところを見ると、いずれ倒れることでしょう。

 

しかし、そのあとの“受け皿がない”状態になってきているのです。もし倒れたら、左翼の側に、もっと共産主義に近い人たちが待ち構えているので、この先は行き止まりだろうと思います。要するに、「いずれにしても、行き止まりだ」と見えざるをえないわけです。

 

したがって、考え方を変えなくてはいけません。政府は、お金を使うことが前提にあって、「これだけ欲しい」とか、ばら撒く予定を立てて、「これだけ欲しい」とかいう言い方をしていますが、まずは、普通の企業がするように考えてみてください。収入がなければ、資金効率をよくするために、いろいろな努力をするのではないでしょうか。

 

経費を削減したり、あるいは、資金の重点配分、傾斜配分をし、成長性の高いところや収入を生むところに資金を厚めに投入して、それ以外のところは少しずつ削っていったりします。人材についても、「適正な人事考課がなされているかどうか、無駄な人をたくさん抱えていないかどうか」ということを検討します。

 

このように、自分たちでスリム化し、生き延びようとする努力を、どこの企業も行っているはずです。

 

ところが、今の日本政府の場合、そういう努力をせずに、ただただ、「値上げをすれば、売上が増える」と思っている感じに近いので、極めて危険です。

 

安倍首相の頭のなかを疑ってはいけないと思うのですが、「『百円の缶コーヒーが百十円になったら、十パーセント売上が増える。百億円の売上は百十億円の売上になる。だから、GDPが増える』と思っているのではないでしょうか。大丈夫でしょうか」と言いたくなります。疑いたくはないのですが、「小学生レベルの経済学の持ち主ではないのか」という疑いは、どうしても残るのです。

 

やはり、「缶コーヒーが百円から百十円になったら、それを買わなくなることがある」ということを忘れてはいけません。消費税は、絶対に取れるものではないのです。消費者には、もう一つ、「買わない」という選択肢もあるからです。

 

(安倍氏も小池氏も、「内部留保」が増える理由が見えていない?)

東海道の関所では、そこを通らないと旅ができない人は必ず通行料を払いますが、「動かない(旅をしない)」という選択もありえます。

 

今、現実に起きているのは、そういうことです。お金が“動かない”のです。消費者の消費活動は活発ではありません。

 

また、企業は「内部留保」を増やしています。安倍首相は、「これ(内部留保)を外に吐き出させなくてはいけない」というようなことを言っています。

 

小池氏も、「内部留保への課税」を言っています。「企業が内部に溜めているお金を吐き出させたら、消費が進む。そのための刺激として、内部留保にも課税する。そうすれば、企業は、賃金を上げたり、設備投資をしたり、株主に配当したりして、お金が出回るようになるだろう」というようなことを、希望的な観測で言っていました。

 

しかし、企業が内部留保を増やすのは、「もし自分たちの会社が経営危機に陥っても、助けてくれるところはない」と思っているからです。このあたりは経営判断の問題です。いくらお金があっても使わず、投資もしないのは、先行きの見通しに不安があるからなのです。

 

このあたりについては、安倍首相にも小池氏にも、見方において非常に甘いものがあるのではないかと考えます。

 

---owari---

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