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中間色の国、日本

2021年06月02日 | 政治・経済
もうずいぶん前のことですが、ケント・ギルバートさんと会ったとき、おもしろい話を聞きました。
彼はもともとモルモン教の牧師さんで、日本へ派遣されて、日本語ができるものだから、いつの間にか評論家になっちゃったのですが、毎週テレビに出ると着るものを十も二十も取り換えなきゃいけない。そこでアメリカに帰ったついでに、アメリカの衣料品は安いからたくさん買ってきたのですが、誰にも褒めてもらえない。「いいご趣味ですね」と誰も言ってくれない・・・・・。

そこで彼は、アメリカには中間色の服がないということに、ハッと気がついたというのです。
アメリカの服の色はどぎついのばかり。それに対して、日本の服は、鴬(うぐいす)色、橙(だいだい)、黄緑、紫鳶(むらさきとび)色、弁柄(べんがら)色、納戸(なんど)色、縹(はなだ)色、江戸紫、銀鼠(ぎんねず)、利休鼠など様々な中間色で彩られていたと――。

そして現在、日本の着物を楽しむ外国人が増えています。それもまた、日本の良さが世界に浸透しつつある証拠と言えるでしょう。

ところが、肝心の日本人が自分たちの良さを忘れつつあるのが問題です。そこには、日本の教育の衰退があります。

中間色の話をしたついでに、日本の教育について話しておきましょう。

(〇試験の弊害)
日本の教育がダメになったひとつの理由として、私は〇✕式の問題が増えたことが挙げられると思っています。それは中間色を排除した白か黒かの世界です。

なぜ、これほど〇✕式の試験が横行するようになったのか。
厳しい言い方をすれば、教授が採点を楽にするために手を抜いているんです。採点について文句を言われないように、〇✕式を出しておけばいいというわけです。

その結果、全体的な学習レベルは著しく低下してしまいました。
それも当然のことでしょう。なんでも記憶しておいて模範解答を選べばいいだけですから、自分自身で深く考える必要なんてない。テクニックさえ身につければいい成績が取れて、評価される。

その程度の低い問題で偏差値を競っているのですからバカバカしい限りです。偏差値なんていくら上がってもなんの意味もないのに・・・・・。

私はまあ歳ですから、ついつい昔のことを思い出してしまいますが、私が在学していた頃、東大の中で行われていた教育は中間色の鴬色だらけでした。

教授もだいたい講義より雑談をしていて、後は「こういう本があるから読んどけ」で済ましていました。そこで学生はいろいろと思索を深めていったのです。

学習参考書でテクニックを覚えて、〇✕試験でいい成績を取ったところで、新しいものを創造したり、生きていくために必要なほんとうの思考力は身につくはずがないのです。

(日下公人著書「『日本大出動』トランプなんか怖くない(2016年6月発刊)」から転載)

---owari---
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