(忍耐は寛容を生み、寛容は徳を生む)
これは、今、抽象的に話をしてみました。理想が実現しないこの間、「単に天を恨(うら)むでなく、人を恨むでなく、自分としてできるだけのことをやっていく」という心構えが大切です。それが結局、蓄積になっていくと思います。
それは、その時点では人は分からないのです。「自分の時が来ているかどうか」は分からないのです。ところが、あとになってから振り返ってみると、「やっぱり、その時期というのはちょうどいいタイミングだったな。前は焦(あせ)っていたな」ということが多いのです。焦りによって悩みをつくっていたということなのです。
若くて優秀な方は、だいたいみな性急です。急ぎます。焦ります。それゆえに、角が立っていろいろなところでぶつかります。彼らを本当に磨いているのは何かというと、やはり、この「忍耐」の部分だと私は思います。
忍耐をした人はどうなるかというと、他人に対して優しくなってくるのです。性急に結果を求めて、それが次々と出たような人というのは、やはり鼻っ柱が高いし、近づきがたいです。一緒にそんなに長くいたくない感じがあります。
成功までの間、忍耐した時期の長い方というのは、“いぶし銀”のような光があります。そういう人たちと交わっていても疲れませんし、非常に居心地がいいです。それは、「優しさ」ということを、身をもって知っているからではないでしょうか。
「自分に対してそれだけ厳しい試練を与えられて、その間耐えてきた」ということが、他の人への優しさになるのです。自分も耐えてきた時期があるからこそ、もし今、急に目覚めない人がいたとしても、私は腹が立ちません。
腹が立たないのはなぜかというと、自分は時間の流れの間、耐えてきたことがあるからです。「やはり、そういう人にも時間があるだろう。その人の気づく時期があるだろう。そのときまでは時間を与えてあげることも愛だろう」と私は思います。今すぐ結論が出なければいけないとは思わないのです。
こういうことなのです。これが、「耐える」ということの効用です。
「許し」ということができるようになる。許しができるようになって、寛容さが生まれてくる。すなわち、「忍耐は寛容を生む。寛容は徳を生む」。こういう関係になっています。
---owari---
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます