子供時代、やみくもに勉強させられた、という人がいる。
一番遊びたかった時代だ。
また、お金と、人手と、情報を使って、
他人の子供と差をつけたがる親もいる。
いずれ、子供は「燃え尽き症候群」になる。
伸び切ったゴムが戻る力をなくし、
引っ張りすぎたバネが、元には戻らなくなるのだ。
それでも学歴を身分制社会と思い込み、
資格取得を人生の目的だと、勘違いする人の種は尽きない。
子供も幸福になりたいし、
親も幸福を味わいたいのだろう。
しかし、私は思うのだ。
標準的にみて、人生の三分の二は終わっただろうが、
自分の勉強は、「手段としての学問」ではなかったと。
「目的としての学問」は言いすぎかもしれない。
しかし勉強することは愉(たの)しかった。
テストで採点される身としては、
「奴隷の学問」だったかもしれないが、
自分が好んで勉強するのは愉しかった。
新しい発見、
新しい知恵、
新しい世界観を得られるということは、
面白かった。
勉強が創造の翼を与えてくれるなんて、
なんて自由なんだろう。
真理は私を解放したのだ。
---owari---
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