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忠犬ハチ公はなぜ好かれるのか?

2015年12月15日 | 新聞・テレビ

今年9月、NHKテレビ『歴史秘話ヒストリア』で「ハチ公と渋谷 真実の物語」が放送された。
同番組は動物愛護週間(9月20日~26日)を機に、人と犬の関係を改めて見つめようという企画のもと制作された。ハチは本当に忠犬だったのか。ハチはなぜ待ち続けていたのか――。ハチ公、そしてハチ公像をめぐる人々の証言をもとに、番組は徐々にハチ公物語の真実に迫っていった。

ハチは秋田県大館市出身の秋田犬(アキタイヌ)。1923年(大正12年)11月10日生まれ。
飼い主は東京帝国大学(現東大)教授の上野英三郎さん。
ずいぶんと偉そうな飼い主さんに飼われていた訳ですが、 上野教授は1925年5月21日に突然亡くなってしまいます(講義中に脳溢血で倒れ急逝。53歳)。
その時、ハチはまだ1歳半でした。上野先生とハチが一緒に過ごした期間は、わずか1年4か月でした。

私はハチが毎日、飼い主のお見送り(朝9時頃)とお迎え(夕方4時頃)に渋谷駅に行くことは知っていたが、飼い主である上野教授がなくなってからも7年以上、渋谷駅に通い続けたことは知らなかった。お恥ずかしい限りである。

上野教授が亡くなってからハチは渋谷から世田谷に移り住みますが、それでも片道5㎞ある渋谷駅まで迎えに行って、帰りを待ち続けていたという。

それで上野教授の奥さんはハチのことを考えて、渋谷近くの知り合いの小林さんと言う良心的な飼い主さんに預け、可愛がられていました。

それからも、毎日毎日、故主、上野博士の朝出かける時間と夕方の帰宅時間に渋谷駅に行っていました。
やはりこれは忠犬であるからこそでき得た行動だと思います。

それを、心亡き人が、「実は焼き鳥がもらえるから、渋谷駅に行ってただけなんじゃないのか」とか、あるいは、「道行く人におやつをもらえるから行ってたのでは・・」と言いだす者が出た。

しかし、ハチは毎日二回渋谷駅に行っていた。
 一回目は朝九時、二回目は夕方四時。
 一回目の朝九時には、屋台が出ていない。

出かける時間は、上野教授が家を出る時間・帰る時間と一致していた。
駅では、屋台の近くではなく、上野教授が帰って来ていた改札口前で待っていた。

そして、駅に行く途中、ハチは必ず旧上野邸を覗いていたのです。
ハチ!!やっぱりお前は偉い奴だ!! きっとハチの忠誠心は本物だ!と思った。
これは間違いなく焼き鳥論を否定するものでしょう。

ハチ公の美談を知らしめた日本犬保存会初代会長・斎藤弘吉は日本犬保存協会出版の雑誌に二号連続で ハチ公のプロフィールや物語を載せました。しかし、あんまり多くの人に読んでもらえない雑誌だった為(笑)にハチ公の事は全然知れ渡りませんでした。

斉藤さんが、そこで考えた作戦は新聞への掲載でした。
朝日新聞にハチ公の事を寄稿したところ、なんと新聞で大々的に掲載。
「いとしや老犬物語 今は亡き主人を 待ちかねる七年間」

新聞の3段見出し記事で紹介される事になり、それから有名になりました。
ハチがまだ生きている1934年に銅像が建ち、除幕式にはハチも出席しました(笑)。

日本の秋田犬や柴犬は今、世界でも有名になっています。
イタリアやドイツで日本犬が飼われることが多くなってきたのです。それは、映画「ハチ」の影響もありますが、日本犬が賢くて、大人しくて、飼い主に従順な忠犬であることが、広く認められてきたからではないでしょうか。

日本人が長い間に育ててきた日本犬のDNAが世界から愛されているということではないでしょうか。
あのロシアのプーチン大統領も秋田犬を飼っていますが、賢くて、素晴らしい犬だと絶賛していたことを思い出しました。

---owari---

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