(能力には限界があるが、成長は無限である)
人間が成長をするときの角度、成長度を考えると、垂直、すなわち九十度に近い角度で成長する人は、たまにいるかもしれませんが、少数です。急成長をする人で、六十度ぐらいの角度でダーッと成長する人もいます。四十五度ぐらいで成長する人もいれば、三十度ぐらいで成長する人もいます。角度が、十度ぐらいの人、五度ぐらいの人、一度ぐらいの人、限りなくゼロに近い人など、いろいろな人がいます。
なかには、マイナス成長という人もいるかもしれませんが、原則としては、みな、だいたい、生まれたときと比べれば、プラスのほうで成長しています。ただ、その成長の度合い、角度は、人によって、みな違うのです。
角度が大きければ大きいほど、すごい速度で成長しているように見えますが、角度が急な分、本人にとってきつく、それ相応に息が切れます。マラソンをすごい速度で走ったり、百メートル走を走ったりしているような緊張度や疲労はあるでしょう。
六十度の成長度を持っている人と、四十五度の成長度を待っている人と、三十度の成長度を持っている人を、同じ場所に同時に置いて、同じ課題、同じ仕事、同じ勉強などをやらせたならば、どうなるでしょうか。六十度の人は角度が大きいので、数学をやっても、英語をやっても、スーッと勉強は進んでいきます。四十五度の人は、それより少し遅くなります。三十度の人はもっと遅くなります。それだけを取ってみると、優劣は明らかです。
個人個人で見てみると、確かに、成長度は、その人の能力でもあり、才能でもあり、器でもあります。「六十度、四十五度、三十度といった、成長の角度を、それぞれの人が持っている」という意味において、それぞれの限界はあります。
「成長の角度がある」ということは、「六十度成長の限界」「四十五度成長の限界」「三十度成長の限界」「十五度成長の限界」というように、限界があり、器があって、その人の才能に一定のレベルがあることを意味しているのです。
ただ、六十度の人は六十度の人で成長を続けていきますし、四十五度の人は四十五度の人で、三十度の人は三十度の人で、それぞれ、成長しつづけます。
そのように、それぞれの人が、同じ出発点、原点、ゼロのところからスタートして、それぞれの角度で走りつづけると、その速度が同じ場合、到達する地点の差は出てきますが、これは、「実は、そこで終わりにならない」という点が味噌なのです。
六十度の角度で行く人は、そのまま、一生、ずうっと六十度で上がりつづければ大したものですが、「兎と亀」の兎のように、途中で一服することがあります。「病気になる」「挫折する」「死ぬ」ということもあれば、「家庭生活が難しくなる」「会社がおかしくなる」ということもあります。いろいろなことがあり、失敗などの壁が出てきて、そのままの角度で成長できなくなることがあるのです。
「『自分は大変な秀才で、よい学校へ行き、よい会社へ入った』と思ったが、会社がなくなってしまった」ということは、現在、数多くあります。「あのままでいけば、自分はかなり出世できただろう」と思っても、会社がなくなってしまうと、個人としてはどうしようもありません。いくら早く部長になっても、それで終わりです。
一方、三十度の角度の人が、「会社の規模は、六十度の角度の人の会社より小さく、その十分の一ぐらいだが、潰れない」という会社で、ずうっと、三十年、四十年と上がっていけば、どうなるでしょうか。最終的には、六十度の角度で行った人、二倍の角度で上がっていった人より、その半分の、三十度の角度で上がっていった人のほうが、大きな成功を収めることがあるわけです。
「人の成長の角度に差がある」という点は、能力の差であり、限界ではあるのですが、それぞれの人にとっては、その角度での成長を続けていくことで、成長は無限なのです。
したがって、能力には、限りがあると同時に、また限りがないのです。「有限であると同時に無限、無限であると同時に有限」ということです。
確かに、能力に限りはあります。やはり、成長の角度には差があるように思います。どう見ても、同じではないのです。ただ、それが永遠に続くかどうかは分かりません。成長度が鈍ってくることも当然あるでしょう。
そういう意味で、人生全体を見たときに、たとえ角度は五度しかなくとも、「われは、われの人生」ということで、延々と、うまずたゆまず成長を続けていったならば、それなりに、充分な幸福感を味わえることはあるのです。
あまりにも急角度で上がりすぎると、逆に、「天狗の鼻折れ」のようなかたちで挫折することもあります。
そのため、あまりにも角度が大きすぎる場合には、自分でそれを調整することも大事です。特に、才能のある人は、成功しすぎないように抑え、自分を長くもたせる工夫をすることです。燃え尽きてしまってはいけないので、燃え尽きないように、速度を調整しながら行くことも大事です。
そのように、「人間の器や能力には限りがある」という教えと、「人間の成長は無限である」という教えは、矛盾しているようでいて、統合できるものなのです。そのことを知っていただきたいと思います。
---owari---
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