川塵録

『インテグリティ ーコンプライアンスを超える組織論』重版出来!

コンプラを変え,会社を変え,日本を変える!

詩を書くとは

2024年01月05日 | 唄・詩・都々逸
詩を書くとは、鬱積したエネルギーの放出。

やむを得ない心的衝動。

と、高村光太郎は言う。

ーーーーーー

小中高で学ぶ詩は、なんだか、型にハマったような、鋳型に嵌めるような、しゃちこばった感じ。

違う。

書かずにいられない。

詠まずにいられない。

鬱積した電磁的エネルギーを放出しないと、気が狂っちまう。

やむにやまれぬ大和魂を言葉にしないと、自分が自分でなくなっちまう。

それが詩。

「詩」という言葉や形式にとらわれなくていい。

言葉にならない言葉を紡ぎ出そうとする。

その営みが、詩と呼ばれる。



はばかりながら、このブログも、詩という形式を取ってはいないけど、似たようなところがある。

私の鬱積したエネルギーの放出ですね。

やむを得ない心的衝動から書いています。

ーーーーーー

しかし若松英輔さんはいいことを書く。

若松さんは、書くこと全てが本になる。

若松さんの書く1行1行全てが、出版される価値を持つ。

今、これくらい、その紡ぎ出す言葉に出版的価値がある人ってのは、若松さんと内田樹さんくらいではないか。

池上さんとか佐藤優さんとかもそうかな。かくありたし。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 青学の緑 | トップ | 書かなければ分からない。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

唄・詩・都々逸」カテゴリの最新記事