泉大津吹奏楽団と市議会の意見交換会でした。
議会基本条例で定めた「団体からの申し出による意見交換会」もこれで4回目になります。
テーマは「音楽を通した青少年の健全育成について」ということでしたが、議論の中心は市民会館の存続問題にほぼ終始しました。
市民会館の大ホールという舞台があってこそ、泉大津吹奏楽団が発展し、そのことによって「青少年の健全育成」に寄与してきたからです。
サマーナイトコンサート、定期演奏会でいずれも1000人を大きく超えて、大ホールをいっぱいにしてきた実績。私も、日程があえば客席に足を運びますが、ほぼ立ち見でした。
今日の発言でも紹介されましたが、観客のほとんどは市内の方、そして多くは高齢者。「このコンサートを楽しみにしている」という方もあります。
「青少年の健全育成」だけでなく、市民の文化活動の一翼を担ってこられたことがわかります。
来年は「結成50周年」の記念の年ということで、イギリスの作曲家、フィリップ・スパーク氏に、9年前の40周年記念に続いて記念曲の作曲を委嘱、「50周年記念の演奏会は、スパーク氏自身の指揮による世界初演を泉大津市民会館で」というビッグニュースも紹介されました。アマチュアの楽団でありながら、世界に向かって発信するまでの実績を築いてこられました。
ここまで大きく発展してきた楽団の発祥は、半世紀以上前の中学校の吹奏楽部の誕生だったそうです。その卒業生が「OB吹奏楽団」を結成。これを出発点として、毎年のプログラムの表紙の「since1966」と掲げておられます。
市内3中学校の吹奏楽部はいずれも活発で、100人規模。毎年市内中学校、高校の3年生部員と泉大津吹奏楽団との合同演奏も恒例となっているそうです。
来年50周年を迎える楽団が、これからも「泉大津吹奏楽団」の名で市民に愛され、演奏活動を続けて欲しいと思います。
泉大津吹奏楽団が、一中学校の音楽室で産声をあげたそのころ、私は中学校の吹奏楽部に所属してクラリネットを吹いていました。
私と入れ替わりで高校に進学した兄が、ブラスバンドクラブの部長をしていたことの影響でした。
兄はクラリネットからフルートに楽器を替えて、今でもずっと演奏活動を続けていますが、私は高校時代は、山に魅せられもっぱら山に通いつめる日々で、それ以来楽器にはふれていません。
けれども、管楽器独特の深い音色と、みんなで創り出すハーモニーの中に身を置くことの魅力は、まだ自分の体に記憶として刻まれています。
練習の場所と発表の場所があってこその楽団の活動です。
「市民会館の廃館で代替施設はテクスピア」という説明を受けてきましたが、テクスピアのホールは500名規模。代替施設にはなりません。
吹奏楽団の活動にとってだけでなく、1000人規模のホールを含む文化施設を市内に持つことはこれからも必要であることは間違いないと思っています。
だからといって、安全性の確認できない現施設の存続を求めることは万一のことを考えれば困難。新たな施設の建設で市の財政自身が破綻するとすれば、それも困難。
なんとか、知恵と工夫、発想の転換で道を切り拓きたいと思います。
私は生涯学習の基本計画の策定を求め続けきました。
まもなく、まとまったものとなるようです。
今日、改めて詳しくお聞きすることができた吹奏楽団も含めて、市内には素晴らしい一流の活動を永く続けてこられた方々がたくさんおられることと思います。
まだ今は形にならなくても、夢や構想を持っておられる方々もおられることと思います。
それらを総結集して、「泉大津の文化」を継承し、創りつづけていきたいと熱く思った今日の意見交換会でした。
議会基本条例で定めた「団体からの申し出による意見交換会」もこれで4回目になります。
テーマは「音楽を通した青少年の健全育成について」ということでしたが、議論の中心は市民会館の存続問題にほぼ終始しました。
市民会館の大ホールという舞台があってこそ、泉大津吹奏楽団が発展し、そのことによって「青少年の健全育成」に寄与してきたからです。
サマーナイトコンサート、定期演奏会でいずれも1000人を大きく超えて、大ホールをいっぱいにしてきた実績。私も、日程があえば客席に足を運びますが、ほぼ立ち見でした。
今日の発言でも紹介されましたが、観客のほとんどは市内の方、そして多くは高齢者。「このコンサートを楽しみにしている」という方もあります。
「青少年の健全育成」だけでなく、市民の文化活動の一翼を担ってこられたことがわかります。
来年は「結成50周年」の記念の年ということで、イギリスの作曲家、フィリップ・スパーク氏に、9年前の40周年記念に続いて記念曲の作曲を委嘱、「50周年記念の演奏会は、スパーク氏自身の指揮による世界初演を泉大津市民会館で」というビッグニュースも紹介されました。アマチュアの楽団でありながら、世界に向かって発信するまでの実績を築いてこられました。
ここまで大きく発展してきた楽団の発祥は、半世紀以上前の中学校の吹奏楽部の誕生だったそうです。その卒業生が「OB吹奏楽団」を結成。これを出発点として、毎年のプログラムの表紙の「since1966」と掲げておられます。
市内3中学校の吹奏楽部はいずれも活発で、100人規模。毎年市内中学校、高校の3年生部員と泉大津吹奏楽団との合同演奏も恒例となっているそうです。
来年50周年を迎える楽団が、これからも「泉大津吹奏楽団」の名で市民に愛され、演奏活動を続けて欲しいと思います。
泉大津吹奏楽団が、一中学校の音楽室で産声をあげたそのころ、私は中学校の吹奏楽部に所属してクラリネットを吹いていました。
私と入れ替わりで高校に進学した兄が、ブラスバンドクラブの部長をしていたことの影響でした。
兄はクラリネットからフルートに楽器を替えて、今でもずっと演奏活動を続けていますが、私は高校時代は、山に魅せられもっぱら山に通いつめる日々で、それ以来楽器にはふれていません。
けれども、管楽器独特の深い音色と、みんなで創り出すハーモニーの中に身を置くことの魅力は、まだ自分の体に記憶として刻まれています。
練習の場所と発表の場所があってこその楽団の活動です。
「市民会館の廃館で代替施設はテクスピア」という説明を受けてきましたが、テクスピアのホールは500名規模。代替施設にはなりません。
吹奏楽団の活動にとってだけでなく、1000人規模のホールを含む文化施設を市内に持つことはこれからも必要であることは間違いないと思っています。
だからといって、安全性の確認できない現施設の存続を求めることは万一のことを考えれば困難。新たな施設の建設で市の財政自身が破綻するとすれば、それも困難。
なんとか、知恵と工夫、発想の転換で道を切り拓きたいと思います。
私は生涯学習の基本計画の策定を求め続けきました。
まもなく、まとまったものとなるようです。
今日、改めて詳しくお聞きすることができた吹奏楽団も含めて、市内には素晴らしい一流の活動を永く続けてこられた方々がたくさんおられることと思います。
まだ今は形にならなくても、夢や構想を持っておられる方々もおられることと思います。
それらを総結集して、「泉大津の文化」を継承し、創りつづけていきたいと熱く思った今日の意見交換会でした。