こんにちは! ただち恵子です

政治と社会、日々の暮らしの小さな喜び。思いつくままに綴ります。

「私(あなた)にとって男女共同参画って?」と問われて

2015-10-30 23:26:24 | つぶやき
いずみおおつ男女共同参画交流サロン(愛称;にんじんサロン)で活動する「輪を広げる会」の皆さんから、お誘いいただいて「男女共同参画学習会」に参加しました。

「学習会」と言っても、誰かが講師で「お話を聞いて勉強する」のではなく、皆でテーブルを囲んで、それぞれの思いを語り、発言を聴きながら考える。


それぞれの言葉には、共感できる部分もあれば、ちょっとツッコミを入れたくなる部分もあり、そしていずれにしてもその「言葉」には、それぞれの暮らしがにじみでる。

2時間があっというまで、「続き」の話をしたいと思いました。他の参加者の皆さんはどうだったのでしょうか?


「私(あなた)にとって男女共同参画って?」という問いかけで、それぞれの経験や思いを出し合いました。


私が議員として一歩を踏み出した25年前、「女のくせに」とは表立っては言われなかったけれど、(もう少しまえだったらきっと、言われたどうろ思います。)「母と子の幸せのために」という言葉が女性候補のキャッチフレーズとして普通でした。

私も、その言葉を使いました。国政選挙では女性候補のアピールは「台所の声を国政に」でした。

20年たったら、男性の候補者でも『子育て真っ最中』というようになりました。初めて「子育て真っ最中の父親です」という自己紹介を男性の候補者から聞いたときの新鮮な感動は、よく覚えています。

「子育て=女性の役割」という意識は、過去のものになったのだと思います。


職業をもって働き続けた母の悩み、葛藤をずっとみながら、私は育ちました。保育所もない。何より「女が外で働く」ことが、まるで悪いことをしているような空気が私の家庭にはありました。


母が子育てした半世紀前、そして私が議員活動を続けてきたこの25年、振り返ってみれば確かに意識も制度も、「前向きの変化」があると思います。

それは、多くの人たちの願い、声、運動によって切り拓かれたものでもあると思います。



「男女共同参画」という言葉自身が「古くなる」、やがて「死語」になるときが、きっとくるだろうと思っています。

「女性も、男性も、性的マイノリティの人々も・・・みんなが自分らしく生きていける時代」の扉を、私たちは開くことができるでしょうか?


一人ひとりの性的志向や性自認の多様性も含めて、あるがままに認め合い、生きていく社会をめざす途中の長い道のり。今、私たちはどこにいるのか?そのことを確かめながら、ほんの少しでも前へと進める力になりたい。

「私にとっての男女共同参画って?」に対する、私の答えです。


日頃は意識の底に沈んでいる大切なことを考える機会をくださった「輪を広げる会」の皆さんに感謝です。




コメント (2)
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