元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

神の怒りが爆発した箱根山の噴火

2015-08-04 20:04:50 | 日記

神の怒りが爆発した箱根山の噴火

公開霊言「箱根山噴火リーディング」

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9941

2015年7月2日 幸福の科学総合本部

箱根山噴火リーディング

箱根山噴火リーディング

 噴火警戒レベル3(入山規制)が発されている神奈川県の箱根山。6月末にも小規模な噴火が起き、予断を許さない状況が続いている(7月20日現在)。

 大川隆法・幸福の科学総裁は7月初めに、箱根山が噴火した背景を調査するため、緊急リーディングを行った。

 登場した神格を持つある霊は、日本が武士の心を忘れ、中国の侵略主義に備えようとしないことや、神格を失ってしまった天皇家に対して強い危機感を訴える。

 また、明治政府以後の廃仏毀釈や教派神道への弾圧、さらには戦後に信仰心すらも失くした国民に対する怒りも露わにした。

 そうした神の怒りが"マグマ"のように溜り、今回の噴火につながったことが明らかになった。今後、日本が存続するか否かは、神意を正しく受け止めるかどうかにかかっている。


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日本はロシアといかに付き合うべきか!

2015-08-04 20:01:48 | 日記

日本はロシアといかに付き合うべきか

[問] 北海道の函館はロシアに近いので、関係構築の使命があるのではないかと思っております。プーチン大統領の来日も正式に決まっていませんが、ロシアとの付き合い方についてアドバイスをいただければと思います。

  

 私は本論考の元になった法話を行った前日の夕方に函館に入ったのですが、夜になって"来た方"がいました。「誰だろうか」と思っていたら、珍しいことに、鳩山由紀夫氏の守護霊でした。なぜ函館に私が来るのが分かったのか、と少し不思議に思いました。

 2009年に幸福実現党を立ち上げたときに鳩山氏は民主党の代表でしたから、あちこちで、よくすれ違ったことはあります。

2015年3月、クリミア半島を訪問した鳩山由紀夫氏(右)は、ロシア下院のナルイシキン議長(左)と会談した。写真:TASS/アフロ

 

 鳩山氏の守護霊が私に訴えかけたのは、「民主党は間違っているというような批判をしていたけども、今の安倍政権の事態を見れば、非常に戦争が好きそうだ。

国民の反発がすごく高まっていて、平和を求める声が上がっているではないか」ということでした。そして、「今、中国などと平和を保つには、民主党の政策をそのままやっていればよかった。

私たちが間違ったわけではなかったのではないか」と言うのです。

 さらには、「大川隆法先生が『ロシアと仲良くしなきゃいけない』とおっしゃるから、私は戦略的に大事だと思って、クリミアまで行って現地視察をした。

確かにロシア人が80%はいたので、ロシアがクリミアを手放したくないのはよく分かる、と向こうで言ったら、『あいつは宇宙人だ』(会場笑)、『そのまま永久にとどまっておれ。

日本に帰ってくるな』と言われて、ひどい目に遭っている」と言うのです。「この辺の説明をしてくれないか」というような感じで来られました。

 2009年は民主党の全盛期で、全国で支持率を70%も取るなど、ものすごく力強かったのです。

私が幸福実現党の総裁として全国を回っていると、鳩山さんは一日で5県も回ったりしていました。

ヘリコプターも使って5県も回ったりするので、「なかなかついていけないな。5県は回れない。すごいな、精力的で頑張っているな」と思ったのです。しかし、その後はサーッといなくなってしまいました。

 確かに、こちらが仲良くしようとしたり下手に出れば、それで喜ぶ方はいっぱいいるとは思いますし、善意を信じようと鳩山氏を支持した方は多いのだろうとは思います。しかし、現実世界は必ずしもそうはいかないことは多いです。

 瀬戸内寂聴さんのような人が、「戦争の足音がする」「戦争反対だ」「いい戦争なんかない」などと国会前で訴えたことが、NHKのニュースや新聞で取り上げられております。

しかし、「中国が南シナ海で海底の砂を集めて珊瑚礁を埋め立て、あっと言う間に建物を建てて軍事基地をつくっている」ということに対しては、何もおっしゃいません。

 また、北朝鮮は核兵器を6基から8基ぐらい持っていて、来年には20基ぐらいまで増えるかもしれないし、近年中に、何十基も持つかもしれません。

北朝鮮の金正恩氏にも「核兵器を使ってどうするつもりですか」などと叱ってくれたらいいのですが、政治家も、活動家も誰も叱らないのです。私は叱りますが、自民党だって叱りません。

 国会で論戦していても、辺野古の珊瑚礁を埋め立ててジュゴンが逃げるということについては怒るけれども、中国がフィリピンの近くの珊瑚礁を埋め立てて、軍事基地をつくっていることに対しては誰も叱らない。叱るのは私だけです。

 ですから、少し損だと思うことはあって、鳩山氏の守護霊もそれを言っていました。「あなた方が一生懸命やっても、得するのは安倍さんだ。あなた方が得することは何もないのだから、するだけ無駄ではないか」というのです。

 そこで、「私たちは、将来についての大きな視野でやらなければならないことは、自分たちの利得にならないことでも言っている」と伝えました。

目先の選挙で勝つとか、議席を取れるというだけの計算でやっているわけではないからです。また、安倍政権に対しても、「良いことは良いけれども、悪いことは悪い」と、是々非々の態度でやっていることも話しました。 

北方領土問題解決の糸口となりうる日ロ首脳会談開催

ウクライナ、そしてクリミア半島はモスクワの南に位置する。ウクライナがEUやNATOに加盟すると、ロシアにとっては国防上の脅威になる。

 

ロシア・プーチン新大統領と帝国の未来プーチン大統領の新・守護霊メッセージ

 

大川総裁は2012年3月、プーチン大統領就任直後に『守護霊インタヴュー ロシア・プーチン大統領と帝国の未来』(写真上)を収録。その後ロシアがクリミアを併合したことを受け、2014年4月、『プーチン大統領の新・守護霊メッセージ』(同下)を収録した。

 

 日本政府は、「G7と同じ行動を取っていたほうが仲間外れにならないからいいだろう」とロシアと距離をとっています。しかし、これでは北方領土問題の解決が遠のいていく可能性は高いでしょう。

 以前、プーチン大統領の守護霊霊言を収録した時にも、「北方領土を『返したい』という気持ちは持っている」と言っていました。

プーチン氏はすごくやる気マンマンで、日本に来るつもりだったのに、クリミアの件でつまずいて日本に来られなくなっています。

日本も欧州連合(EU)の機嫌を伺わなければいけないので、「日本の安倍首相と何回も会っていたのに、こんなことになっていいのか」というようなことを言っているわけです。

 ロシアは、核ミサイルをウクライナ方面に向けて40基ぐらいそろえる、などと言っています。それで欧州各国はますます硬化して、アメリカも怒ってくるのでしょう。

 ウクライナはまだ、EUにも北大西洋条約機構(NATO)にも参加していませんが、参加した場合、NATO側の軍事基地や戦車、アメリカのミサイルまでがザーッとロシアの南部に入ってくることになるので、それがロシアにとっては一番怖いことです。

 先般、私もスターリンの霊言で少し言いましたが、ソ連がヒトラーに勝てたのはロシア南部を守ったからです。そうでなければ勝てていません。

南部に反対側の勢力の軍事基地をつくられてしまったら、10分ぐらいで首都モスクワが壊滅する状況になります。本当は、ここが非常にもめているところなのです。この辺りは、日本には理解できない部分でしょう。

 一応、安倍さんは分かっています。アメリカは日本に、「ロシアを干し上げる方に参加せよ」と言っているけれども、日本の立場としては北方領土もあるので、中国とロシアをくっつけるわけにはいきません。

仲を割っておかなければいけないので、ロシアに対しては、厳しいことを言い過ぎることはできないと言っています。けれども路線が明確ではないので、非常に苦しい状態かとは思います

外交と自衛は一体

 EUやG7が必ずしも正しいとは言えない面もあります。私は、日本にはある程度の独自性があっていいと思います。

 今、ロシアと中国が軍事同盟のようにくっつかれるのは、非常に具合が悪いことです。中国の軍事行動に対してアメリカが本当に動いてくれるか分からない状況であるにもかかわらず、ロシアまで相手になれば、核兵器の山と向かい合うことになるのでたまりません。

 まだ日本の国会では、憲法9条改正への反対だけでなく、その関連法案をつくることにも反対の声が上がっています。これは、「どうなっても構わないのですか」と、国民投票をかけなければいけないような状況です。「それでは困る」というのであれば、やはり何らかの自衛策を持っていなければいけません。

 安倍さんは今、非常に立場が悪く見えています。戦後70年近く続いたこともあって、「憲法を守る」と言っている人の方が正義のように聞こえるでしょう。

 かたや中国は、「この島の珊瑚礁は自分の国のものだ。だから埋め立てて軍港をつくったり、空港をつくったりするのも主権内の問題だから関係ない」と言っています。すると、例えば「尖閣列島は中国に主権がある」と言えば、ある日突然、施設をつくるぐらいのことはやれる、ということです。そういうところを相手にしているので、多少は厳しい態度で接しなければいけない面もあるでしょう。それだけの努力はするべきだと思います。

 今はEUの利害の調整をしていますし、しかもEUは中国ともつながっているので、難しい部分があります。ロシアを孤立させないよう、日本の独自外交ができるかどうかが非常に難しいのです。

 東大の国際政治学者の藤原帰一氏は、最近の安保法制の問題に関して、ああだ、こうだと言っているものの、結局結論が出せずにいて、「実際は、安倍首相に外交上の実績がないことが問題だ」と述べています。憲法の問題ではなく、外交の問題を持ってきています。

 でも、外交については随分頑張られたと思います。ただ、頑張ったけれども、まだ日本が戦後の積み残しの部分を相当引っ張っているために、解決できない問題が数多くあるということです。

 北朝鮮は、さすがに国際的に許しがたいでしょうから、日本にも黙らせるぐらいの力は要ると思います。中国に関しても同様に、他国が領有を主張しているところに堂々と海底から砂を吸い上げて島をつくって、これ見よがしに軍事基地をつくることはあっていいのでしょうか。

 こうしたところに声明を発表するだけでは、全然言うことを聞きません。やはり、黙々とある程度、自衛権を固めておくことで意見を聞かせることはできるので、外交と自衛力は一体ではないかと思います。法律的にだけ考えてはならないのであって、国際政治のなかで何ができるか、ということも考えなければいけないのです。

 

 

日本も国益に基づき外交を行うべき

 あなたが言うように、ロシアとの関係の築き方は、クリミア問題も絡んできたので非常に難しいことになってはいます。ただ、他国が外交で言うようなことを、日本も言わなければいけません。「我が国の利益として、言うべきことはこういうことです」「ロシアは、ヨーロッパ諸国との関係を悪くしないように努力してください。誤解があるならば、その誤解を解くように努力してください」とお願いしなければなりません。

 クリミアはもともと火薬庫のような難しい場所なので、直接日本がどうこうできる問題ではないところがあります。ただ、ロシアと仲良くなることでロシアを説得することもできる。西側の一国として説得もできるでしょう。日本は他の国に根回しして、日本の外交を認めさせることが大事です。

 日ロはまだ平和条約を結べていませんし、経済関係の条約などもいろいろと必要だと思います。日ロ関係をもう一段発展させて、「中国のためにロシアが戦う、ということが起こらないような関係」をつくっておけば、日本の安全保障に非常にプラスとなります。

 また、経済的にも北海道と極東ロシアとの関係を強くすることで、もう一つの安全なルートができます。今、ホルムズ海峡からの石油が入ってくるかどうかばかりを議論していますが、ロシアにも天然ガスやその他の資源がたくさんあります。世界で孤立しないために、ロシアにもパイプをつくっておくほうが安全です。

 また、ロシアとの仲が良くなることで北朝鮮への牽制も効きます。北朝鮮はロシアが怖いはずです。背後に核大国がいるというのは怖いことです。日本とロシアの仲が良ければ、北朝鮮への抑止力にもなります。北朝鮮も、アメリカとロシアと両方から挟まれるとすごく嫌でしょう。そういう意味で、非常に賢く交渉する力が必要です

神の声の発信地である日本

道を拓くチャンスをつかめ

 それぞれは、やや矛盾していることのように見えるかもしれませんが、今、EUの国々には神の声が聞こえないので仕方がありません。神の声は今、日本を通して世界に届いているので、こちらを優先していただかざるを得ないと思います。

 プーチン氏は悪く言われていますが、彼が親日家であることは間違いありません。そして、ロシア国民も親日的な態度をとっているので、「ウルトラC」を仕掛け、友好関係を深めるチャンスです。何とか道を拓きたいのですが、日本では政治家の頭がまだ少し古くて、アメリカの言うこと、あるいはEUの言うことを聞くことばかり考えています。けれども少し考え方を変えて、日本としての独自性を出してもいいのではないでしょうか。

 衆院の憲法審査会に呼ばれた長谷部恭男・早稲田大学教授らが、「安保関連法案は憲法違反だ」と言っている背景には、「島一つぐらいのために、アメリカが戦ってくれるとは思えない」という気持ちがあるのでしょう。それであれば、日本自身の自衛力や、他の国との外交関係の強化等について努力すべきであると言っておきたいと思います。(了)

ロシア・モスクワの救世主ハリストス大聖堂。ロシア正教会モスクワ総主教直轄の主座聖堂である。1931年にソ連の政権に爆破されたが、2000年に再建された。

 

 


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日本の軍人は英雄だった 涙の5つのストーリー NO,3

2015-08-04 19:17:31 | 日記

 

ストーリー(3) 

ミッドウェーの海で散った名将・山口多聞

日本の軍人は英雄だった 涙の5つのストーリー - 戦後70年 日本の誇りを取り戻そう

http://the-liberty.com/article.php?pageId=4&item_id=9947

ストーリー(3)

 

ミッドウェーの海で散った名将・山口多聞

「御国の為に役立つ人間になれ」

 

米軍の防御陣地(トーチカ)が残るアメリカ領のミッドウェー島。写真:USFWS-Paclflc Reglon

 

飛龍の模型を手にしながら語る宗敏さん。

1103人が乗員した空母「飛龍」。

 もし日本があの戦いに勝っていたら、アメリカとの形勢は変わっていたかもしれない──。

 今でも"歴史のif"として語り草になるのは、1942年6月、ハワイと日本の中間で繰り広げられたミッドウェー海戦だ。大東亜戦争の天王山にもなったこの戦いで、日本海軍は空母4隻を失う大敗北を喫した。

 戦後、「この人が指揮すれば勝てた」と言われるのが、空母「飛龍」に乗り、米空母を沈めた山口多聞・海軍少将(最終階級は中将)。その三男である宗敏さん(82歳)は現在、神奈川県で暮らしている。

 

 

無敵だった日本海軍

 閑静な住宅街にある宗敏さんの自宅には、連合艦隊司令長官の山本五十六から贈られた「清寂養和」(注5)という揮毫が飾られている。宗敏さんはそれを指さして、「父は山本さんと仲が良かった」と振り返る。

 山本長官と山口少将と言えば、41年12月のハワイの真珠湾攻撃に触れない訳にはいかない。

 開戦前、山本長官は大東亜戦争を早期に終えて日本を勝利させるため、航空機による米艦隊の撃滅を計画。これをもとに、山口少将は全長200メートルを超える空母「飛龍」「蒼龍」などを指揮する第二航空戦隊の司令官として、鹿児島の鹿屋基地で航空部隊の猛訓練を行った。

「昼夜を問わない訓練が続き、パイロットは基地近くの居酒屋で、"山口似"の店主に向かって、『人殺しの多聞丸』などと愚痴を浴びせたと聞きます。これを耳にした父は『明日の訓練はもっと厳しくするぞ』と笑っていたようです」(宗敏さん)

 しかしこのおかげで、真珠湾攻撃は成功。その後、山口少将率いる空母部隊はイギリスの東洋艦隊も撃破するなど、世界一の技術力を誇る日本の航空部隊を前に、英米軍はなす術がなかった。

 作戦後、山口少将は忙しさの合間を縫って東京の自宅に戻った。妻の孝子さんは、夫の伸びた髪を切る際、白髪が多くなったことに気づいた。家族の前では冗談ばかりを飛ばす山口少将だったが、ミッドウェーに向かう直前、孝子さんに「今回が最後だよ」と伝えていた。家族に宛てた遺書には、「御国の為に喜んで死にます」と記されていた。

(注5) 静かな環境は、和らかな気を養う、の意。

 

 

泣きながら酒を飲む叔父

 日本はミッドウェー海戦で負けた。その敗因は決断力にある。

 日本海軍は米飛行場があるミッドウェー島を爆撃途中、米空母部隊を発見した。直ちに山口少将は、空母への攻撃を進言するが、南雲忠一中将は先に飛び立った攻撃部隊の燃料切れを心配し、部隊の収容を優先させた。ところがその途中で、米航空機の攻撃を受けたため、一瞬で空母3隻を失った。

 残った飛龍を指揮する山口少将は米空母に反撃。3隻のうち「ヨークタウン」1隻を大破(戦闘不能)させ、一矢を報いた。しかし飛龍も攻撃を受け、山口少将は総員に退艦を命令。艦と運命を共にした山口少将は、6月6日午前6時6分、海中に沈んだ。彼は最期に何を思ったのだろうか。

「戦後の人は、日本兵が皆『天皇陛下、万歳!』と叫んで死んだイメージを持っています。だけど、それだけではありません。彼らは家族や国のことも思いながら、死んでいった。うちの父もそうでしょう」(宗敏さん)

 当時、山口少将の死は身近な大人たちだけに知らされ、小学生だった宗敏さんには知らされなかった。だがある時、泣きながらビールを飲む叔父を不思議に思い、宗敏さんは「何で泣いているの?」と尋ねた。「うまいからだよ……」としぼり出すように答えた叔父。「本当は父の死を知ったからでしょう」と宗敏さんは振り返る。

 山口少将から宗敏さんに宛てた手紙には、軍人になれとあるのではなく、ただ「御国の為に役立つ人間になれ」と書かれていた。先の大戦で散った英霊たちは、今の日本人に何を思うか。


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イギリスとカナダの公共放送 歴史的なUFO事件を報道

2015-08-04 17:25:11 | 日記


◆イギリスとカナダの公共放送 歴史的なUFO事件を報道
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9998

アメリカでは、6月から7月にかけて、ケネス・アーノルド事件やロズウェル事件といった1947年の夏に起きた歴史的UFO目撃事件の記事が増え、さながら「UFO月間」のようだったが、イギリス、カナダも負けてはいない。

アメリカを追いかけるように、イギリスの公共放送のBBCが7月13日に、カナダの公共放送であるCBCが7月16日に、それぞれのサイトで自国の歴史的UFO事件を大きく取り上げている。

BBCの記事では、"イギリスのロズウェル事件"と言われている1980年の「レンドルシャムの森事件」について、新しい目撃証言が出てきたという記事を掲載。これは、イギリスにとって最大のUFO目撃事件の新しい進展であり、ザ・インディペンデント、エクスプレスほか、複数の地方紙が伝えている。

記事によると、当時、イギリスの空軍基地近くのレンドルシャムの森にUFOが着陸したのを多くの兵士が間近に目撃していると言われているが、これまで詳しいことは公式発表されてこなかった。


しかし、退職した当時のレーダー監視員が、「レーダーで、時速何千マイルで移動する物体が(目撃者たちのいる)森に入って行ったのを見た」とする新たな証言をしたという。この証言を、目撃者の一人チャールズ・ホルト中佐が、英サフォーク州で行われたUFO会議で発表した。

また、CBCの記事では、新しいカナダのUFOの調査研究結果を伝えている。それによると、カナダ・マニトバ州では、200年前から2千を超えるUFOの報告があり、州の歴史より古いという。CBCのほかにも地方紙などが伝えている。

それらの古い記録の一例は、目の前でUFOを目撃した後、放射能が検出されたり、毎夜、農場に現れるUFOや5フィートくらいの宇宙人が間近に現れたり、アブダクションのような現象だったり、と、なかなか衝撃的な内容である。

また、カナダは2014年だけでも1千を超えるUFO目撃の報告があったという。なお、CBCは、毎年、カナダでの目撃数などUFOの調査結果を報告している。

イギリスもカナダもUFOに関する記事が多い国だ。英語という共通言語のためか、アメリカ、イギリス、カナダは"UFO報道共同体"と思えるくらい共通のニュースが流れており、それを他の言語圏が追随しているように見える。ただ、そこに日本のメディアの存在が全く感じられないのが残念だ。(純)

【関連記事】
2015年7月30日付本欄 大阪で大量のUFO出現? 海外メディアが報道、国内メディアは黙殺
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9984

2015年7月8日付本欄 7月8日はロズウェル事件の日 UFOマターは世界の軍事機密
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9874

2015年7月1日付本欄 7月2日は世界UFOデー 世界でUFOが話題に
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9850

2015年8月号記事 精神科医が自らの宇宙人遭遇体験を告白! ─アブダクションはフォールスメモリーでは説明できない
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9797


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最低!!愚かなバカな翁長知事が国連で演説へ 日本全体の国防を脅かす越権行為だ

2015-08-04 11:59:56 | 日記

翁長知事が国連で演説へ 日本全体の国防を脅かす越権行為だ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9972

今年9月下旬にスイス・ジュネーブにある国連人権理事会で行われる会合で、翁長雄志・沖縄県知事が、辺野古基地移設問題を人権問題として取り上げ、基地反対を訴える演説を行う予定だ。琉球新報などがこのほど報じた。

この演説に際しては、県内の政財界や有識者でつくる政治団体「島ぐるみ会議」が、国連NGO「市民外交センター」に働きかけ、発言の許可を得たという。翁長知事は国連の場で、基地反対を国際世論にアピールする狙いがあると見られる。


◎知事の分を過ぎた行動

従来から基地反対を掲げてきた翁長知事は、「沖縄のことは沖縄が決める。日本政府の指図は受けない」と主張し、政府との対話を拒否してきた。

だが、強硬な基地反対を唱える翁長知事の行動は、国家全体の安全保障を根底から揺るがしかねず、一地方自治体の首長の分を過ぎた越権行為と言わざるを得ない。
今回の演説以外にも、今年はすでにアメリカのハワイやワシントンにも外遊し、会談した州知事や上下両院議員に対して反対論を述べるなど、行き過ぎた“自治体外交"を続けていることも問題だ。


◎基地問題を利用する「琉球独立派」

さらに、今回の演説が問題視されるのは、国連演説の実現を後押しした「島ぐるみ会議」の国連部部長である島袋純・琉球大学教授が、琉球独立運動を展開する「琉球独立学会」のメンバーであることだ。このため、基地問題が琉球独立に結び付けられ、政治利用されるとの指摘もある。

とはいえ、県民の意識調査によると、「独立支持」と答えた県民は、たったの1%弱であり、独立を望んでいる人はほとんどいない(2012年の「沖縄の防衛に関する県民意識調査」)。にもかかわらず、国連演説により、国際社会に「沖縄県民が琉球独立を求めている」という誤った印象を植え付けてしまう恐れがある。

こうした不気味な動きを見せる翁長知事に対し、大川隆法・幸福の科学総裁は、著書『沖縄の論理は正しいのか?—翁長知事へのスピリチュアル・インタビュー—』の中で、このように述べている。

「確かに、被害意識や差別意識などがあって、いろいろなものを受けてきたのだろうとは思いますが、いくら『民意だ』と言っても、それは(日本全体の有権者数の)約一パーセントの枠のなかでの民意でしょう。

日本の四十七都道府県全体の利益にかかわることに関しては、政府が責任を持つべきだし、その政府が民意を反映していないのなら、倒されるべきだとは思います」

もし、沖縄が独立するようなことになれば、日米安保条約は適用されなくなり、沖縄が中国の自治区になるのは時間の問題だ。翁長知事は、自らの行動が日本全体を国難に陥れていることに気がつき、国益を損ねる行動は慎むべきだ。(真)

【関連書籍】
幸福の科学出版 沖縄の論理は正しいのか?—翁長知事へのスピリチュアル・インタビュー— 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1459

【関連記事】
2015年4月17日付本欄 安倍首相と翁長・沖縄県知事が会談 中国の現実に目を向けよ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9485

Web限定記事 翁長雄志・沖縄県知事、驚きの本音 米軍を撤退させ、沖縄を「中国領」にする
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9453


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日本の軍人は英雄だった 涙の5つのストーリー NO,2

2015-08-04 11:59:20 | 日記

 

日本の軍人は英雄だった 涙の5つのストーリー - 戦後70年 日本の誇りを取り戻そう

インド独立の母・藤原岩市

「インドを自由、幸福にする正義の戦いである」 

 

大東亜戦争後、イギリスがインド国民軍を裁こうとした戦犯裁判の舞台となった、インド・デリーのレッドフォート。この裁判がインド独立の引き金になった。

 

F機関長当時の藤原少佐。

1942年2月、シンガポール・ファラパーク広場で、英印軍のインド兵捕虜5万人を前に、演説する藤原少佐(右から3人目)。

「技術を持たない藤原はF機関の工作を『魂だけでやった』と話していた」と語る冨澤暉さん。

 1942年2月、日本軍によるシンガポール陥落の翌々日、ファラパークに集められた英印軍のインド兵捕虜約5万人は、F機関長(注3)・藤原岩市少佐(最終階級は中佐、戦後陸将)のスピーチに歓喜した。

「日本軍は、インド兵諸君が祖国解放のために忠誠を誓い、インド国民軍への参加を希望するならば、捕虜の扱いを止め、諸君の闘争の自由を認め、全面的支援を与える」(注4)

 これに応じた1万数千人は後のインド独立運動の中核となった。

 なぜ多くのインド人の心をとらえたのか。元陸上幕僚長で東洋学園大学理事・名誉教授の冨澤暉さん(77歳)は義父の藤原少佐について、こう振り返る。

「藤原は戦後、『我々がインド人を奮起させたというより、乳飲み子がミルクを欲しがるように、彼らが欲している独立を与えようとしただけだ』と語っていました」

(注3) 大東亜戦争中、イギリス軍のインド兵引き抜きなどの任務にあたった諜報機関。F機関のFは、「フレンドシップ、フリーダム、フジワラ」の頭文字をとったもので、プリタムシン氏が命名。
(注4) 藤原岩市著『F機関』。

 

 

自由と幸福のためにインド国民軍を創設

 インドは約150年間、イギリスに植民地支配されていた。重税に加え、イギリス人が儲けるために商品作物を強制的に作らされたため、食糧が不足して、度重なる大飢饉で約3千万人が亡くなるなどした。

 そうした人種差別が常態化していた中、日本はアジア解放を目指し、独立を求めるインドの活動家を支援。その担当者として、41年9月、藤原少佐が選ばれた。諜報の専門家ではなく、英語もヒンズー語もできない藤原少佐だったが、それでも腹を決め、与えられた数人の部下を前にこう訓示した。

「日本の戦いは住民と捕虜を真に自由にし、幸福にし、また民族の念願を達成する正義の戦いであることを感得させ、共鳴を得るのでなくてはならぬ」(同)

 日米開戦の直前、タイに赴いた藤原少佐は、細い人脈をたどりながらインド独立派のプリタムシン氏らと地道に接触を重ねる。開戦と同時に、英印軍の中からインド兵数百人の引き抜きに成功。41年末、藤原少佐の呼びかけで、インド将兵のモハンシン大尉を代表とするインド国民軍が立ち上がる。

 イギリスと違って人種差別をしない藤原少佐らは、インド兵と食事を共にし、インド人リーダーにインド兵を統率させたりした。ある時には、藤原少佐が車で移動中、投降したばかりのインド兵捕虜にもたれかかって眠り始め、あまりの警戒心のなさに、インド人からあきれられたという。

 

 

チャンドラ・ボースと並び称される藤原少佐

 42年4月、インド国民軍が膨れ上がったため、F機関は発展的に解消。岩畔機関に引き継がれ、藤原少佐は南方総軍司令部に異動となる。

 だが同12月、モハンシン大尉がインド国民軍の役職を解かれ、インド兵が動揺して軍が瓦解する危険性が生じた。それを察知した藤原少佐は、モハンシン大尉から「自重してほしい」という言葉を引き出し、インド将兵に伝え、軍の瓦解を防いだ。このとき、結果次第では自決してでも軍を守ろうと覚悟を決め、身辺整理を済ませ、部下に爪や髪を託していた。

「戦後、藤原は、諜報の技術や知恵が足りなかったことを反省していました。しかし、諜報で最も大事なのは、相手の『意図』を知ること。ファラパークスピーチでも分かるように、藤原は心の底から相手のことを考え、互いの目的を一つにして、無駄な争いをなくした。身内びいきになりますが、藤原には現代にも通じる最高のインテリジェンスがあったと思います」

 日本敗戦後の47年8月、インドはイギリスから独立を果たした。「インド独立の父」チャンドラ・ボースと並び、「インド独立の母」と呼ばれる藤原少佐の生涯を、現代の多くの日本人は知らない。


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