神の怒りから逃れたければ神の望むことを達成せよ」
天照大神の日本人への警告
日本の主宰神である天照大神から、緊急の「神示」が降りた。
大川隆法・幸福の科学総裁が東京の同教団総合本部で、公開霊言「天照大神のお怒りについて」を行ったものだ。その内容は厳しく、威厳に満ちたものだった。
高天原の神々の「怒り」とは?
そして、その怒りを鎮め、日本を救う方策はあるのか?
http://the-liberty.com/article.php?pageId=1&item_id=3879
【「天照大神」とは】
紀元前8世紀頃に現在の大分県のあたりに生まれ、高千穂の国の女王、すなわち日本最初の女帝となった。日本神道の主宰神。太陽神であり、皇室の祖神として伊勢神宮に祀られている。
東日本大震災の前にも警告
今野可啓筆「斎庭の稲穂」。
天照大神からの神示は、すでに2010年6月22日、菅直人氏が首相に就任した直後にも降ろされていた。
「神を敬う心というものがなく、金銭と物質にまみれた、この世の中での生きやすさのみを考えてきた人たちが、この国の政治の頂点に立ったということを、非常に災いを呼ぶ現象であるというふうに考えております」
「わが国民が、『神の国』に住みたいのか、『悪魔の国』に住みたいのか、私は、それを問います」
「このままでは、この国に災いが起きます。われらは、われらを認めない者たちを許しません」(注1)
菅政権は、企業や富裕層から富を奪う左翼的な政策をとり続けた。尖閣諸島での中国漁船衝突事件などで唯物論国家にひれ伏した。そして、2011年3月11日、東日本大震災が起きた。
天照大神より再度の警告
今回、2月2日の神示では、民主党政権による増税路線と、日本人の信仰心の不足に対して、「聖なる怒り」を発せられた。
○天変地異の可能性
「この日本は火山列島です。マグマの上に浮かんでいる国です。『国が存続していること自体が奇跡だ』ということを知らねばなりません」
「現在まで、それを留め置き、この国民を護りたるは、私たちの仕事であったのです」
「私たちが、そういう聖なる仕事をやめたならば、この国は、かつて滅びた幾つかの国と同じようになることもあるかもしれません」
「神の怒りから逃れたければ、神の言うことをきき、神の望むことを達成せよ」
○マスコミの間違い
「ただ、時の権力に媚び、自らの生存のみを汲々として追い求めている者たちが、そうした小人物の固まりが、聖なる者たちを穢すならば、それなりの反作用が来るであろう」
○日本人としての試練
「まず、地上の人間たちに、『何が正義であり、何が悪であるか』ということを、教えます」
「次に、『信仰』を教えます」
「そして、『信じるや否や』を問います」
「そして、その結果について判定を下します」
「この国の最高権力者は、選挙で選ばれたる者ではなくて、天上界にいる神であるということを、人々に知っていただきたいのです」
「この国は、『神の国』です」
政治が混乱するとき、人心が乱れ天罰が下る
──日本の震災史を再点検
動乱期に必ず天変地異が起こる
(数年にわたる飢饉は発生年を記載。犠牲者数はいずれも推定)
1086年 院政の開始 1156年 保元の乱 1160年 平治の乱 1180年~85年 源平の合戦 |
1096 永長地震(東海・東南海)…死者推定1万人。 1099 康和地震(南海)…大津波が発生。死者は推定数万人。 1108 浅間山大噴火…上野国で大きな被害。 1181 養和の飢饉…死者は京都市中で4万2300人(方丈記による)。 |
1274年~81年 蒙古襲来 |
1230 寛喜の飢饉…餓死者が溢れ「天下の人種三分の一失す」と記録される。 1235 霧島山噴火…霧島山では記録上最大規模。 1293 鎌倉大地震…死者推定2~3万人。 |
1467年~77年 応仁の大乱 |
1459 長録・寛正の飢饉…1461年最初の2ヵ月間、京都で8万2000人の死者。 1471 桜島大噴火(文明大噴火)…溶岩流出。死者多数。 1498 明応地震(東海・東南海)…死者3~4万人。 |
1592年~98年 朝鮮出兵 1600年 関ヶ原の戦い 1614年~15年 大阪の陣 |
1586 天正大地震 (美濃)…未曽有の巨大震災。歴史的に確認できる人物が多数死亡。 1596 慶長伏見地震(淡路島)…京都だけで死者4万5000人と記録。 1596 浅間山噴火 1605 慶長大地震(南海トラフ)…大津波が発生。死者推定1~2万人。 1611 慶長三陸地震(三陸沖)…津波が発生。死者推定2000~5000人。 |
1680年~1709年 5代将軍綱吉の統治 治世の後半、「生類憐みの令」など悪政が目立つように。 |
1703 元禄大地震(房総南端)…大津波が発生。死者1万~数万人。 1704 浅間山噴火 1705 桜島、霧島山噴火 1707 宝永地震(南海トラフ)…死者数万人。 1707年 宝永大噴火(富士山) |
1716年~1843年 江戸の三大改革 増税や質素倹約の強制で庶民を苦しめる。異国船の脅威が高まる。 |
1732 享保の大飢饉…冷夏などによる凶作。餓死者数万人。 1741 北海道西南沖地震…津波が発生。死者推定2000人。 1751 越後・越中地震(高田地震)…死者推定1500人。 1771 八重山地震…明和の大津波を誘発。 死者・行方不明者1万2000人。 1782 天明の大飢饉…近世史上最大の飢饉。全国的に十万人の餓死者。 1783 浅間山大噴火…火砕流により群馬の町村のいくつかを壊滅。 1792 島原大津波… 雲仙普賢岳の噴火で大津波が発生。死者推定1万5000人。 1833 天保の大飢饉…各地で餓死者多数。江戸では救済施設に数十万人。 1847 善光寺地震(長野)…死者推定1万3000人。 |
1853年 黒船来航 1867年 大政奉還 |
1854 安政東海地震…死者推定2000人。 1854 安政南海地震…死者1000~3000人。 1855 安政江戸地震…死者は町民だけで推定4700人。藤田東湖が死亡。 |
1894年~1905年 日清・日露戦争 |
1891 濃尾地震(岐阜)…観測史上最大の陸域直下型地震。死者7273人。 1896 明治三陸地震…巨大津波が発生。死者・行方不明者2万1959人。 |
1922年 ソ連成立 1923年 日英同盟破棄 1924年 アメリカで 排日移民法成立 1931年 満州事変 |
1923 関東大震災…死者・行方不明者10万5000人(多くが火災による犠牲者)。 1927 北但馬地震(兵庫県北東部)…死者2925人。 1933 昭和三陸地震…大津波が発生。死者・行方不明者3064人。 |
1941年~45年 太平洋戦争 |
1943 鳥取地震…死者1083人。 1944 昭和東南海地震…死者・行方不明者1223人。 1945 三河地震…死者・行方不明者2306人。 1946 昭和南海地震…死者・行方不明者1443人。 1948 福井地震…死者・行方不明者3796人。 |
1994年 村山政権誕生 2009年 民主党政権が成立 日本は実質的な無神論左翼の支配下に入った。 |
1991 雲仙普賢岳噴火…火砕流で死者・行方不明者43人。 1993 北海道南西沖地震…死者・行方不明者230人。 1995 阪神淡路大震災…死者・行方不明者6437人。 2011 東日本大震災…死者・行方不明者約2万人。 |
天変地異を「天罰」「警告」などと言うと、「不謹慎だ」「迷信だ」という反発の声が出てくる。しかし、上の年表をご覧いただきたい。これは、日本の歴史の中で、数千・数万規模の死者が出た(と推定される)天変地異を中心として年代順に並べたものだ。
これを見ると、記録に残るほどの甚大な天変地異というものは、動乱期に重なって集中していることがよく分かる。やはり、人心の乱れやそれに伴う政治の混乱に呼応したものだと考えるのが自然だろう。
例えば、平安末期や戦国時代、幕末など、時代を画するような戦乱の時代に天変地異は集中している。これらは、旧い枠組みに対する神仏の警告であると同時に、新時代への胎動を促す意志の表れでもある。一見、戦乱のない時代に起きる天変地異でも、後から振り返るとその意味が見えることが多い。
現代──阪神・淡路大震災も東日本大震災も、神仏を否定する実質的な左翼政権の時代に起きている。天変地異によって新時代への目覚めを促す厳しい神々がいるとすれば、神の存在が否定されるような唯物論的な風潮が国民の間にはびこることを許すはずがない。我々は、異常災害の裏に天意を感じる、ごく普通の信心深さを取り戻さなくてはならないだろう。
天罰はなぜ下るのか
前ページまでで確認してきた通り、地上の人心の乱れや政治の混乱と、天災とは明らかに連動している。人類は長年の“経験則"からそのことを知っているのだ。宗教や思想の方面においても、天罰や神罰という考え方は極めてポピュラーなのである。
天罰・神罰という思想は人類の「常識」
イングランドの画家ジョン・マーティンの「ソドムとゴモラ」
「旧約聖書」は、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教のすべてが啓典として尊重しているが、そこは神罰の記述のオンパレードである。
有名な「ノアの箱舟」のエピソードは、信仰心を失い、地上で悪を行う人類を一掃するために神が洪水を起こしたというものだ。また、「ソドムとゴモラ」の話では、人々が堕落し悪徳が栄えていた2つの都市を、神が天からの火によって滅ぼしたとされる。これほど有名ではなくとも、神が不信仰者や反逆者を疫病や天変地異を使って滅ぼしたという記述は次から次へと出てくる。
イスラム教の聖典「コーラン」も同じだ。旧約聖書にはないオリジナルストーリーとして、神を軽視し、預言者を迫害した民族を神が滅ぼしたという記述がある。一神教文化の人たちにとって、神が頑迷な人間を罰するという発想は極めて身近なものなのだ。
当然のことながら、こうした思想は東洋にもある。例えば、儒教の伝統の中にある「災異説」がそうだ。これによれば、地上の為政者が徳を失い、悪政を行うと、天の意志が自然災害を起こして警告するという。この思想は日本にも浸透しており、例えば古事記・日本書紀では、古代の天変地異を政治の乱れと結びつけて考えている。
仏教でも、「法華経」や「金光明経」など多くの経典において、仏法を蔑ろにすると天災などのあらゆる災厄が起きると説かれている(三災七難)。鎌倉時代の日蓮が、異常な天災が続くのはこの国で正しい信仰が行われていないからだとして、法華経への帰依を説いたことはよく知られている。
天罰論を支持した近代の偉人たち
関東大震災を天罰だと説いた内村鑑三(上)と渋沢栄一(下)
これは決して古代中世に限った話ではない。1923年、関東大震災が発生して未曾有の被害が生じたとき、近代的な教養を備えた多くの人たちがそれを天罰、すなわち「天譴」だと感じた。
この時代は、日本が国際的に孤立し、昭和の悲劇への路線が敷かれていた時期。大震災は充分な危機感のない日本社会への警告だったのではないか。
日本を代表する宗教思想家、内村鑑三も天譴論を唱えた一人。内村は震災について「我らの説教をもってしては到底行うことあたわざる大改造を、神は地震と火をもって行い給うた」と語っている。
内村だけではない。「日本資本主義の父」と評される大実業家、渋沢栄一も震災について「何か神業のように考えられてならない。すなわち、天譴というような自責の悔を感じないわけにはいかない」と述べている。北原白秋などの文化人も同じような意見を表明している。
近代日本をつくった偉人たちが天譴論を支持している。これは人類の歴史においてむしろメジャーな考え方であり、天変地異を単なる自然現象だと考えるのは、現代の一部の唯物論者たちの例外的な思考だ。
決して、天譴論を説く人が非情なわけではない。内村は、神が犠牲者たちの魂を癒していると信じ、残された人々は希望をもってより正しい国をつくってゆくべきだと訴えた。
人間の魂は永遠であり、この世は一時的な魂修行の舞台に過ぎない。この世が堕落し、人間の魂にとって害にしかならないと判断すれば、神仏は時に厳しい処断を下す。しかし、人間心を超えた大きな視点から見れば、やはりこれも愛なのである。
私たちは、いたずらに運命を呪うのではなく、犠牲者の魂を慰めつつ、この世を神仏の心にかなう国や世界にしてゆくべく努力せねばならないのだ。