アメリカが日本化している? ゆとり教育に似た米大学の事例
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ポリティカリー・コレクト(Politically Correct、「PC」とも言う)という言葉を聞いたことがあるだろうか。「誰も傷つけず、誰も怒らせないように、過度に慎重な言葉選びをすること」を指し、多くの場合批判的に使われる。
米ザ・アトランティック誌がこのほど、「The Coddling of the American Mind(甘やかされたアメリカの心)」という記事を掲載した。内容は、本来自由な知的環境であるはずの大学でポリティカリー・コレクトが横行し、正直な議論ができなくなってきていることに、警鐘を鳴らしたものだ。
「どこで生まれたの?」は禁句!?
同誌は、大学のキャンパスで、「使ってはいけない言葉・台詞・質問」ができ始めていることを指摘した。まるで、大学で焚書でもしているかのような印象を受ける。
記事には多くの例が挙げられている。
- 「どこで生まれたの?」は、「本物のアメリカ人ではない」との印象を与えかねないから質問してはいけない。
- 「アメリカはチャンスの国だ」は、他の国はそうではないことをほのめかしかねないので、言ってはダメ。
- ブランダイス大学では、学生団体がアジア人を守るために、大学の建物の前に、「『数学が得意なはずじゃないの?』などといった質問は、アジア人に対する差別行為だ」と記した立て札をつくった。それに対し、大学内のアジア人団体が、「そのような立て札自体がアジア人に対する差別行為だ」と反論し、取り下げられることとなった。
一見普通に使われるような会話も、「誰かを傷つけるかもしれない」という理由で、「使うべきではない」とされているのだ。
アメリカの日本化が起きている
記事はそこからさらに踏み込み、問題はポリティカリー・コレクトだけでなく、現代の若者が情緒的に弱いため、「大学は若者達を、不愉快な現実から守るべき」との考えが横行していると指摘した。
日本でも、一昔前には「だれでも一番」と言って競争や切磋琢磨を否定する、結果平等の「ゆとり教育」が流行っていた。アトランティック誌が指摘するアメリカの大学の現状は、それに酷似している。
オバマケア(国民皆保険)や格差是正など、オバマ政権下でアメリカは少しずつ日本化してきた。アメリカの教育機関の“ゆとり化"も、この傾向の一例と言えるかもしれない。
アメリカ社会は、自由な意見を率直に交換し、それらを競争させる「アイデアの市場」によって政治・経済・科学などを発展させてきた。「誰かが嫌がるかもしれない」という理由だけでそれを封じてしまえば、国にとっても大きな損失となるだろう。
安倍談話のように、「誰にでも良い顔をするため」に言葉を曖昧にしてばかりでは、率直で正直な議論などできるはずもない。
対立を乗り越える「強さ」を取り戻すべき
社会に出れば、他人の言葉に傷ついたり、意図せずに相手を傷つけてしまうこともある。大学は、学問の場であるだけでなく、そういった社会の実態を身をもって学ぶ場所でもあるはずだ。
自由な社会では、意見の対立や確執は回避できない。その対立に真っ向から挑み、たくましく切り抜ける「強さ」こそが、アメリカを発展させてきた力の一つであり、取り戻すべき精神ではないだろうか。(中)
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