◆終戦「玉音放送」に見る、昭和天皇の現代へのメッセージ
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玉音放送は、1945年8月15日の正午にラジオで放送された、昭和天皇による「終戦の詔書」です。この玉音放送で、多くの国民が日本の敗戦を知らされました。
今ではその存在と、「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び……」の一節を知っていても、昭和天皇が他に何を語ったかまで知る人は少ないかもしれません。終戦から70年たった今日、改めてその言葉に耳を傾けてみたいと思います。
終戦の詔書は、日本国民に向けられたものであり、「敗戦」や「降伏」などの言葉もなく、最後は未来志向で締めくくられています。また、この中では、大戦が自衛戦争でありアジア解放のための戦争であったことが明確に示されています。
以下、昭和天皇による「終戦の詔書」の特に胸に響く部分を現代語訳より抜粋しました。
- 私は、日本政府に米、英、中、ソの四国の出したポツダム宣言を受け入れることを、各国に通告させた。そもそも日本国民の安全を図り、世界の国々と共に繁栄することを喜びとすることは代々の天皇が行ってきたことであり、私もそう努めてきた。
- 先に米英に宣戦布告した理由も、本来日本の自立と東アジアの安定を願ってのことで、他国の主権を排除したり、領土を侵したりするようなことは、もとより私の意志ではない。
- 私は日本とともに終始、東アジアの植民地解放に協力してくれた友好国に対して申し訳ないと思いを表せざるを得ない。日本国民であって戦場で死亡し、公務にて殉職し、思いがけぬ死を遂げた者、またその遺族のことを考えると我が身が引き裂かれる思いだ。
- 考えれば、これから日本の受けるであろう苦難はおそらく並大抵のものではなかろう。しかし、私は時の巡り合せに逆らわず、耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。
- 団結して子孫ともども固く神の国である日本の不滅を信じ、任の重さを自覚し、長い道のりに思いを向けながら、総力を将来の建設に傾け、道義を篤く、志操を固くして、誓って日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。国民の皆さん、どうか私の気持ちを汲んで理解して欲しい。
昭和天皇の大東亜戦争に込めた志と共に、本意が叶わずとも、未来志向で日本の繁栄を願う言葉が示された、徳を思わせる内容となっています。
昭和天皇には他にもその徳を表すエピソードがあります。
天皇と会見をしたマッカーサーは、天皇が「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねる」と仰ったことを明らかにし、「この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じ取った」と述懐しています。
さらに昭和天皇は、臣下が戦争犯罪人として裁かれることを心配し、木戸内大臣に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍びがたきところだが、自分一人引き受けて、退位でもして収める訳には行かないだろうか」と辛い心中を漏らされていたと言われています。
終戦の詔書で天皇が語られた「日本の栄光を再び輝かせるよう、総力を将来の建設のために傾けよ」という言葉には、国を守るために命を懸けて戦った300万人の英霊たちとその遺族の願いも込められています。戦後の焼け野原からめざましい復興を成し遂げた日本人は、その一端を実現したと言えます。
しかし、本当の意味で「日本の栄光を再び輝かせ」るためには、昭和天皇が大東亜戦争に込めた思いを改めて受け止める必要があります。
終戦記念日は、日本を守った先人たちへの感謝の思いを胸に、現代の日本人が忘れかけている「道義」や「志操」を振り返り、日本人としての誇りを思い出す日にしたいものです。(真)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『明治天皇・昭和天皇の霊言 日本国民への憂国のメッセージ』 大川隆法著
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