元幸福の科学の会員で1987年より三十数年間、在籍し、活動をしてきました。その間を振りかえります。

最初は勉強会だったのに大川隆法氏は1991年に突然に自分は地球神・エルカンターレだと宣言し、宗教法人となった。

◆終戦「玉音放送」に見る、昭和天皇の現代へのメッセージ

2015-08-15 18:48:13 | 日記

◆終戦「玉音放送」に見る、昭和天皇の現代へのメッセージ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10031

玉音放送は、1945年8月15日の正午にラジオで放送された、昭和天皇による「終戦の詔書」です。この玉音放送で、多くの国民が日本の敗戦を知らされました。

 

今ではその存在と、「堪へ難きを堪へ、忍び難きを忍び……」の一節を知っていても、昭和天皇が他に何を語ったかまで知る人は少ないかもしれません。終戦から70年たった今日、改めてその言葉に耳を傾けてみたいと思います。

 

終戦の詔書は、日本国民に向けられたものであり、「敗戦」や「降伏」などの言葉もなく、最後は未来志向で締めくくられています。また、この中では、大戦が自衛戦争でありアジア解放のための戦争であったことが明確に示されています。

 

以下、昭和天皇による「終戦の詔書」の特に胸に響く部分を現代語訳より抜粋しました。

 

 

  • 私は、日本政府に米、英、中、ソの四国の出したポツダム宣言を受け入れることを、各国に通告させた。そもそも日本国民の安全を図り、世界の国々と共に繁栄することを喜びとすることは代々の天皇が行ってきたことであり、私もそう努めてきた。

 

  • 先に米英に宣戦布告した理由も、本来日本の自立と東アジアの安定を願ってのことで、他国の主権を排除したり、領土を侵したりするようなことは、もとより私の意志ではない。

 

  • 私は日本とともに終始、東アジアの植民地解放に協力してくれた友好国に対して申し訳ないと思いを表せざるを得ない。日本国民であって戦場で死亡し、公務にて殉職し、思いがけぬ死を遂げた者、またその遺族のことを考えると我が身が引き裂かれる思いだ。

 

  • 考えれば、これから日本の受けるであろう苦難はおそらく並大抵のものではなかろう。しかし、私は時の巡り合せに逆らわず、耐え難いことを耐え、忍び難いことを忍んで将来のために平和を実現しようと思う。

 

  • 団結して子孫ともども固く神の国である日本の不滅を信じ、任の重さを自覚し、長い道のりに思いを向けながら、総力を将来の建設に傾け、道義を篤く、志操を固くして、誓って日本の栄光を再び輝かせるよう、世界の動きに遅れないように努力しなければならない。国民の皆さん、どうか私の気持ちを汲んで理解して欲しい。

 

 

昭和天皇の大東亜戦争に込めた志と共に、本意が叶わずとも、未来志向で日本の繁栄を願う言葉が示された、徳を思わせる内容となっています。

 

昭和天皇には他にもその徳を表すエピソードがあります。

 

天皇と会見をしたマッカーサーは、天皇が「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねる」と仰ったことを明らかにし、「この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じ取った」と述懐しています。

 

さらに昭和天皇は、臣下が戦争犯罪人として裁かれることを心配し、木戸内大臣に「戦争責任者を連合国に引き渡すは真に苦痛にして忍びがたきところだが、自分一人引き受けて、退位でもして収める訳には行かないだろうか」と辛い心中を漏らされていたと言われています。

 

終戦の詔書で天皇が語られた「日本の栄光を再び輝かせるよう、総力を将来の建設のために傾けよ」という言葉には、国を守るために命を懸けて戦った300万人の英霊たちとその遺族の願いも込められています。戦後の焼け野原からめざましい復興を成し遂げた日本人は、その一端を実現したと言えます。

 

しかし、本当の意味で「日本の栄光を再び輝かせ」るためには、昭和天皇が大東亜戦争に込めた思いを改めて受け止める必要があります。

 

終戦記念日は、日本を守った先人たちへの感謝の思いを胸に、現代の日本人が忘れかけている「道義」や「志操」を振り返り、日本人としての誇りを思い出す日にしたいものです。(真)

 

【関連書籍】

幸福の科学出版 『明治天皇・昭和天皇の霊言 日本国民への憂国のメッセージ』 大川隆法著

https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=108

 

【関連記事】

2014年9月9日付本欄 昭和天皇自身が語る「本当の天皇実録」 靖国参拝の政治問題化に終止符を

http://the-liberty.com/article.php?item_id=8400

 

2015年7月号記事 釈量子の志士奮迅 [第34回] - 若者たちが特攻前夜に考えたこと 

――軍人たちの心は「侵略者」か

http://the-liberty.com/article.php?item_id=9643



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中国の人民元切り下げ 誰も信用しない「金融自由化」

2015-08-15 12:47:26 | 日記

中国の人民元切り下げ 誰も信用しない「金融自由化」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=10032

中国人民銀行(中央銀行)は13日、人民元・米ドルの為替レートの基準値を3日連続で切り下げた(注)。人民元切り下げにより、約4.5%の元安ドル高が進んだ。元安誘導で輸出拡大を支えようとする政策に、海外からの不信感は強まっている。


◎切り下げは「金融自由化」か?

中国の株式市場は現在、「管理変動相場制」を採用しており、人民元・米ドルの為替レートの取引目安として、人民銀は日ごとの「基準値」を提示していた。その基準値に近い値でしか為替は変動できない。

今月10日までは、基準値は市場の終値を反映していなかった。例えば、基準値に比べて為替が下がっても、翌日の基準値は下がらないということ。市場実勢とかけ離れた状態が続いていたとも言われる。

それが11日以降、前日の終値を反映して基準値を設定する方式に変更された。この方式に基づいて人民元が切り下げられた結果、元安が進行。人民銀はこの方式変更を「金融自由化の一環」と主張している。


◎本質は「市場への介入」

しかし、今回の切り下げを「金融自由化」として評価するのは早計だ。自国の思惑に合わせて為替をコントロールしようする姿勢は消えていないからだ。

今回の基準値引き下げの動機は、人民元安による輸出支援で減速する景気を後押しすることが目的の一つであると、誰もが考えている。人民銀は最近、人民元の国際化を目指して、人民元を無理に高めに保ってきたとも言われる。その人民元高に国内経済が耐えられず、切り下げたのだろう。

つまり、結果的に人民元が切り下がるからこそ、為替の基準値設定方式を変えたのであって、「自由化」が本当の目的ではない。"適正"な人民元安に誘導したいなら、「管理された為替相場」を手放せばいいだけの話だ。

ましてや最近、中国は株価下落を防ぐべく、あからさまな市場介入をしていることも話題になっている。そうした国の「金融自由化」という言葉を信じることはできない。 


◎変動相場制に移行しなければ人民元は国際化できない

「為替レートの基準値が市場実勢に近づくこと」と、「金融自由化」は異なる。金融自由化と言うなら、変動相場制に移行し、株式市場への介入もやめるべきだ。そうしなければ今後も恣意的な介入は続くと見なされ、世界各地の取引で使われるようにはならない。人民元の国際化には程遠い状況だろう。(泉)

(注:通貨切り下げとは、固定相場制を採用する国が、自国の通貨の価値が下がるように為替レートを変更すること)

【関連書籍】
幸福の科学出版 『富国創造論』 大川隆法著 
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=86

【関連記事】
2014年11月号記事 中国バブルはなぜ潰れない!? 恐ろしい「習近平の経済学」 - そもそも解説
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8463

2015年6月17日付本欄 中国人民元の実力 中国ウォッチャー・評論家の宮崎正弘氏に聞く(1)
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9763


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