トランプ新大統領の貿易政策(後編) グローバリズムの落とし穴
http://the-liberty.com/article.php?item_id=12522
《本記事のポイント》
・自由貿易の思想の根本には「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」がある。
・新自由主義には「愛国心」が欠如している。
・しかし、国家という共同体をつくることは人間の「第一の自由」。
前編では、日米のメディアが無前提に良いものとしている「自由貿易」が実際には弊害を生んでいること、「自由貿易か保護貿易か」というより、何が国を繁栄させるのかを政治家が考えることが大切だということを述べた。
トランプ大統領は20日の就任式でも以下のように述べて、アメリカを繁栄させるためにアメリカ第一主義を貫くとした。
「この瞬間から、アメリカ第一となります。貿易、税、移民、外交問題に関するすべての決断は、アメリカの家族を利するために下されます。ほかの国々が、われわれの製品を作り、われわれの企業を奪い取り、われわれの雇用を破壊するという略奪から、われわれの国を守らなければなりません」「私たちは、2つの簡単なルールを守ります。アメリカのものを買い、アメリカ人を雇用します(Buy American and hire American.)」
後編の今回は、トランプ氏を批判し、「自由貿易」を主張する人々の考え方の根本にある思想に迫ってみたい。
◎「自由貿易」を主張する「新自由主義」の人々
その思想とは、「新自由主義(ネオ・リベラリズム)」。これは、1970年代から80年代にかけて、アメリカやイギリスなどのアングロ・サクソン諸国を中心として影響力を強めた思想で、個人の自由と経済的価値を至上とする考え方だ。
自由はもちろん大事なのだが、この新自由主義には大きな問題点がある。それは、自由をイデオロギーとして守ろうとするあまり、国家を軽視し、グローバリズムを礼賛する傾向があることだ。
その根本の理由の一つは、新自由主義の思想に「愛国心」が欠如していることだ。ミルトン・フリードマンをはじめとした新自由主義者は、極端な言い方をすれば、国家を、「個人の自由と経済的価値のための道具や手段」としてしか見ていない。
だが、それでは、人間はお金など唯物的な価値のために生まれてきていると言うようなものだ。フリードマンだけではなく、その源流にあたる経済学を説いた哲学者ジョン・ロックや経済学者アダム・スミスの思想にもその萌芽はあった。
◎新自由主義の矛盾
その問題を感じ取った、ドイツの哲学者ヘーゲルは、こう喝破している。
「(国家の)最終目的を個人の生命と財産の保護にしか求めないのは、事の軽重を見誤った考え方です。生命や財産の保護が、生命や財産を犠牲にすることによって達成されるはずがありません」
つまり、新自由主義では、「国を守ることが大切だ」ということさえ説明できないというのである。
しかし本来は、「素晴らしい国を創りたい」という個人の熱意も、自由に含まれる。この自由は決して軽視されるべきではないだろう。ヘーゲルは、経済的価値を至上とする自由よりも、「共同体を創造することができる自由」を、「第一の自由」として尊んだ。
◎愛国心を持つのは自然なこと
そうしてできた共同体を愛する心の現れとしての「愛国心」を持つのも、人間として自然なことである。へーゲルは愛国心について、「日常の暮らしのなかで共同体を実質的な土台だと考え、それを目的として自然に生きる」こと、としている。
もちろん、中国や北朝鮮のように、自由を奪われ強制された状態での愛国心とは区別されなければならないが、よい意味での愛国心を持てることを、民主主義の原型ができたギリシャの哲学者アリストテレスは、「人間はポリス的動物だ」と表現した。ポリスとは「国家」を意味するギリシャ語。また「国家を必要としないのは、野獣か神だ」として、共同体を創ることができないなら、人間ではなく動物でしかないと言い切っている。
◎グローバリズムが全体主義につながる
トランプ大統領の考え方を理解する助けとなるのが、経済学者フリードリヒ・ハイエクの主張だ。ハイエクも自由主義者だが、フリードマンらとは違う立場に立つ。
ハイエクは、EUの統一通貨に反対し、各国は通貨発行権を持つべきだとした。EUのような国際機関が、国に命令する権力を持つべきではないと考えたからだ。
EUは国境をなくし、通貨も同じにしようということでできた機関。自由に国家間を行き来でき、自由に貿易もできるグローバリズムは、一見理想的に見える。だが現在、EUが通貨発行権を握っているため、各国は、その状況に合わせた独自の金融政策を実施できず、ギリシャのように経済危機に陥る国も出始めている。
グローバリズムが行き過ぎると、一様の価値観を押し付ける、全体主義的な支配に近づく。だが、それでは、それぞれの国民が自主的に理想の未来を創るという意味での「愛国心」を持てない。ハイエクはそれを知っていたと言える。
本物の国家意識と両立する自由主義を取り戻すべき時期に来ている。(了)(長華子)
【関連書籍】
幸福の科学出版 『繁栄への決断 「トランプ革命」と日本の「新しい選択」』 大川隆法著
https://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1785
【関連記事】
2017年1月18日付本欄 ダボス会議で習近平氏が初講演 矛盾だらけの「自由貿易」「グローバル化」
http://the-liberty.com/article.php?item_id=12470
2017年1月3日付本欄 トランプ大統領誕生を前に「グローバリズム」について考える
http://the-liberty.com/article.php?item_id=12422
http://the-liberty.com/article.php?item_id=12523
《本記事のポイント》
・文部科学省の幹部らが、同省幹部の天下りをあっせんしていた
・懲戒処分になった幹部の一部は、幸福の科学大学不認可の張本人
・やはり教育において「善悪の基準」を教えることが必要だ
教育行政への信頼を失墜させる出来事が起きた。
文部科学省の幹部らが、組織的に同省幹部の天下りをあっせんしていた問題で、吉田大輔元高等教育局長が、再就職先の早稲田大学に辞表を提出。この問題に関与していた前川喜平事務次官が責任をとって辞任するなど、大きな問題となっている。
政府の再就職等監視委員会が公表した調査結果によると、吉田氏は在職中の2015年7月、人事課の職員とともに履歴書を作成して大学に送付し、退職直後に採用面接を受けて再就職していた。国家公務員法では、在職中に利害関係がある団体への就職活動を禁じている。他にも再就職のあっせんに関わった当時の人事課長など、合わせて7人の幹部が停職や減給の懲戒処分になった。
こうした幹部たちが、天下りの実態を調べていた再就職等監視委員会に対して、ウソをついて不正を隠蔽しようとしたことも明らかになっている。また、人事課のOBを仲介役にして、再就職を世話する仕組みまで構築しており、組織ぐるみの不正と言わざるを得ない。
組織的に大学に幹部を再就職させていたならば、癒着関係を疑われても仕方がないだろう。こんな不正が行われていては、教育行政の透明性は保てない。
早稲田大学に天下りした吉田氏は、「高等教育局」の元局長。同局は、文部科学省の内部部局の一つで、大学の設置認可や私学への補助金交付などを所掌している。
◎極めて理不尽だった「幸福の科学大学」の不認可
約3年前の2014年3月、幸福の科学の教育理念のもとに創られた学校法人「幸福の科学学園」は、新たに大学を設立するために、文科省に申請を行った。
同学校法人側は大学設置審議会に出された数多くの「意見」に対して、真摯に説明を行い、申請内容の一部修正にも応じた。しかし、文科省は最終段階になって「霊言を根拠とした教育内容は学問として認められない」という新たな「意見」を突き付け、抗弁の機会も与えないまま、一方的に「不認可」とした。
しかし、幸福の科学大学は、大川総裁が説く教義をベースにした学問を構築することを目指すものの、霊言を教えるわけではない。実際、同学校法人が文部科学省に提出した申請書類には、「霊言に基づいて教育・研究を行う」という文言はなく、「霊言」という言葉さえ書かれていない。
それなのに、文科省や審議会は、「幸福の科学大学は霊言を教える」と主張し、国民にあえて誤ったイメージを持たせるような発表をした。
そもそも宗教教育を行おうとする試みを政府が阻止することは、憲法で保障された「信教の自由」「学問の自由」に抵触しており、許されるべきものではない。
さらに同省は、申請の最中に「不正行為」があったとして、同学校法人に対し、「これから5年間、幸福の科学大学の設置を認可しない」というペナルティを課した。
同省が問題視したのは、「審査途中において、創立者の大川隆法氏を著者とする大学新設に関連する書籍が数多く出版された」ことや、「今回の大学設置認可に関係すると思われる人物の守護霊本が複数出版された」こと、またそれらが審議会の委員に送付されたことなどだ。
しかし、「書籍の出版」や「書籍の送付」は、通常の宗教活動である。
◎幸福の科学大学が不認可になった本当の理由
実は、幸福の科学大学の申請を認可しないという判断に関わった文科省側の当事者は、今回懲戒処分になった当時の高等教育局長、吉田大輔氏と当時の事務次官、山中伸一氏だった。
正当な宗教活動を「不正」と断じる一方、自らは違法なあっせんによって再就職できる仕組みを作り上げていた。いったい、どちらが「不正」なのだろうか。
そもそも、こうした天下りの問題が起きるのは、文科省の役人が補助金を出す権限を利用しているからだ。退官後も大学に再就職して、その大学に撒いた補助金を自分の懐に回収できる仕組みを作ってきたことが、今回の一件で明らかになった。
幸福の科学大学が、度重なる審議会の「意見」に真摯に向き合いながらも、認可が得られなかったのは、補助金をバラ撒くことで思いのままになる大学ではない上に、文科省の役人にとって「天下り先」としてのメリットもなかったからではないだろうか。
もちろん、文科省の中には、真に日本の教育を良くしていきたいという思いで教育行政を担っている職員もいるはずだ。それゆえに、こうした不祥事が明るみに出たという面も確かにある。しかし、一部の国家公務員が、公益よりも私欲を優先し、不正や隠ぺいなどが横行していては、文科省に教育行政を任せることはできない。
教育の柱には、「何が正しくて、何が間違っているのか」という善悪の価値基準が必要だ。この価値基準のもとには、神々の教えがある。
しかし、今回の不祥事からも分かるように、大学の認可という重要な判断を下す官僚たち自身に善悪の基準がなく、宗教の尊さも理解していない。こうした人たちに、宗教大学の認可・不認可を決める資格が果たしてあるのだろうか。
幸福の科学大学が目指しているのは、宗教的な「善悪の価値判断」ができる人を数多く輩出し、そうした人々に国を引っ張るリーダーとなっていただきたいからでもある。文科省には、今回の不祥事を契機として、幸福の科学大学へのペナルティをさかのぼって無効化し、改めて認可を検討していただくことを望みたい。
【関連書籍】
幸福の科学出版 『永田町・平成ポンポコ合戦文科大臣に化けた妖怪の研究』 大川隆法
http://www.irhpress.co.jp/products/detail.php?product_id=1352
【関連記事】
2015年4月28日付本欄 幸福の科学大学に不当な通知 文部科学省の判断は憲法違反だ
http://the-liberty.com/article.php?item_id=9560
Web限定記事 不認可の幸福の科学大学、文科省が曲解した教育内容
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8977
2015年1月号 幸福の科学大学不認可は平成の宗教弾圧だ - 文科省・下村事件解散 Part.
http://the-liberty.com/article.php?item_id=8768