山に登りたい 

あの山にも、この山にも、もっともっと登りたい!

唐津オルレ

2017-12-19 20:30:54 | 九州オルレ・その他
2017年12月17日(日)曇り時々晴

英彦山四王寺の滝も気になるし、雪のくじゅうにも行きたいと思っていました。
毎日天気予報を見てはため息。風が強そうです。
何とか快方に向かわないかと、また天気予報を見る。
牧ノ戸のライブカメラも見る。何度も見る。
~しかし、お天気は回復しそうにありませんでした~~。

そこで、寒がりやで冬が嫌いなKさんと、軟弱者の私達とで、唐津オルレを歩いてきました。

まずフィニッシュ地点の「波戸岬駐車場」に車を置いて、8:59のバスでスタート地点の「道の駅 桃山天下市」まで来ました。
いかにも太閤殿下にふさわしい名前の道の駅ですが、観光協会に立ち寄ると、とても丁寧にオルレの話をしてくださいました。

9:30スタート

気持ちよく木々の間を15分歩くと、前田利家陣跡。
利家は、豊臣五大老の一人で、八千人の兵を率いて参陣。 名護屋城大手門から五百メートルという位置関係からも、秀吉との親密さがうかがえます。

古田織部陣跡
説明版によると、「平らな大きな石を間隔を空けて立て並べる、デザインチックな積み方」とある。
なるほど~~。茶人だった織部様はお洒落だったのかな。

オルレはいろんな道を歩かせてくれるので楽しい。

面白い木が並んでる。

スミレも咲いていた。

色が濃いけど、ヤマハッカかな。

昔話に出てくるような廃屋を見つけて興味津々、近寄ってみました。
土壁や、木組み、基礎などを見て、古いものだよね~と感心しきり。

堀秀治陣跡に着きました。

堀秀治は越前北の庄十八万国の武将で、十六歳で六千人もの兵を率いて参陣。
秀治自身は渡海せず、この陣で生活しました。

何しろ広大です。
広間、御殿、能舞台、楽屋、茶室、数寄屋跡などの遺構がありました。

四百年続く串道
「慶長肥前国絵図」に大きな道が二つあり、左側が太閤道、右側が諸大名の串道と推定されます。
ここを大名や兵たちが通ったのか~。
そこを今自分が歩いていると思うと感慨深い。

ツルソバがたくさん咲いていた。

こんなところも通って、

名護屋城跡に着きました。(文禄・慶長の役 1592~98)

わずか五か月で築城され、当時の大阪城に次ぐ規模を誇った名護屋城は、黒田官兵衛が設計したもので、立派な石垣が残っています。

17万平方メートルもの名護屋城の周囲には130以上もの諸大名の陣屋が構築され、20万をも超える人々が集まり、繁栄したと言われている。 
    
広い天守台

天守台から、遠く壱岐・対馬が見えたのですが、わかりにくいですね。
壱岐・対馬が見えることは珍しいらしく、嬉しい。

呼子大橋、可部島

名護屋城の大きさに驚きながらあちこち見て回って、また歩き始めます。

名護屋城図屏風絵にも描かれている麦原集落

菜の花ちゃん、ちょっと気が早いよ。

波戸岬少年自然の家

みかんを食べながら休憩して~、海が見えてきました。


上杉景勝陣跡は水仙ロードのよう。

島津義弘陣跡をすぎると~

波戸岬キャンプ場に出ました。

光る海


ちょっと下りて、黄昏る

柱状節理の絶壁

玄海原発も見えて、複雑な思いも。

この砂浜の先がゴールです。14:20

カキ小屋に着いて「いただきまーす!」

オルレの中ではアップダウンの少ないコースでしたが、寄り道したり、子ども用のアスレチックで大苦戦したりの、楽しい一日でした。
家に帰ってからも名護屋城のことを調べたり、歴史に思いを馳せました。

Kさん、大変お世話になり、ありがとうございました。
今年のまとめとしてブログアップされるとのこと、期待して待っています。

本日の軌跡


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