まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

JUDI忘年会

2010-12-22 01:04:45 | 建築まち巡礼東京 Tokyo

都市環境デザイン会議(JUDI)の忘年会をかねたまち歩きに参加しました。若干風邪気味でしたが、下町の路地や建築を楽しく見ることが出来ました(2010.12.18)。

とりわけ印象深いのが常盤小学校(1929年築)です。です。関東大震災の復興小学校の名作のひとつです。震災復興小学校は、後藤新平のもとで佐野利器などが計画の中心となり、表現主義的な建築スタイル、そして公園と一体化した平面計画などで知られています。中央区の計画で取り壊される運命にあったのを、この小学校で学んだ小沢宮城大教授他の人たちの粘り強い運動で今も現役を保っているそうです。近代建築保存の数少ない成功例です。

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しかし、驚いたことに、建築界の重鎮岡田信一郎や吉田五十八が関係しているというのが案内してくれた小沢さんの説。岡田、吉田のお二人とも東京芸大建築学科に深い関わりがありますが、ちなみに小沢さんも芸大OB。

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上の講堂にはトップライトがありました(右写真)。

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インテリアを見ているとデュドックなどオランダ建築も思い出されます。しかし、私がこの建物を見ていて頭から離れなかった建築が二つあります。

ひとつは、山形県鶴岡市旧大山小学校「オマル校舎」(1934年築)。ずいぶん雰囲気が似ています。次に示す階段室や、水のみ(足荒い)場も同じようなのがあったように思います。呼び名のもととなった円形の外壁をとっても表現仕儀の作品といえます。取り壊しになると聞いていますがどうなったのか?

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もうひとつは、たまたまその日の午前中に見た前田侯爵邸です。くしくも同じ年の竣工(1929年)。しかし、様式はまるで違います。

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イギリスのネオゴシックを簡略化したテューダー様式ということになる(解説看板)そうですが、同じ時代にこれほどまでに違う様式が共存していたというのはいまさらながら驚きです。もちろんすでに丸ビルなどのアメリカ式のオフィスビルも建っているわけです(1923年築)。1920年代前後は明治からの様式建築を守る人たち、日本古来の建築を現代的に発展させようという人たち、あるいはRCなどの新しい技術に対応した表現を見つけようとする人たちなど多くの価値観が入り乱れた時代です。

またヨーロッパではすでにアールヌーボーの時代が終わり、モダニズムにつながる新しい建築運動が各地に台頭しています。それらの影響も受けていたわけですから、本当にいろんな表現の建築が町に見られたことでしょう。さらに、先日紹介したRC造のJR青梅駅(1924)と同時期の国立駅(1925)は木造だったという構造の多様性についても思い起こしたほうが良いかもしれません。

JUDI見学会に同行してくれた曽根幸一先生が、「常盤小に関係した岡田信一郎は器用にどんな様式でもやってのける熟達のひとだったんだ」と教えてくれました。驚いたことに彼はこの直後にアメリカンボザール流の古典的な名作、明治生命館を作っています。すごい時代、すごい人たちの時代だったのです。