まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

8.まちを川に開くー川とくらしの風景ー

2024-12-24 12:12:32 | 地域風景の構想 design our place

8.まちを川に開くー川と暮らしの風景ー

川のあるまち

 私は四国は讃岐、高松市で育ちました。讃岐平野には大きな川がありません。まちの中にも目立った「川」と呼ぶようなものはありませんでした。小学校の時、隣の徳島県に列車で向かいました。間もなく徳島というところで、吉野川の鉄橋を通過したときには驚きました。列車が海に入ってしまったと思ったほどでした。広い川を初めて見たのです。また高知では町の中心部を流れる川(江の川)に橋の上から飛び込んで遊んでいるのをみて驚きました。飛び込めるほど深い水の流れがまちの中にあることが新鮮でした。大変うらやましい思いでした。

 この地域デザイン論で取り上げている鶴岡市や酒田市には、最上川や赤川という大きな河川があります。また、まちの中心部にもそれぞれ、内川と新井田川という川が流れています。大変恵まれた環境だと思います。川の流れは豊かな生態系をつくります。また舟による荷揚げや水の流れを使った作業にも利用されていました。魚市場や料亭なども面していました。川に関わる自然や暮らしのいとなみが、川と沿道が一体となった風景をつくり出しています。

内川再発見プロジェクトから内川学へ

 私が鶴岡の中心部を流れる内川に興味を持ったのは、東北公益文科大学の学生さんたちが行った「内川再発見プロジェクト」(2007)がきっかけです。「内川再発見プロジェクト」は内川の魅力や可能性を実感することを通して、内川の市民に対するイメージを変革すること、そしてその効果を検証することを目的とした社会実験プロジェクトです。2006年の慶応大学池田研究室との共同研究プロジェクト「地方都市の魅力の発見と創造」の延長上にあります。

 「内川再発見プロジェクト」は、河川環境を構成する道路や、護岸、水面、水中などあらゆる場所を使ってみようというもので、次の6つのプロジェクトから構成されています。

A 水遊びプロジェクト

B サウンドプロジェクト

C カフェプロジェクト

D ライティングプロジェクト

E 検証・広報プロジェクト

F 浮きのぼり

 幸い好天にも恵まれ、慶應池田研の皆さんとの協働プロジェクトは、大成功に終わりました。プロジェクトの効果も、橋脚の色が変わるなど、目に見える形で示されました。

 このあとは、内川再発見プロジェクト第2幕「明治の芝居小屋から」(2008)を経て、内川学1~10(2009~2019)へと繋がりました。その後は私たちの研究室の活動という位置づけを超え、生態系の研究者や、河川保護活動者、灯篭流しなどのイベントを行う方たちなど多くの方々を取り込んだ内川フォーラム(主催:公益のふるさと創り鶴岡)へと繋がり今日に至っています。

 

川の風景を変えていきたいという思い

 内川に関わる活動やイベントは、多くの人の参加で、継続しています。それだけ内川に対する鶴岡市民の強い思いを感じます。ただ、水面や護岸、沿道のまち並を統合する風景という点から見ると、まだまだ大きな課題があり、またそこに切り込めていないことを実感します。先述したように2007年の内川再発見プロジェクトの直後には、橋脚の「青い色」を歴史的環境になじんだ暗色に塗り替えてくれるなど、風景の一部が変わったことを実感しましたが、その後は必ずしも良い方向だけに進んでいるとは言えないのが実情です。

 例をあげます。かつて川に面した下写真のような住宅が多く見受けられました。川に面して多くの開口部があります。2階から川を見下ろす眺めを楽しんでいたのではないでしょうか。

 

 

(川に面した二階家:手前にある川への眺めを十分に意識した作りです)

 

こういう川に開かれた建築はまず見られなくなりました。下写真は近年建てられた建物です。開口の少ないくらい壁面は避けて欲しかったのですが、残念です。

(近年建て替えられた建物:川に面して広い敷地を持つので、この建物のイメージは大きく影響します)

 また、内川に沿った道路は都市計画道路になっており、近年拡張工事が進み、古い蔵などだけでなく、まちにとって大切な文化財的な価値を持つ建物も失われてしまいました。こちらも残念でした。

 残念なことで思い出すのは、酒田の方も同じです。酒田には、新井田川に面して素晴らしい風景があります。山居倉庫です。

(山居倉庫:新井田川の舟運、米の集散で栄えた酒田をしのばせる、高橋兼吉の名建築)

 この対岸にある酒田商業跡地では、事業コンペにより、川や山居倉庫を意識した意欲的な取り組みの提案が採択されました。ただ残念なことに、昨今の建築費の値上がりにより、極々普通の、大きなコンビニエンスストアのような建物が山居倉庫と対面することになってしまいました。関係者の方々も、事業費のせいで泣く泣く当初の案を変更したようです。

(酒田商業跡市の開発:当初案にあった意欲的なデザインはなくなったようです)

これからに期待すること

 少しネガティブな面を取り上げてしまいました。内川でもみゆき橋のたもとに、新しいかわいいお店が誕生したりと、風景の彩が加えられているところもあります。また若い人たちによるマルシェや映画会などもあるので、本当にこれからは期待できます。この論稿の最初に書いたように、内川や新井田川がまちの中にあるというのは、本当に恵まれていることだと思います。川の畔も含めた風景が、より深みと魅力を備えたものになることを、願い続けたいと思います。

地域風景を構想するー建築で風景の深みをー

1.はじめに

2.暮らしの環境を風景から考える

3.ときの中で考えるー奥行きのある風景ー

事例研究:日和山小幡楼

4.場所の文脈を知るー土地に根差した風景ー

事例研究:鶴岡市立藤沢修平記念館

事例研究:庄内町ギャラリー温泉町湯

事例研究:風間家旧別邸無量光苑釈迦堂ティーハウス

5.まちとの関係を作るーみちに展開する風景ー

事例研究:幕張ベイタウン・コア

事例研究:世田谷区就労支援施設すきっぷ

事例研究:府中崖線 はけの道の再生

6.営みの表象を守るー風景としてのまち並みー

事例研究:羽黒修験の里 門前町手向

7.まちかどの物語を聞くー風景との対話ー

事例研究:旧小池薬局恵比寿屋本店 登録文化財

事例研究:イチローヂ商店

8.まちを川に開くー川と暮らしの風景ー

事例研究:連続講座内川学

事例研究:鶴岡商工会議所

9.中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー

事例研究:鶴岡まちなかキネマ

 

高谷時彦

建築・都市計画

Tokihiko TAKATANI

architecture/ urban design

 

 


6.いとなみの表象を守るー風景としてのまち並みー 

2024-08-10 14:10:30 | 地域風景の構想 design our place

まち並みとはなにか

 風景を語るうえで、まち並みは避けて通ることができないものです。

 まち並みとは家屋や店などが道に沿って立ち並ぶ一団のまとまりを指しますが、例えば郊外の広い幹線道路沿いにファミレスやドラッグストアが並ぶ景観をまち並とは呼びません。また住宅が並んでいても、ハウスメーカーの企画住宅が並ぶ新興住宅地の家並みも一般的にはまち並みとは呼ばないようです。

 私たちが「まち並みが残っている」といって思い浮かべるのは、古からある街道沿いにある集落のまとまりや、歴史的な様式である町家建築が並んでいる通り、あるいは武家屋敷の塀や門がひとまとまりの雰囲気を共有しながら並んでいる情景です。また門前町や温泉街などはわかりやすいまち並みです。まち並みという言葉は、きわめて即物的な表現ですが、そこに含意されるのは、人々のくらしの歴史が感じられ、一定の調和のもとでの美しさ、心地よさなどが感じられるということです。

 「くらしの歴史が感じられる」と述べましたが、代官山集合住居群(ヒルサイドテラス)など、いわゆるモダニズム建築の作品でも、しっかりと地域の環境に溶け込み、落ち着いたたたずまいを貸し出している場合にはまち並みと呼ばれるようです。ただ残念なことに、それほど多くはないでしょう。

失われてきた多くのまち並み

 1970年ころから歴史的なまち並みが急速に姿を消したことは、すでに述べました。いろいろな原因がありますが、ひとつには、車社会への対応でまちの中にも広い道路を築造したことです。

 以前埼玉県深谷市のまちづくりを手伝ったことがあります。その時に旧中山道沿いの両側にレンガの袖うだつを持つ立派な町家が風格のある街並みをつくっていました。

ただ残念なことに間もなく道路拡張が予定されており、すべてなくなると聞きました。グーグルマップで確認した現在のまちの様子です。便利にはなったのかもしれませんが、「まち並み」はなくなったのでしょう。

 

まち並み保存創造の意味

 上記のようにまち並みが喪失される状況に対して、1970年代頃から様々な活動が生まれています。一つはデザインサーベイを通して、まちなみをきちんと記録しておこうというものです。また平行してまち並み保存の運動も盛んになりました。私の大学時代の師である建築家大谷幸夫先生は多くの活動を支援してこられましたが、なぜまち並み保存に関わるのか、その理由を語っておられる文章が残っています。

 大谷先生は、次のような趣旨のことを述べられています。

・・・まち並みにそのまちの人々のくらしが現れる。まち並みはくらしの表現でもある。まち並みにそこに関わる人たちの価値観が現れる。

まち並みを残すということは、人々のくらしを元気にするということ。自分たちのアイデンティティのよりどころを残すということ。

まち並みがなくなるということの意味は大きい・・・・

 まち並みとは、そこに暮らしている人たちの協働のいとなみを表象するものであり、その方たちの価値観の現れなのです。大谷先生の言葉には、まち並みの本質的価値が語られていると思います。

私の印象に残る手向のまち並み

 事例紹介で詳しく述べますが、手向集落は羽黒山の山岳修験の里です。山伏が住み、道者さんをもてなす宿坊が連なります。羽黒山麓の風土が生んだ集落でもあり、修験道といういとなみが生んだ集落でもあります。もちろん現代では宿坊以外のサラリーマン住宅なども多いのですが、一般の家にもお祭りの時の引綱などが飾られ、この集落の人々が修験道を大切にしていることが良く分かります。山から修行者を送り迎えする拠点となる小さな神社が部落ごとに配置されるなど、計画的な宗教集落としての相貌も見え隠れします。

 こういったまちなみを守るということは、大谷先生が言うように、修験道の暮らしを守るということであり、人々の価値観を守るということになります。こういったまちなみを守っていくことが、時の中で人々がつくり出したかけがえのない風景を守ることにつながるのだと思われます。

守ることも大切な創造

 私の専門は新築にしろリノベーションにしろ、建築や地域の空間に手を加えて、より高い質のものに変えていくというところにあります。しかし、優れた風景を守っていくことも、創造的な意味を持つと思っています。大谷幸夫先生が設計とともに、各地の街並み保存運動に深くかかわっていたことを、念頭に、守る活動を続けたいと考えています。

地域風景を構想するー建築で風景の深みをー

1.はじめに

2.暮らしの環境を風景から考える

3.ときの中で考えるー奥行きのある風景ー

事例研究:日和山小幡楼

4.場所の文脈を知るー土地に根差した風景ー

事例研究:鶴岡市立藤沢修平記念館

事例研究:庄内町ギャラリー温泉町湯

事例研究:風間家旧別邸無量光苑釈迦堂ティーハウス

5.まちとの関係を作るーみちに展開する風景ー

事例研究:幕張ベイタウン・コア

事例研究:世田谷区就労支援施設すきっぷ

事例研究:府中崖線 はけの道の再生

6.営みの表象を守るー風景としてのまち並みー

事例研究:羽黒修験の里 門前町手向

7.まちかどの物語を聞くー風景との対話ー

事例研究:旧小池薬局恵比寿屋本店 登録文化財

事例研究:イチローヂ商店

8.まちを川に開くー川と暮らしの風景ー

事例研究:連続講座内川学

事例研究:鶴岡商工会議所

9.中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー 

事例研究:鶴岡まちなかキネマ

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/ urban design

 

 


7. まちかどの物語を聞く:風景との対話

2024-08-08 22:45:20 | 地域風景の構想 design our place

7. まちかどの物語をきく:風景との対話

(1)気になる建物、まちかど

 私たちのまちの中には、周囲から抜きんでて強い印象を与えるランドマークと呼ばれるものがいくつかあります。鶴岡でいうと、歴史的中心部にあって、大きくて目立つ文化センター(荘銀タクト)のような建物、酒田でいうと、新井田川の橋詰に特徴的な屋並をつくる山居倉庫のようなものです。また鶴岡駅前にツインタワーとしてそびえる再開発ビル(マリカ東館と西館)、あるいは酒田駅前に高層のホテル、住宅と図書館などの文化施設の複合体、ミライニも代表的なランドマークです。

左は荘銀タクト(鶴岡)、右は山居倉庫(酒田)

 そういったランドマークが地域風景をつくるうえで、無視することのできない大切な要素になることは論を待ちません。ただ私がここで、扱おうとしているのは、まちのみんなが知っている目立っ建物(ランドマーク)ではなく、個人にとって「少し気になる建築」あるいは「ちょっと気になるまちかど」のことです。

 気になるまちかどの対象は人によって違うことになります。個人的な思い出に結びついている場合もあるでしょう。あるいは幼いときから大人になった今日までその前を通っているが、何か他の建物とは違うものを感じるという場合もあるかもしれません。

 私の場合は、どうしてもまちのところどころにある、歴史的なたたずまいを持つ建築が気になってしまいます。私は、2005年に東北公益文科大学大学院に研究室を持ちましたが、それ以来折に触れ鶴岡や酒田など庄内のまちをぶらぶら歩くようになりました。この地域は、空襲にあっていないこともあり、ポツンぽつんと面白い歴史的建築がある。そういう建築は、よそ者である私に、この地域はどういう歴史があり、また何を大切にしながら人々が暮らしているのかを語り掛けてくれます。

 例えば一つの気になる建築があるとします。私のようなよそ者の目に留まるということは、何か周りとは違う雰囲気を持っているということです。そういう建物には、曰くがあるはず・・・言い換えると作った人の特別の思いや、そうなったいきさつが閉じ込められているはずです。どういう人がどういう経緯でつくったのか、あるいはその後どのように使われてきたのか、知りたくなります。また大変手の込んだディテールがある場合。これは建て主の思いであったり、またつくった職人の気持ちが込められていたり、その両方であったりするでしょう。そこに込められた意匠の意味や、技法など、興味は尽きません。またそれが作られた時代性というのもあるでしょう。当然、素材や技法には地域の特徴が出ます。

 そのような様々な事柄を、建物は私に語り掛けてきます。そういう建築の声に、耳を傾けることで、私は庄内のまちを良く知り、関心を深めていくことができます。

 もちろん、歴史的建築だけでなく、気になるまちかどはあります。写真の建物は、「歴史的」というほど古いものではないと思いますが、とても惹きつけられるものがあります。この建築の場合には、設計者にあってお話を聞きたいというのが、私の気持ちです。

 これは地元の人にとっても同じだと思います。ふと気になる建物や街角の風景に出会ったときに、自分が何に惹きつけられているのか、立ち止まって考えてみることも、意味があるのではないでしょうか。そこからまちの歴史やくらしを知ることが、まちを誇りに思う気持ちにつながっていくはずです。

  自分の気になる建物や街角の声に耳を傾ける、そして語られる物語をより深く理解するために、その建物などについて詳しく調べてみる・・・そういった活動をすることで、いつもの見慣れた風景の中に特別の彩を見出すことができます。風景との対話により、自分とその場所とのかかわりをより深めていくといってもよいでしょう。

 戦災に会わず、歴史的なものが多く残るまちには、多くの気になる建物や場所との出会いがあります。鶴岡のまちで、私が気になり、また研究室で長くかかわることになったのが次の2つの建物です。

 

(2)旧小池薬局恵比寿屋本店(参考:事例研究)

 鶴岡の中心部を、市役所でまちづくりの先頭に立っているHさんと歩いていた時のことです。ふと、古い薬局があることに気付きました。RCの建物で、いわゆるアールデコの意匠を纏っています。1930年代前後からはやったスタイルです。鶴岡にもあったんだ、面白い建築ですねと、Hさんに話したら、彼も面白がって、中を見せてもらえるか頼んでみますといって中に入っていきました。彼は私とは違い行動派です。

 そこから、私と旧小池薬局恵比寿屋本店の付き合いが始まりました。オーナーの小池F子さんが誇らしげに語ってくれた昔話を聞いてまず驚きました。この小池薬局が、薬の「宝丹」を東北一売ったというのです。宝丹は(株)守田宝丹が明治期に売り出したお薬で、日露戦争では「征露丸」とともに兵士が常用した薬です。

 私は大変驚きました。東京の上野にある守田宝丹の本店ビルを設計したのが私だったからです。不思議な縁を感じました。自分がこの旧小池薬局恵比寿屋本店を通して、この地にもつながっていることを感じました。

 その日をきっかけにF子さんから、守田宝丹から送られた立派な看板のことを伺ったり、建物の中も見せていただけるようになりました。残念なことにF子さんはしばらくして亡くなられ、新しいオーナーさんが建物を引き受けられましたが、大変価値のある建物なので、引き続き調査をさせていただき、国の登録文化財にすることができました。

 地元でも建物の価値を認識してくださり、市民や商店街、地元建築士会の皆さんと活用策を愉しく考えるイベントを催したりしました。今は、商店街の若い方々が中心になり、様々な催しで活用しています。

 私たち研究室でやれたことは「建物の価値を明らかにして、みんなに知ってもらう」ということだけでした。建物の価値については簡単な所見にまとめました。教育委員会と相談し、オーナーさんの理解も得たうえで、数年前に国の登録文化財に申請しました。

 大切なのは活用していくことですが、今後の地元の若いまちづくりリーダーの方々の活動に注目しています。

 

(3)イチローヂ商店(参考:事例研究)

 私が大学に研究室を持つ以前、初めて鶴岡に来た1990年代から気になっていたのがイチローヂ商店です。

 内川にかかる大泉橋のたもと、橋詰めにある不思議な3階建ての建物です。3階建ての塔状の洋館と、後ろにある2階建ての和館が組み合わされています。赤いトタンで覆われている洋館の1階は陶器屋さん。木造の和館はお住いのようです。

 調べてみると、昭和初期に橋をかけ替えたころに、三階建ての洋館はできていました。背後の和館はその前から古い写真に登場していました。中の構造を調べると、道路側にある3階建ての洋館の一部は、和館の構造体の上に不思議な形で載せられていることが分かりました。

 洪水で流されて新しく鉄筋コンクリート造の橋ができるのに合わせて、どうしても3階建ての洋館を建てたかったのだろうと思いました。木造建築がほとんどの時代に、3階建ての洋館は目立ったはずです。しかも橋詰というのは、まちにとっても特別な場所です。橋に面したコーナーには立派なショウウインドウがありました。

 この建物には、洋館を建てた方の息子さんと思われる方が住んでおられましたが、私が鶴岡に関係するようになった頃、お亡くなりになりました。このままだと空き家になり、取り壊しになる可能性が高いと思われました。

 私たちは、地元商店街の方々や、建築士会の人たちと建築調査をするとともに、空き家になる運命にあった建物の再生計画を立てました。ただ、この敷地のうえには都市計画道路が都市施設として指定されており、木造2階までしか建てられないことが分かりました。木造3階建てのこの建物は建築基準法でいう既存不適格建築であり、大規模な改修はできません。大きなハードルを前に、どうすればいいか頭を抱えることになりました。

 そんな折、土地と建物を買ってくださる方が現れ、貸しスペースとしての改修が行われました。建築基準法をどのようにクリアしたのかは、わかりませんが、残念なのは、洋館の外観なども「和風」になり、川に向いたショウウインドウもなくなってしまいました。もちろん壊されなくてよかったという思いですが、それまでの「異彩の輝き」が、全くなくなってしまったことは残念でした。

 しかしこの大泉橋の橋詰に不思議な建築物があったということは、人意図の記憶に残り続けると思います。橋詰というのは、日常空間であるまちが、川という異空間と出会う場所です。鶴岡出身の藤沢周平氏も橋詰という場所の特異性を前提に、男女の出会いの物語を描いています(藤沢周平1983『橋物語』)。今後、どういう物語が、この橋詰で生まれていくのか・・・そう思うと、この場所は、私にとって気になり続ける場所であり、多くの人にとっても多彩な物語を聞くことができる場所であり続けると思います。

(4)まちかどの物語を多く持つこと

 最近長野県の松本市を訪ねました。訪れて驚いたのは、実に「気になる建物」がまちにあふれていることでした。私のような一介の旅人にも、多くのことを語り掛けてくる建物が、たくさんあるのです。

 わかりやすい例を挙げると、下のようなミニお城建築。

 当然賛否はある(私は賛の方です)でしょうが、いつだれがなんでこんな建築をつくったのか、知りたいと思いました。市民はみんな知っているのかもしれません。ただ中途半端な気持ちでつくれるようなものではないので、つくった方の並々ならぬ気持ちが伝わってきます。こういう建築のいきさつを多くの人たちが賛否を含め共有できることが大事だと思います。

 もう一つだけ例をあげます。玄関わきに洋館がくっついています。

 

 仮に先ほどの例が、「お城を商店の上に乗せるのはおかしい」といわれるのであれば、この建築も「和館にとってつけたような洋館はおかしい」となると思います。しかし、玄関わきに洋風の応接室をくっつけることは、大正から昭和初期にかけて大流行でした。したがって私たちの目にもある意味おなじみなので、不思議な感じはしないのだと思います。

 良い悪いという論争も楽しいのですが、いずれにせよ、松本のまちには、このような気になる建築であふれていました。またそれらがみんな、きちんと活用されています。歩いて楽しいまちです。

 まちの中に、それぞれの人が気になる建物やまちかどがたくさんあり、それに親しみを覚えるとしたら、その人とまちは、深くつながっていくのではないでしょうか。そういうまちに、人々は愛着を感じ、大切にしたいと思っていくのだと思います。

 私の場合には、建築になってしまいますが、人によってはお店(の食べ物や売っているもの)だったり、橋や樹木だったりするのかもしれません。また、まちの名物おじさんが気になるという場合もあるでしょう。気になるまちかどを多く見付け、それとかかわっていくことで、まちともっと繋がっていきたいものです。

 

地域風景を構想するー建築で風景の深みをー

1.はじめに

2.暮らしの環境を風景から考える

3.ときの中で考えるー奥行きのある風景ー

事例研究:日和山小幡楼

4.場所の文脈を知るー土地に根差した風景ー

事例研究:鶴岡市立藤沢修平記念館

事例研究:庄内町ギャラリー温泉町湯

事例研究:風間家旧別邸無量光苑釈迦堂ティーハウス

5.まちとの関係を作るーみちに展開する風景ー

事例研究:幕張ベイタウン・コア

事例研究:世田谷区就労支援施設すきっぷ

事例研究:府中崖線 はけの道の再生

6.営みの表象を守るー風景としてのまち並みー

事例研究:羽黒修験の里 門前町手向

7.まちかどの物語を聞くー風景との対話ー

事例研究:旧小池薬局恵比寿屋本店 登録文化財

事例研究:イチローヂ商店

8.まちを川に開くー川と暮らしの風景ー

事例研究:連続講座内川学

事例研究:鶴岡商工会議所

9.中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー 

事例研究:鶴岡まちなかキネマ

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

 


9. 中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー

2024-06-08 22:05:46 | 地域風景の構想 design our place

中心部の風景

 地方都市における中心部の疲弊が激しいことは誰もが実感していることと思います。私がこの数十年深くかかわっている山形県庄内の中心都市である鶴岡市や酒田市なども同様です。

 都市全域で人口が減少するだけでなく、車での生活を前提とする若い世代はどんどん郊外の車で移動しやすい住宅地に移っていくので、中心部は老齢化が進むと同時に、都市の中でも最も人口減少が著しい地域となります。また買い物は週日も週末も郊外の大規模なショッピングセンターや幹線道路沿いに並ぶ専門店となるので、例えば鶴岡のような城下町では、江戸時代から続く商店街も、今や商店街と呼ぶのをためらわざるを得ないような状況です。

 また、お城の周りの武家地の一部は公共施設用地となりますが、多くはお屋敷として良好な住宅地をまちの中に形成していました。しかし狭く鍵の手に曲がる車では使いにくい道路網を持つ屋敷地は、若い世代には敬遠され、手入れのされないうっそうと緑に覆われたさみしいお屋敷街になりつつあります。

 これまで、多くの地方都市では、お城、その周りの武家地、町人地(商業地)、寺社地というまちの構造が引き継がれてきました。そしてそこに人がくらし、日常でもまたお祭りなどの晴れの場でも、様々な活動を積み重ねてきたこと、それが人々の記憶や物語となり、まちの構造とともに、受け継がれてきました。そういった目に見えるものと見えないものが相まって、自分たちがここに生まれ、ここに帰属しているという意識を生んでいたのだと思います。

 ところが、中心部から人が去り、くらしの環境としての実態を失うことで、まちの姿は失われ、それとともに人々の記憶も薄れ、まちへの結びつきも薄まってしまいます。

 住み、暮らす場としての中心部はどうすれば維持されるのでしょうか。

「中心部再生」や「歩いてくらせるまち」は行政のエクスキューズ?

 このような状況の中で、「中心部再生」や「歩いて暮らせるまちづくり」(ウォーカブルシティ)が日本全国で標榜されています。

 地方都市においては、今でも働く場所や学校の多くは中心部にあります。そのため郊外から車で中心部に通勤する人も多いので、朝夕は渋滞します。渋滞するのはある意味では「歩いて暮らせるまちづくり」のチャンスです。それを機に、中心部と郊外の移動を公共交通で行い、中心部では歩いて活動することを選択してもよいのです。しかし、実際には中心部でも道路を拡幅して、郊外からの車の円滑な流入を進めています。道路の拡幅工事で多くの歴史資産が壊されている光景もしばしば目にします。

 スローガンとは裏腹に、実際に行われていることは、車で便利に暮らせるまちづくり、あるいは車でないと暮らせないまちづくりです。「歩いて暮らせるまちづくり」などのスローガンは、政府の地方創生の方針に沿っていることをアピールする手段以上のものにはなっていないのが実状でしょう。もし本気で「歩いて暮らせるまちづくり」に取り組むのであれば、行政職員だけでも、自家用車通勤をなくすべきでしょう。そういう試みに挑戦することを通して、様々な課題が見えてくると思います。隗より始めよです。

 現実はこのような状況です。まちの中に増えるのは空き家、空き地そして駐車場です。

 行政が本気で中心部再生に取り組んでいない原因は、まちに住み、歩いてくらすという暮らしと、それを支えるまちの姿のイメージが見えていないことにあると思います。言い換えるとまちなかに住み、暮らす「良いイメージ」、魅力ある中心部のイメージが市民に共有されない限り、行政も本気になることはないでしょう。

まちらしい生活とは何か、中心部に暮らす楽しさ

  中心部再生に向けて、基本となるのは多くの人に中心部に住んでもらうことです。人が住んでいないことには、中心部の再生もなにも始まりません。これには、公共交通整備とそれにリンクした居住誘導施策が必要ですが、それに加えて、まちが、住み暮らす場として魅力的であることが必要です。そのために今のさみしいまちを活性化することが求められるのですが、まちの中に昭和の時代のような商店街を中心とした賑わいを求めるのは現実的ではありません。活性化=商業的賑わい(Revitalization)ではなく、生き生きとしたくらしの場所をつくること(Activation)を目指したほうが良いと思います。まちに楽しく暮らすとはどういうことなのか、少し具体的に考える必要があります。

住み、働き、学び・楽しみ・交流する場所としてのまち 

 まず住まいです。これについては、別にきちんと考えないといけない大きなテーマですが、私の中で、鶴岡市や酒田市の中心部の居住イメージとしてあるのが、街区の中央部にコモンズを持った住まいの集合です。鶴岡も酒田も歴史的な市街地構造を持っており、基本は町家が並ぶ 短冊状の敷地で中心部ができています。中心部には共有の空き地である会所地があり、バックヤード、オープンスペースとして機能していました。昔の町家に戻すことはできませんが、敷地割りを活かしたまま、背後の共有コモンズを共同の駐車場や子供の遊び場などにした集合のあり方を考えています。コモンズの形は整形ではなく、へびたま状のものになるでしょう。コモンズは駐車場にもなりますが、一人一台という現状のままでは無理で、一家族一台に限定します。働く場が中心部にあり、徒歩や自転車、あるいは現在好評の循環バスなどを利用して通勤するというライフスタイルを想定しています(イオンへの買い物やレクリエーションに車が使われることまでは制限できません)。

 働く場所は、すでにあるものに加えて中心部に多くある空き家の活用をイメージしています。若い人たちが小さなお店をつくったり、コワーキングスペースにしたりとすでに、モデルはたくさんあります。中心部に、可能性のあるスペースが多く用意されています。

 そして学び・楽しみ・交流(ソーシャルインターラクション)する場所です。まちの魅力の一つは、郊外や農村地域にはない、まちらしい刺激やアクティヴィティが濃密な空間が多くあるということです。鶴岡の生んだ小説家藤沢周平氏の文章の中にとても印象に残る一節がありました。鶴岡の郊外に住んでいた小菅留治(藤沢周平)少年の楽しみが、親戚に連れられて、時々訪れるまちの中で書棚一杯の本に触れることだったというのです。まちというのは日常生活にあって、ほんの小さな晴れの場、知的な刺激、楽しみに満ちた晴れの場所だったのです。

 まちらしさや、目指すべきまちの魅力を簡単に規定することはできませんが、その一つには、文化的なものとの接触機会の多さにあると思います。小菅留治少年が感じていたように、村で壁いっぱいの図書館を維持するのは無理です。どうしてもそれはまちの役割です。

 また、仕事についても新しいアイデアで新しいものを生みだすのは、様々な知の交わる場所であるまちの役割だと思います。例えば、大学の知、専門家の知、職人の知、生活者の知など様々なものが接触し、新しい知を生んでいくのがまちです。伝統的な技術や職人の技と、革新的なテクノロジーが出会うことも期待できます。

 上のような機能を持つ場所として、文化的コモンズが必要だと思います。文化的なコモンズとは「文化的なつながりを求めて人々が集まれる場所」(地域創造 2014)で、復興から立ち上がる東北の地でも不可欠なものであったことが論じられています。美術館や劇場や映画館、コンサートホール、大学、図書館、イベント会場、公民館、そして飲食施設なども加えてよいと思います。

 また広場も文化的コモンズです。先日コンパクトシティとして成功している富山市を訪れましたが、商店街のど真ん中の一等地にだれもが集まれる広場を設けています。また以前は広い自動車通りであった大手通を細長い広場スペース・大手モールとしてそれに面する複合文化施設・富山市民プラザの前広場と一体的に活用しています(この二つは建築家槇文彦氏の提案によるもので、私も以前槇事務所の所員として担当したので思い出深いものです)。 

 以上のような施設はすでに、鶴岡や酒田の中心部にはあると思います。課題はこういった施設をアクティベイトして、みんなの居場所となるようにしていくことです。こういったことを通じて、中心部を文化的な刺激に満ちた場所として、再生するのが一つの道筋だと思います。

歴史的建築を文化的コモンズに再生すること

 中心部は、そのまちの歴史や物語を体験し、まちの歴史文化的なアイデンティティ確認の場所といえます。そのためには歴史的建築や、まち並み、お祭り、またさまざまな習俗や季節ごとの行事や作法などが中心部に残っていないといけません。歴史的なものが残っていない中心部には魅力がないでしょう。ノートルダム寺院のないシテ島は、想像できません。

 私は、中心部に文化的コモンズを増やしていくうえで、歴史的建築を活用していくことが、大きな効果を生むと期待しています。歴史的建築での多様なものの交流の中から新しいものを生まれていくことが、そのまちらしい活力を生むことでしょう。

 そういった歴史的建築の文化的コモンズへの再生は、公共が担うこだけでなく、民間が担うこともあり得ます。社会的課題を企業的視点で解決する社会的企業がその主体になることもあると思います。またもう少し小さな場では、「個人が作るパブリックスペース」的な発想で活動する若者もいるので、そういったか都度にも期待したいものです。大資本がかかわる中心部再生とは全く異なる新しい中心部の風景が生まれるのではないでしょうか。

 

参考文献

佐々木秀彦2024『文化的コモンズー文化施設が作る交響圏』みすず書房

田中元子2017『マイパブリックとグランドレベル』晶文社

(財)地域創造2014『災後における地域の公立文化施設の役割に関する調査研究報告書ー文化的コモンズの形成に向けてー』(財)地域創造

地域風景を構想するー建築で風景の深みをー

1.はじめに

2.暮らしの環境を風景から考える

3.ときの中で考えるー奥行きのある風景ー

事例研究:日和山小幡楼

4.場所の文脈を知るー土地に根差した風景ー

事例研究:鶴岡市立藤沢修平記念館

事例研究:庄内町ギャラリー温泉町湯

事例研究:風間家旧別邸無量光苑釈迦堂ティーハウス

5.まちとの関係を作るーみちに展開する風景ー

事例研究:幕張ベイタウン・コア

事例研究:世田谷区就労支援施設すきっぷ

事例研究:府中崖線 はけの道の再生

6.営みの表象を守るー風景としてのまち並みー

事例研究:羽黒修験の里 門前町手向

7.まちかどの物語を聞くー風景との対話ー

事例研究:旧小池薬局恵比寿屋本店 登録文化財

事例研究:イチローヂ商店

8.まちを川に開くー川と暮らしの風景ー

事例研究:連続講座内川学

事例研究:鶴岡商工会議所

9.中心部にコモンズをつくるーもう一つの風景ー

事例研究:鶴岡まちなかキネマ

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design

設計計画高谷時彦事務所/TAKATANI STUDIO