横浜市役所で開催された槇文彦展を見てきました。
槇文彦氏は長く、横浜で建築設計や、都市デザイン活動を続けてこられました。1960年代の半ばにアメリカから帰ってこられ、丹下研の先輩である浅田孝さん主催の計画事務所を訪ね、そこで田村明さん(のちに横浜市で都市デザインを創始し主導)を紹介されたことが、横浜との長い付き合いの始まりだということです。そのことは、会場の動画で槇さん自身が語っておられます。蛇足ですが、横浜市役所は、槇さんの設計です。私が訪れたのは展覧会最終日の日曜でしたが、市役所の低層階はほとんどすべてが市民に開放されており、にぎわっていました。いわゆる「休日の役所」といった風は全く感じられません。ギャラリーもアトリウムに面した2階にあります。ここまで市民に開くということは公共建築に対する槙さんのお考えに基づくものだと思います。
展示場では思わぬものに出会いました(下写真)。槇事務所が横浜市に提出した、都市デザインの報告書の数々です。
私は、槇事務所のアーバンデザインチームとして13年間、修業させていただきました。しかし当時の都市デザインレポートは一つも持っていません。大変懐かしい思いで、手に取ってみました。何十年かぶりの再会です。何枚か写真を撮りました。下写真は道路空間を機能的にとらえるだけでなく、意味論的なアプローチが必要だ・・・などということをひつこく書いています。槇さんが時々お使いになっていた「情景」という言葉を頼りに、論を組み立てています。
下写真は、実現はしませんでしたが、港北ニュータウンの住区のスタディです。展示してあったので写真の公開に差し障りはないとは思いますが、小さく表示しておきます。発注者である都市デザイン室の方々に賛同いただこうと、いろいろな説明を用意しています。
以上は、個人的に懐かしい出会いの話です。展覧会ではもう一つ、「発見」もありました。
会場では、横浜市役所について槙さんが説明する動画が放映されていました。いつものように、槇さんの説明は、市民にとってどのような体験や意味を持つ場を用意したのか、あるいはこの建築が持つ社会性をどのように表現したのかという点が中心で、形態や空間の組み立てかたについてのご自身の意図にはあまり触れられておられませんでした。ただ、URアイランドタワーと市役所の全景を説明するときにお使いになるのが、本町通りから桜木町方面を見たスライドであることに、気づきました。下のようなアングルです(もちろんもっとちゃんとした美しい写真です)。
ここに、槇さんが形態について、お考えになったことの多くが集約されているのかなと思いました。そういう目で、会場にあった模型を見ると、今までわからなかったことが色々見えてきました。下写真のように、本町通りに沿って、壁面や、ボリュームの細やかな操作が行われているのです。アトリウムの位置は地下鉄出口との関係で決まっているのだと思いますが、そこにアトリウムを持ってくることで、多様なボリューム形態とまちに対する壁面角度をうまく調停しているということが、ようやくわかりました。
大きな収穫のあった、展覧会でした。
展覧会の後は、大岡川沿いのテラスで一杯。ビールを飲みたくなるような、暫くたたずんでいたくなるようなお役所をつくってくださったんですね。