まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

能登の今を訪ねる(2)

2024-10-31 12:29:40 | 建築まち巡礼中部 Chubu

宿泊は、珠洲の観光スポット見附島のすぐ近く。見附島も海側が大きく崩落してしまいました。

地盤レベルが大きく変わってしまっています。

海との関係を見ても、おそらく土地の全体が上がっているように思われます。テトラポットなどもすべて水面上に出ています。

そして、周りの集落も、地震と津波で大被害を受けています。道路は海岸線と平行なので、道路に並ぶ家々は海岸線と直交するように建っています。おそらく津波が通り抜けたのだと思います。

倒壊した家もたくさんあります。

道路の中央部にはマンホールが飛び出しています。

まったく復旧は手付かずというように見えます。私たちは、水道も復旧した宿に泊まることができましたが、住民の皆さんにとっては、正月から困難な状況が絶えることなく続いているのです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design


能登の今を訪ねる(1)

2024-10-30 19:22:01 | 建築まち巡礼中部 Chubu

かみさんの ● ● 歳の誕生日は、今の能登を見たいという本人の希望に沿ったものになりました。

七尾線輪島駅を起点に能登の旅が始まります。

とはいえ、七尾線、今は穴水が終点。2001年に廃線になりました。

駅から朝市通りのある海辺の方を目指します。早速飛び込んでくるのが、倒壊した住宅です。右側の建物の1階が崩壊し、2階が地面に近いところにあります。元あった位置は、屋根の切妻の形状が3階建て建物の壁にきれいに残っています。まだまだ、解体作業も進んでいないようです。

町を歩くと、3階建ても目立ちます。比較的新しい建物だと思いますが、大きな被害を受けていない場所もあります。1層目の下屋の軒がそろい、基本的には切り妻、妻入りの町家(風)建築の並ぶ、落ち着いた街並みだったことが分かります。

こんな理容室もあります。どんな髪型にしてくれるのでしょうか。楽しそうです。

平面的には、間口が狭く奥行きの深い町家の形状で、3階建ての建物もあります。坪庭もあります。なかなか見事です。とは言え手前は空き地になっています。

鉄骨で梁を補強している家屋も倒壊しています。1層目がせん断力で倒壊したのでしょう。

海をめざして少し歩くと、テレビで何度も見た、五島屋ビル。7階建ての地上部は、元の姿をとどめています。

反対側から見ても、地上部は大きな構造的損傷がないことが分かります。

報道で伝えられているように、杭と基礎構造であるフーチングが分離したのが転倒の要因でしょう。下写真で見るように1階柱脚とフーチングも離れているようです。地中梁を見ると、主筋は異形鉄筋ですが、スターラップなどは丸鋼で、被りも極めて小さいことが分かります。

 

朝市の通りは、下記のよう。震災から10ケ月経っているのに、まだまだ復旧の緒についたばかりのようです。

本当に、大変な状況です。言葉を重ねても、どうしようもありません・・・・。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture /urban design

 


高松:あわただしい帰郷

2024-10-17 16:12:50 | 建築まち巡礼四国 Shikoku

所用で、あわただしくふるさと高松を訪問。船で瀬戸内海をわたり、高松に帰るのが、私の第一希望ですが、なかなかそうはいきません。少なくとも瀬戸内海を渡って四国に戻りたいということで、いつもは列車利用です。しかし、今回は、急ぎ旅ということで、飛行機で高松入りしました。高松の南の方にある空港から、瀬戸内海を北に望みます。正面に女木島、東手に屋島、間に豊島や小豆島が見えます・・・この風景を見ると、「帰ってきたな」と実感します。

 

所用の合間に、通っていた高校の廻りの建築群を巡ってみました。まずは県庁。

 

丹下先生のマスターピース。何度見ても、飽きることがないですね。コンクリートの打ち放しの美しさは、同時に型枠の美しさでもあります。杉の小幅板で組まれた型枠自体が、神社仏閣の木組みのような精緻な美しさを持った一つの作品であったと聞きます。

 

いつも同じような写真を撮ってしまいます。

県庁の前は、文化会館。こちらは大江宏さんらしい、和の建築。流さんの彫刻も、昔からあったと思います。

少し南に歩くと芦原義信先生の旧県立図書館。スキップフロアの足元が抜けたような開放的な雰囲気が、新鮮でした。自習によく来てました。ここも確か打ち放し仕上げでしたが、塗装をされてしまったのが残念です。きれいな打ち放しを保つよりも、仕上げ塗材で覆う方が維持管理は安くなるのは分かるのですが・・・・。

商店街の方に向かうと百十四銀行本店。日建設計の名作だと思います。高層ビルで、この質感、なかなかありません。またぬるっとした面材、シャープな線材、リズム感のある構造要素等、巧みな組み合わせです。最近の高層建築でこれだけの、機能性を持った美しさを感じることはあまりないのは、私だけでしょうか。

 

すぐ近くには喫茶城の眼。県庁職員として、丹下先生に協力し、のちに瀬戸内民俗資料館やイサムノグチ邸などの名作をつくった建築家、山本忠司さんの作品と聞いています。これまで入ったことがなかったので、中をちょっとだけ見学。

お客さんが大勢いましたが、空いてるところは撮影OK。長くゆったりと滞在できる喫茶店です。石(スピーカーが彫り込んであります)や厚い板の使い方など骨太のデザインが、オリンピックアスリートでもあった山本忠司さんの大きくがっしりした体つきを思い出させます。県庁でも感じましたが、最近一世を風靡した感のある建築家による、ペタペタ貼り付けるだけの木の使い方とは遠いところにあるデザインです。

この後、そのまま歩いてホテルに向かいました。ホテルの前には再び丹下先生。

取り壊し予定と聞きます。何としても、のちの世代に継承してほしいものです。

次の日は(私にしては)朝早く起きて、海岸沿いに高松港まで散歩。朝日町の四国ドック、造船所。この風景は私の小学校時代とあまり変わっていないように思います。造船所の向こう側には国鉄や専売公社の官舎が立ち並び、同級生が大勢住んでいました。

この辺り(下写真)右手が東浜。ここから左手の北浜の方にぶらりと歩きます。

北浜の方に来ると、面白いお店が何軒もできています。

下写真は、建築模型がたくさん飾ってあるので、建築関係の事務所、スタジオ。この辺りのまちづくりに関わっているのでしょう。いいですね。

東を振り返ると、再び四国ドックが見えます(下写真)。その向こうに屋島。

 

 

西の方を見ると、高松港とJR高松駅方面です。高層建築のあたりが駅です。昔は列車がそのまま連絡船に乗っていたので、鉄道駅と港は、私にとっては同じ場所という認識でした。手前左が高松城。月見(着見)櫓が見えます。私が通っていたのが城内中学校・・・今はありません。

大変珍しい海に面した水城(海城)でした。着見櫓は海に面していました。明治以降の埋め立てにより、お城が海と離れてしまいました。それでも、以前は、上写真の右手が船着き場だったので、城と海が近いという雰囲気があったのですが、今は公園になったので、逆に海と少し離れた雰囲気です。今更、埋め立てた土地を海に戻すことはできないでしょう(不可能ではない?)が、上写真の車道を狭めて、緑を豊かにすることで、お城の緑が海に接続しているような空間づくりは十分可能です。

港に到着。

確か豊島に向かう船でした(上写真)。外国人観光客も乗り込んでいました。瀬戸内芸術祭の期間かどうか、把握していませんが、外国人観光客はたくさん見かけます。

ところで、後ろに見える高層建築・・・どうでしょうか、景観として。

古い話で恐縮ですが、私が大学のころまでは高松港に着くときに連絡船デッキから見える高層建築は、先ほどの県庁(丹下先生)と百十四銀行(日建設計)だけでした。そしてその向こうに栗林公園の山である紫雲山が見えていました。さらにその背後は阿讃山脈・・・昔話をしてもしょうがないですね。

 

(上写真)舟は正面に見える女木島、男木島の東側を通り、豊島・小豆島方面に進んでいますね。

・・・ということで、散歩は終わります。

ホテルでの所用を終え、再び、高松空港。最後にまた瀬戸内海が見られたことがラッキーでした。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design