まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

小樽運河、建築めぐり(2)

2018-11-11 18:25:01 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 

このあたりは「北のウォール街」。銀行建築が集中しています。まずは拓殖銀行小樽支店。1933築のRC造。矢橋賢吉の設計。当時銀行の上部は貸事務所だったそうです。バブル期にはシーユーチェンのプロデュース、ナイジェルコーツ設計のホテルとして話題を呼びました。残念ながら今は、宿泊できません。

 

 

近くには日本銀行小樽支店。辰野金吾、長野宇平冶、岡田信一郎だそうです。様式建築の名手ぞろい。

外壁には、知恵の象徴、ふくろうがとまっていました。

 ここから南東、南小樽駅方面に向かう道は観光ロードと化していました。

 

 外国の方も大勢いらっしゃいます。小樽はかつて20万都市でしたが、いまや12万人を割っており、人口減少が止まらない地方都市の典型です。しかし、一方で観光客は年間800万人も来ており、宿泊も70万泊ということです。

途中で木骨石造建築のお店にはいってっみると中がうまく改装されていました。

耐震補強もしながら使い続けるためにはこういった、ある意味では大胆なリノベーションも必要だと思います。喧騒の観光ストリートを抜けて坂を上ると、こんな豪邸もあります。

 

右手、南側には立派な庭がありそうです。明治39年築、木造の豪邸。

ようやく駅に到着。駅もなかなか渋い。

(continued) City walking in Otaru-City.

高谷時彦 建築・都市デザイン

東北公益文科大学大学院 鶴岡・山形

設計計画高谷時彦事務所 東京

Tokihiko Takatani Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University, Tsuruoka-City Yamagata pref.

Tokihiko Takatani Studio Architecture/Urban design

 

 

 

 

 


初めての小樽、運河と建築めぐり(1)

2018-11-11 16:36:55 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

 

小樽は運河と建築の町。さあいろいろ見ようと思って小樽の駅に降り立つと、目の前に三角市場の看板が見えます。

ちなみに駅舎は1934年築。登録有形文化財です。背後の山は、小樽の町に平地が少なく、埋め立てによって港湾地帯が作られた町であることを示すものでもあります。このあたりの知識は「ブラタモリ」から・・・。

いきなり寄り道ですが、市場という文字に引かれて階段を上ってみました。

なんとそこにはにぎやかな期待通りの市場がありました。外人観光客も多い。観光施設ですね。ここで海鮮丼の朝食をとり、まち歩きスタート。

港や海の方向に歩いていくと早速、旧安田銀行小樽支店(1930)。世界恐慌の翌年の竣工ですね。簡素なのでトスカナ式オーダーになるのでしょうか、ジャイアントスケールの柱が並びます。小樽市の開設では小樽の建築を「倉庫」「銀行」店舗」「事務所」「邸宅」等に分けて解説しています。まずは銀行建築に遭遇しました。

こういう小さな商店にもいいのが残っています。いかにも昭和初期という構え。様式的な要素とモダンな要素の工夫に満ちた折衷です。構造は木骨鉄網コンクリート造と解説されています。いわゆる木造をラスモルタルで仕上げているかと思いきや、コンクリート(モルタルは砂利がなく、砂とセメントだけ)を使っているそうです。

いよいよ運河に近づくと、小樽運河を象徴する運河群が見えてきます。この倉庫は古いもので明治37年(2004)、これは石造。佐立七次郎作です。佐立は辰野金吾たちと同級、工部大学校1期生です。彼は私の故郷香川県は高松・讃岐藩の武士の出身です。私の曾祖父も藩士で幕末から明治にかけて昌平坂にいたとのことですのでもしかしたらどこかであっているのでは?などと勝手に思っています。

 

こちらは、木骨石造といわれる構造(1904)。先日のブラタモリでもやっていましたね。残念ながら中には入れませんが、同様の構造形式は他にもたくさんあります。北前船「一膳箸」の店印が妻壁上部についています。アーチの入り口と意匠的にあっているかどうか、微妙ですが、そんなことよりダイナミックな造形の力に脱帽です。

そして倉庫群のまち並みの中に密度の高い本格的な建築のテイストを醸し出しているのが日本郵船の小樽支店。堂々たる構えです。

設計は佐立七次郎です。力強い素朴な木骨石造の倉庫群と、本格的な洋式建築が共存しているのが小樽のまち並みの第一の魅力です。

 

運河を歩くと北海製罐の事務所ビルや倉庫群が並ぶ地区へ。この倉庫気になります。横浜の北仲地区の倉庫群を思い出します。コーナーの扱いなど機能的だけではないエレガントさがあります。大正13年(1924)築。

中でも目を引かれたのがこの曲線的なシュート。何かものを降ろしたのでしょうが、実にきまっています。

 

きちんと考え抜いて設計して行こうという意思のようなもの、あるいは大正という時代のエートスのようなものを感じます(そんな気がしてしまいます)。

こういう、立派なファサードをもつ倉庫もあります。バジリカ式の教会のような雰囲気です。十字の替わりに山七の店印があります。木骨石造、明治24年(1881)築。

木骨石造の構造を見たいと思っていたら、市の観光物産プラザが同時期の木骨石造でした。

小屋組みはキングポストトラス。真束(キングポスト)が見えます。

 

中もうまく使われています。

さらに運河に沿って進むと、運河めぐりボートの発着場。

先ほどの安田銀行と同じような小さな銀行。第四十七銀行。驚いたことに木造だそうです。

倉庫、銀行と見てきましたが、商店も見るべきものがたくさんあります。

左は木骨鉄網コンクリート造。1920築。右はおそらく木骨石造。かなり古いと思います。

とりあえず歩きつかれたので小休憩とします。

City walking in Otaru-city of Hokkaido.

高谷時彦

東北公益文科大学大学院 鶴岡市・山形県

設計計画高谷時彦事務所 東京

Tokihiko  Takatani  Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University,  Tsuruoka-City, Yamagata pref.

Tokihiko Takatani Studio Architenture/Urban Design Tokyo

 

 

 

 

 

 

 

 

 


夕張のまちを散策しました

2018-11-10 17:16:12 | 建築まち巡り東北北海道 Tohoku, Hokkaido

JR石勝線の夕張支線(新夕張から夕張)がまもなく廃線になります・・・ということで、かみさんに促され、最後の試乗に出かけました。

ついでに、夕張の町も見たいと思い、ぶらぶらと歩いてみました。といっても夕張の町は広い!いくつかある地区の一つ本町のあたりを歩いただけです。目的地は石炭博物館です。他と同じく本町も谷筋の集落です。カラフルな色彩が意外とうるさくありません。

途中には、予想通り、廃屋が・・・。しかし、実に味があります。腰壁をスクラッチタイルとした医院。昭和のはじめの建物でしょうか。

もう少し時代を降るかも知れませんが、いわゆる看板建築もあります。ただ、本家?(関東大震災後の復興時に建てられた銅版やスレート葺きで外壁を覆い、古典意匠とアールデコなどの混在した『看板建築』)のような凝ったものではありません。しかしこういう建物を見ると、この地区が賑わっていたことが髣髴とされます。

斜面地ですから、こんな迫力ある建築もあります。

こんなスローガンもあります。ただ、まちの再生を「大企業誘致」に託すと言うのはどうでしょうか。こういう思いも否定はできませんが、まずは今あるものを生かしつつ、くらしの基盤をみんなで守っていくという視点も必要だと思います。

途中に市庁舎もありましたが、公会堂(市民ホール?)と庁舎の一部は閉鎖されていました。しかし、丹念に手をかけてつくられ、好感の持てるデザインです。地方都市が「よかった」時代を象徴しています。

まち歩きの最後は、石炭博物館。なかなかよかった・・・・というのは本物?(擬似坑道)の採掘現場を見ることができるからです。今も働いている人がいました(下写真)。お疲れ様です。

私も、採掘の現場に立ち会いました。

坑道を実地で体験できることはめったにありません。

ここにもまだ働いている方が!

時間があれば、町の全体を歩いてみたかったですね。最盛期には11.7万人(1960)、そして現在は8,800人(2016)というまちの盛衰をもう少し見せてもらいたいとおもいました。また次の機会に訪れたいものです。

JR line YUBARI SHISEN is scheduled to be abolished next spring. I vited Yubari city with my wife,  a railroad fan or enthusiast. Yubari city got famous when it went bankrupt several years ago. It is a typical example of Shrinking City. Population decreased from 120,000 in 1960 to 8800 now. 

But it has many things that attract us including the Coal Mine Museum where I enjoyed and experienced the real mining tunnel, exiting!

 

高谷時彦

東北公益文科大学大学院/鶴岡・山形

設計計画高谷時彦事務所/東京

Tokihiko Takatani  Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University. Tsuruoka City. Yamagata Prefecture

Tokihiko Takatani and Associates. Tokyo