二日目は見附島そばの宿を出て、能登半島の北側部分、外浦を目指します。まずは宿のそばにある仮設住宅。これは坂茂さんの設計だと聞きました。2階建てです。規格化されたユニットをうまく組み合わせて、単調さを避けています。
北入りの片廊下タイプを並べています。2階建てになるのは、能登には平地が少ないという事情が影響しているのでしょう。
仮設住宅を見学した後は海岸線を北に向かいます。能登半島の東北の突端にあるのが狼煙(のろし)のまち。
パンフレットによると、珠洲という地名は狼煙を意味する「すすみ」に由来するとか。
半島の最先端、東北の突端部は、日本海を南から北に向かう対馬海流(暖流)と北から降りてくるリマン海流(寒流)の出会う、海流の激しい場所で海の難所だったそうです。同時にここは江戸時代から北前船の行きかう場所でもあり、18世紀には焚火を利用した灯明台がありました。それが明治16年(1883年)、今の形となったのです。
設計は、スコットランド人のリチャードブラウンと書いてある資料もありますが、日本人が設計したという案内も出ています。フランス式の不動フネレル式のレンズは当時のものだそうです。
灯台を後に、海岸に沿って西方向(道は絶景海道と呼ばれています)、大谷漁港の方を目指しました。港に迫る高台には、先ほどの仮設住宅と同じ、坂茂さんによるレストランがあります。正月の地震の後一度復活したのですが、9月の大水害で水も電気も止まり、今はやっていませんでした。
日本海を眺めながら食事のできる、人気スポットだったことでしょう。
この高台から見下ろすと、大谷の集落の一部が見えます。倒壊した建物も見えます。しかし、下に降り、少し東に歩いてみると、高台から見た時には全く気付かなかった、9月の大水害の爪痕をまざまざと見ることになります。
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