まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

三井所先生の講義ー匠の技術を生かすこれからの建築ー

2018-07-29 15:56:31 | 建築・都市・あれこれ  Essay

三井所先生の連続講座の最終回。(職人の)生業の生態系を保全するために何をなすべきかというお話です。

私は、正直なところ東京で設計活動を続けているときには三井所先生のお話のようなことは考えたことがありませんでした。

しかし、山形県鶴岡市の大学院に関係するようになって、伝統的な日本の建築のことを少し考えるようになりました。

鶴岡市の棟梁の皆さんや設計者、市役所が一緒になって取り組んでいる鶴岡住宅も、私に考えさせるきっかけをくれました。

伝統的な日本建築の技で継承すべきものというと何になるのでしょうか。

一つは、三井所先生が取り組んでおられる伝統的な木造建築の匠の技術。

もう一つはその技術によってつくられる、建築空間の特性。よく言われる縁側のような中間領域や、大野さんが言われる建築の表層の特性、槇さんが指摘された億世の存在など・・・。伊藤ていじさんなど多くの方々によって発見された民家の特性など・・・。

もちろん根本にあるのは生活の仕方、生活感、住居観、自然の捉え方等々・・・。

上記の特性は共通性と地域性が相まじりあって現代に生きているはずです。

そういったものたちと、明治百数十年になってようやく、自然に向き合えるようになったのが日本の建築界です。そのことを、三井所先生は教えてくれているのだと思います。

Third Lecture by prof. Mi'isho, architect.

Since Meiji Restoration or Revolusion in 1868 Japanese architects had been devoted to studying European style of architecture.

And after the defeat of world war 2, almost all of them started to design every building in "international style" while Japanese traditional wooden architecture was discarded or forgotten.

Profssor Mi'isho encouraged the audience to revitalize the Japanese tradition and to help artisans and workers operate their business.

  

 

 

高谷時彦  建築/都市デザイン

設計計画高谷時彦事務所、東京/東北公益文科大学大学院、鶴岡

Tokihiko Takatani  Architect/Professor

Tokihiko Takatani and Associates. TOKYO

Graduate School of Tohoku Koeki University. Tsuruoka City, Yamagata Pref. Japan

 

 


シルクロードネットワーク鶴岡ミーティング

2018-07-15 16:02:34 | 建築・都市・あれこれ  Essay

 シルクロードネットワーク鶴岡フォーラム2018が開催され、全国からシルク・絹をテーマにまちづくりに取り組んでいる方々が集まりました。主催は<街・建築・文化再生集団>と<横浜歴史資産調査会>。一日目は鶴岡まちなかキネマや松ケ岡開墾場、丙申堂、釈迦堂、致道博物館の見学。2日目は先端研でのシンポジウム。

 共催の鶴岡市からは皆川市長や山口副市長をはじめ多くの職員が参加されていました。全国から集まった絹遺産を活かした地域づくりを進める人たちと活発な意見交換が行われ、日本遺産の「鶴岡シルクストーリー」や「キビソプロジェクト」も大いに宣伝されたはずです。

 私も一日目は見学会に同行して、まちなかキネマや(たまたま見学コースになった)釈迦堂ティーハウスの説明をしました。まちなかキネマはちょうど「万引き家族」の上映の合間でお客さんの入れ替えで大混雑。木戸社長以下皆様のご厚意に甘えて、シネマの中まで見学することができたのはラッキーでした。

 シンポジウムでは、私もまちなかキネマの説明をしました。備忘のために以下に掲載します。

 

木造絹織物工場を映画館に-産業文化遺産で映画を楽しむまち鶴岡-

東北公益文科大学大学院/設計計画高谷時彦事務所 高谷時彦

 

2002年にシネマ旭が無くなって以来、8年間鶴岡のまちの中には映画館がありませんでした。2010年に古い木造絹織物工場である松文産業鶴岡工場跡地を再生活用したまちなかキネマが誕生し、鶴岡は、産業文化遺産で映画を楽しむことができるまちとなりました。

 

1.松文産業旧鶴岡工場の歴史と計画の経緯

(1)松文産業旧鶴岡工場の移転

松文産業は高級婦人服フォーマルウェアでは最大シェアをもつ合長繊維業界のトップ企業です。明治23年、福井県勝山町で設立された石上機業場を、大正2年に 横浜の生糸商松村文四郎が引き継ぎ、松文機業場としてスタートしています。松村文四郎商店は横浜の海岸通りに店を構えていました。

松文産業鶴岡工場は昭和7年に遊休化していた大泉機業場を買収し、従業員72名、織機64台の絹織物工場として操業を開始しました。他の企業が戦争前後に次々と絹織物から撤退する中で、1970年までは絹織物業を継続していました(屶網末松1969)。

(2)商工会議所による跡地利用構想と開発スキームの提示 

1970年から郊外工場への移行を進めていましたが2006年には2年後に完全移転することが最終決定されました。相談を受けた、商工会議所副会頭(のちに荘内銀行頭取)はまとまった遊休地(3000坪)の発生は中心市街地を構造的に変えていく大きなチャンスだと捉え、「居住と文化・商業・飲食の融合による、新たな都市機能の創造と、山王商店街とのコラボレーションによる」(計画スキームづくりのための打ち合わせメモより、2006.8)中心都市の再生計画案を提示します。

(3)産業文化遺産の活用を通じた地域再生

当時の外観や内部は下写真のような状況でした。かなり痛みが激しい。また建築基準法を普通に読みますと60坪を越える興行場は木造建築ではできませんので、通常は無理と考えます。当然壊すことを前提に私たちは相談を受けました。

しかし一番腐朽が進んでいた棟(B,C棟)がどうしても気になって工場長に操業中のB棟の天井をはがしてもらいました。するとなんとも立派な地元産材による木造トラスが現れたのです(下写真)。ついでにC棟も見せてもらうと、そこには、あとでお話しする2種類のトラス構造があったのです。これは、貴重な産業遺産であると直感しました。

 

私たちは、この古い木造工場を残すことを提案しました。副会頭は歴史文化が鶴岡の中心部再生のカギになるというお考えをお持ちでしたので、熟慮の後、この案にゴーサインを出されたのです。

 

2.木造絹織物棟(B,C棟)を映画館にする-まちなかキネマ計画-

(1)第一期計画としてのB、C棟

2009年5月に県の許可(住居系の用途地域に映画館を建てるための建築基準法に基づく許可)を頂きました。当初は南側の鉄骨工場(多目的ホールなど)も含めた計画でしたが、事業性を鑑みて映画館部分を1期とすることが決定。まちキネ計画は建築的にはB,C棟のコンバージョンということになります。

計画づくりに平行して歴史調査も進めました。創業20周年を記念してまとめられた記録「工場の歩み」(長岡1952)の中に建設年を記入した色塗り図面と工場建設の歴史がまとめられています。それと現場を対照することで、B、C棟については建築年を知ることが出来ます(下図)。 一番古いのが、C棟の東側で昭和7年以前となります。既設部分は小屋組みが対束トラス(クィーンポスト)であり、他の部分とはっきり異なっています。その後昭和8年、9年、10年~11年と増築されています。昭和初期の大不況を脱し、戦争前に一時輸出絹織物産業が好況を迎えますがその時期にあたります(下写真は火災消失棟)。

B,C棟は昭和7年の創業以来戦後1970年前後に絹織物から撤退するまで一貫して織物工場として使用されてきた部分であることが分かりました。戦時中に軍の要請で羽二重を織っていた以外は輸出用高級絹・人絹を織っていました。70年以降は合成繊維の撚糸工程が置かれていました。

(2)構造形式

①基礎及び軸部、壁

②小屋組み

主要部材は杉材が用いられています。梁間方向に6間(B棟は1,880×6スパン、C棟は1,820×6スパン)という長スパンです。対束トラスの部分では、中央部で継ぎ手が施されており、腰掛鎌継に4.5t×120wのフラットバーで挟み込むように補強されています。この継ぎ手部分で13φの棒鋼で吊っています。

これに対し建物の大半を占める真束トラス構造部分では、陸梁(150×240)は一本ものとなっています(図-38、39、40)。 トラスと柱の取り合い部分は陸梁が直接柱の上に乗せられ(折り置き組)重ね臍で軒桁(鼻母屋)と接合されています(右上写真)。

大断面構造をつくる方法としては大正期からすでに鉄骨も多用されています。しかし、この地域では大架構をつくる方法として木造トラスは普通に採用されていたものと思われます。

 ➂屋根・越屋根

昭和27年の「工場の歩み」に添付されたパース(長岡正士 1952)によると越し屋根にはトップライトが描かれていますが、形状、使われ方などは今後調査が必要です。

 以上の調査を踏まえ、創建当時の復原した図面を作成しました(p2下写真)。

 

 4.計画とデザイン

(1)改修の方針-何を継承すべきか-

昭和初期に建設されて以来、使い勝手に応じて、多くの変更が加えられていますが、変わっていないものもあります。それは架構のシステムです。工場としてのいろいろな使い方に耐えうるしなやかな容器としての架構システムこそ松文鶴岡工場の一番重要な継承すべき価値だと思います。このあたりは後藤治先生の御指導もいただきました。

 

(2)計画の考え方

①安全性の確保、合理的な構造補強

②分棟化による防火、避難の独立性の確保

➂地下方向への空間の拡大

 私たちはビジネスの広がりを制約したくないと考え、高さ2.6mから3m程度の十分な画面サイズを確保したいと考えました。梁下の高さ確保のため床を掘り込むこととしています。構造的、施工的には難しいものとなりましたが、地下方向に空間、気積を拡大したことで、日常空間とは少し空間体験の質を変えることができたように思っています。木造架構の利用可能性を拡大したものではないかと考えています(下写真)。

(3)デザイン方針

①内外観の継承:架構システムを活かして工場らしさ再創造すること。芭蕉も歩いた長山小路の落ち着いた雰囲気に溶け込み地域の歴史を私たちに語りかけていた風景を継承すること。

②デザインのテーマ:地域の産業をリードしてきた絹織物(織物、織機、筬、繭)をモチーフとしたデザイン。

➂キネマ:壁の木製格子は絹の機織機をイメージしました。細い格子は織り機にかけられた糸や櫛の筬を表現しています(下写真)。椅子にも絹のイメージが継承されています。一般的なシネコンで用いられるようなプラスティック製の背板ではなく、木の生地を生かし、絹の布地のようにしなやかな曲線を描くようにしました。

またスクリーンの手前には小ステージを設け監督や出演者の舞台挨拶や映画談議など鑑賞者がより多様に映画を楽しむためのイベントを行えるようにしています。

④エントランスホール:上部トップライトからやわらかく光を導きいれダイナミックな小屋組みを照らし出すようにしました。床は固い栗のフローリング、壁は旧工場時代と同様に杉竪羽目貼りとし、木に包まれた親しみやすい雰囲気としています。この広々と明るいアトリウムのような空間の中にミニコンサートや展示などの出来る多目的のコーナーや旧松文産業鶴岡工場のメモリアルコーナーも設置し、「シネコン」とは違う、市民の活動スペースをかねた一味違うホワイエとなっています(下写真)。

⑤外回り:トタン板で覆われていた外観は、防火性能を確保した上で杉の下見板張りに復元し、昭和前期の風景を再現しました。オイルタンクや煙突なども継承すべき工場風景のひとつと考え、壊さずにおいておくこととしました。エントランスに向かう床面のパターンは、かつて生産していた羽二重の織物パターンに対応しています。また、床に用いられている曲線をつなげていくと、大きな繭のかたちになっていることに気づくことと思います。同様に駐車場の料金清算機などの黄色が通常見慣れているものと違い、黄繭の色となっていることに気づく方もいらっしゃることでしょう(下写真)。

 

 

終わりに

ヨーロッパ都市と違い、中心部に行ってもその都市の歴史が建築など目に見える形で実感できないことが日本の地方都市中心部再生がなかなか進まない一因ではないでしょうか。戦災を良い機会として一気に「近代化」を進めた国と、地道に元の姿を再建した国の違いです。

幸い、鶴岡は戦災で一気に中心部の姿が変わることはありませんでした。手がかりはたくさん残っています。地域を牽引してきた絹織物産業を目に見えるかたちで継承していくことが地域アイデンティティの確認に繋がるはずです。映画館となっている部分は準備工場ではなくまさに織物を実際に作っていた場所です。またシルクを通したまちづくりを進め、今なお鶴岡人の誇り(絹織物用力織機の発明者は鶴岡出身の斉藤外市)である絹織物の工場が中心部再生のシンボルとなることの意味は大きいと思います。また、いうまでもありませんが地球環境にやさしいサステイナブルな方法です。

わたしたちは、映画館として魅力があるというだけでなく、地域アイデンティティの形成、ひいては地域の誇りとなる風景と場所を作り出したい、そのような思いでこのプロジェクトに関わってきました。今後は2期計画部分の再生活用にも取り組んでいきたいと考えています。

 

参考資料:

松文産業OBの山口武氏(大正15生まれ)と北風光男氏(昭和11年生まれ)からのヒヤリング。松文産業社長小泉信太郎氏、同鶴岡工場長菅原眞一氏、同総務課長佐藤廣一氏同席。東北公益文科大学公益総合研究所研究員國井美保と筆者でまちキネエントランスホールにて実施(2011年2月15日)。

長岡正士 1952 「工場の歩み」:松文工場の20周年を記念して建築にも造詣が深い氏が手書きでまとめたもの。

屴網末松 1969 「鶴岡工場三十五周年に思う」松文産業社内報15、昭和44年8月10日。

"Silk road Symposeum" was held in Tsuruoka on June 23,24. Many people from all over Japan gathered to discuss the way of regenerating the small cities under the theme of SILK. I adressed the meeting as a speeker and explained how Machinaka Kinema project  or renovation of old silk factory into a downtown movie theator was realized. 

高谷時彦

東北公益文科大学大学院(鶴岡)/設計計画高谷時彦事務所(東京)

Tokihiko Takatani  

Architect/Professor

Graduate School of Tohoku Koeki University, Tsuruoka, Japan

Tokihiko Takatani and Associates, Tokyo, Japan