まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

東北建築賞受賞式で藤沢周平記念館を紹介しました

2011-06-26 17:03:09 | 公共建築 Public architecture

 

藤沢周平記念館を次のような形で紹介しました。

藤沢周平記念館の敷地は彼が愛してやまなかった鶴岡市のシンボル、鶴岡城の本丸にあります。

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施設は、RC、S造の混構造の2階建て、床面積930㎡ほどの小振りなものです。これが1階平面図。2方向を参道、南を文化財である大正建築、東を土塁に囲まれています。1階は展示室を中心に周りを事務室などが囲むというシンプルな構成です。2階は収蔵庫が中心となります。

 

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私たちは4つのテーマを持って設計しました。1つめは外部環境との調和ということです。参道などに対して圧迫感を与えないために、中央部が高く、周辺が低い凸状の立面を持っています。これは北側の参道から見ています。

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これは北西の角から見ています。松を避けるように、屋根を斜めに切り取っています。

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これは西側の脇参道から見ています。外壁には地元の杉材を用いています。

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参道側で松を避けた凹み部分は小さな庭になっています。このように外に対して、あまりあからさまに主張するのではなく、いわば静かな存在感を獲得しようということは、目立つことが大嫌いであった藤沢氏の遺志にもかなうものだと思います。

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次に内部空間を説明します。藤沢周平氏は晩年まで故郷庄内鶴岡の風景や厳しい雪国の風土を愛しつづけました。私は庄内鶴岡の風土をかたちづくる空間の原理や伝統的な工法をぜひこの建物に生かしたいと考えました。     

そこで次の2つのテーマがでてきます。1つは城下町のつくられ方に学ぶというものです。鶴岡のまち割はまち自体の論理というよりも、周辺にある山の存在に対応して、その山に決定権をゆだねるように街路の方向性が決められています。

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この原理を取入れました。内部空間の骨となる廊下やエントランスホールなどは周辺にある歴史的文化的な存在感を獲得しているものに対応して決められています。

 

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もう一つのテーマは鞘堂形式を取入れるということです。この地域では大切なものを入れる蔵を杉材のサヤで覆っています。

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記念館では、藤沢氏の大切な遺品を展示収納する白い蔵をこのようなサヤで覆いました。この方式により年中変わらない温度、湿度の環境が実現できます。

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2つの原理を適用したということを踏まえて内部空間を説明します。エントランスホールから見返しています。内部空間の骨となっている廊下は土塁を向いています。

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エントランスホールは、荘内神社を臨むように位置しています。

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背骨ともいえる廊下ギャラリーです。大正建築大宝館のほうを向いています。
左の壁が蔵の外壁にあたります。漆喰で仕上げています。右側の壁と天井は鞘にあたるもので主に杉材で仕上げています。両者を垂木形状の杉のリブがつないでいます。

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エントランス方向を見返します。右手のどっしりとした蔵を囲む鞘はできるだけ軽やかに表現したいと考えました。光は上方から入ってきます。

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最後のテーマは建物内外で藤沢周平氏と出会う場を自然なかたちで設けるというものです。藤沢周平氏の文学世界と出会うのが展示室です。展示設計は、トータルメディアさんです。展示は色々と変わることがありますが、まさに蔵のようにどっしりとした箱をつくりました。吹き出しのグリルはクリ材です。

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天井は杉材による根太天井のようにしました。無柱空間とするため、梁はアンボンドPC鋼による現場打ちプレストレストコンクリートです。

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サロンです。ここで出会うのは少年の日の藤沢周平氏です。

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小学校の頃、この場所にあった小さな図書館の天井まで並ぶ本棚を見たときの興奮を彼はエッセーに記しています。

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まさにこの場所で少年藤沢周平は本に親しむことを覚えたのです。

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土塁を臨む開口からは、普通に暮らす生活人藤沢周平氏を偲ぶことができます。床に敷かれているのは藤沢邸の瓦です。右側に見える黒竹の一部は庭にあったものです。

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会議室からは藤沢周平氏の小説に多く登場する桜が見えます。ここに、藤沢周平氏が手をかけていた庭をそっくり東京から移設しました。

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また、時代小説家藤沢周平氏を感じてもらうよう連子格子を彷彿させるデザイン表現も随所に試みました。

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外壁を後退させた庭では藤沢氏が眺めていたカクレミノ、南天と出会います。床には藤沢家の塀につかわれていた大谷石を敷きました。
右手がエントランスアプローチですから、記念館を訪れる人はまず生活人としての藤沢周平氏に出会うというわけです。
現在、月に1万人近くの方々が訪れる、ある意味では観光名所になっていますがています。しかしこれからも森の中に静かに在る、このたたずまいを大切にしていきたいと考えています。

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説明を終わります。ご清聴有難うございました。

Tokihiko Takatani 

Architect/Professor

Takatani Tokihiko and Associates, Architecture/Urban Design, Tokyo

Graduate School of Tohoku Koeki university ,Tsuruoka city, Yamagata

 


東北建築賞の授賞式で秋田に行ってきました

2011-06-26 15:05:41 | 建築・都市・あれこれ  Essay

東北建築学会東北支部の東北建築賞作品賞の授賞式で秋田に行ってきました。

     

前日までの豪雨で雄物川はボート乗り場が水没するなど水位が非常に高い状態でした。しかし、何とか大きな被害には至らなかったようです。

    

大震災に続く前日の大雨で、主催された建築学会や直接担当された秋田支部の皆様は本当にご苦労が耐えなかったようです。何とか学会行事も開催でき、その中で東北建築賞授賞式も行われたことは私たちにとっても有難いことです。

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建築学会東北支部の田中先生から表彰状をいただきました。私の隣には笠原建設の佐藤常務がいらっしゃいます。事務所の担当者大高が写真を撮ってくれました。

    

この写真は別会場のパネル展示です。

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建築学会の行事ということだからでしょうか、数日前にお会いしたばかりの大野秀敏さんの学会賞受賞作品も展示されていました。

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秋田に来たならということで、谷口吉生さんの図書館。何年ぶりかで訪れました。

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中には石川達三さんの記念室がありました。青春の蹉跌、僕たちの失敗、しゃれた関係など30年以上前に読んでいたころを思い出しました。表に出ると聞いたことのある歌声がします。

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東海林太郎さんの歌声でした。図書館の前で東海林太郎を聞くとは思いませんでした。


JIA前副会長の河野進さんの被災地報告をうかがいました

2011-06-24 21:35:48 | 建築・都市・あれこれ  Essay

気仙沼を訪れて、私たちも何かお役に立てるアイデアが出せないものかと思っていたところ、TDA(NPO景観支援機構)でJIA(日本建築家協会)前副会長の河野進さんのお話を伺う会があるとの知らせをいただき、顔を出しました。河野さんは学科だけでなく、大学時代のクラブ活動の先輩でもあります。

        

河野さんはJIA活動の一環としていち早く被災地を視察しています。

女川や大槌、石巻を含む多くの被災地を訪れ、建築構造別に破壊の原因究明に役立つよう調査をしています。

      

RC造でも完全に天地が逆転しているものがあることには驚きました。津波の高さ、速度、くり返しの衝撃、建物の浮力(理論的には比重の大きい液体である汚泥の方が更に浮力は増すという説明も聞きました)等を考えると現に起こっていることに納得せざるを得ません。

      

河野さんからは、復興に向けての斬新なアイデアもうかがいました。

     

そのアイデアを私が勝手に披瀝するわけにもいきませんが、巨大な堤防をつくるとか、丘の上への全面移転とかの画一的な発想を越えた、津波への防御と美しい町作りを両立させる都市デザインマインドに満ちたアイデアです。

      

       

復興のためにはみんなで共有できるイメージ豊かで柔軟性に富むアイデアが求められます。

復旧から復興に向かう今こそ建築・都市デザインの専門家としての役割を果たすことが期待されています。


気仙沼を歩いてみて(続き)

2011-06-22 16:59:08 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

気仙沼を歩いた続きです。

以前宿泊したことのある(といってもあやふやな記憶ですが)ホテルが湾を挟んで対岸に見えます。それを目印に歩いていきました。

このあたりが湾の一番奥に当たります。左手に猪狩神社、右手に丘の上のホテル、大島方面が見えていると思います。

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市場の方をめざして進みます。堅牢なはずの銀行も大破しています。

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小さな空き地に大漁旗が・・・・・・。復興を願っての広場となっているのでしょうか。

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漁船が流れてきています。

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火災があったことも思い起こされます。

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石山修武さんの設計だったと思います。大漁旗などを掲げるモニュメントです。陸地の間が運河のようになっていますが、この部分はRCのPC版が流されてしまっています。

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魚市場の一部は使えるj状態ではありません。

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町名で言うと弁天町、南気仙沼駅の近くです。このあたりはホテルや水産加工業、お店などでにぎわっていたはずです。ほとんど何も残っていません。

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たまに、蔵が残っています。日本の町は、表に町家・表店があり裏に蔵があるという構成でできていることが多いといえます。火事の多い市街地では大事なものは蔵に入れておくという習慣があったわけです。火事ではありませんが、津波に対しても蔵(だけ)が残っている風景を見ると、普段目にしている「表」というのが実は仮の姿で、本当の町や文化は「蔵」のある奥の部分で継承されてきているのではないかとも思えます。

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実際に町家建築の系譜を遡ると表の店が、もともとは路上の市の固定化されてきたものという側面が浮かび上がります。すなわち表の店は移り変わりの激しい仮設の市の系譜をひいているということです。表店はその背後に済む人の貸しスペースというわけです。昨年羽黒手向の類例調査で伺った富士吉田のまち割がまさにそうでした。表の店はその背後に住む地主(富士吉田の場合は神官である御師)の奉公人などが住んでいたというのがそもそもの歴史的経緯であると御師の方から伺いました。

      

考えてみると武家屋敷の長屋門も表に面していますが、重要な主君の屋敷は奥に控えています。

      

このあたりのことはきちんと研究しておられる方がいるので私も少し勉強してみたいと思います。移り変わる表に対して、変わりにくいものがその背後にあるというまちの構成を、被災地の「残った蔵」の風景から思い起こしました。

    

帰りは裏道の方から、化粧坂という美しい名の切通しを通って駅に戻りました。列車の出発まで時間があったので駅前の食堂で定食を食べました。家内が「塩辛がおいしかった」と感想を述べると、「いつも仕入れていたところはみんな被災してひとつだけ残ったところなんですよ。おいしいといってもらって有難う」と大変ご丁寧に対応して下さいました。

    

また、地図を見ながらまちを歩いていると何人かの方にどこかお探しですかと声をかけてもらいました。ご親切に有難うございます。皆さんが普通の生活に戻る日が早く来ることを願ってやみません。

    

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被災地気仙沼を訪ねました(その1)

2011-06-21 10:14:20 | 建築まち巡礼東北北海道 Tohoku, Hokkaido

東北大震災は地震、津波、原発、火災の4つの被災が重なっています。今なお多くの方々が普通の暮らしを奪われた状態です。多くの悲しみの中で復旧、復興に向かっておられる方々に深く敬意を表します。

      

先週末一日だけ時間が取れたので、急遽思い立って被災した気仙沼に行ってみました。気仙沼は以前仕事(鉄骨工場での原寸検査、製品検査)で訪れたことがあります。当時、SRC造の複合ビルの設計をする傍ら、海外の研究者と共同論文を書いており、新幹線の一関から気仙沼に向かう大船渡線の中であせった気持ちで、調べ物のために本を読んでいたことを思い出します。

    

今回も同じルートで気仙沼を目指しました。

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列車を降りると腐った魚のにおいが鼻をつきます。駅の観光案内所では、ボランティアや視察・見学者のために被災状況を説明するマップも掲示されています。

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高台にある駅から港に近いまちをめざします。途中の商店街には銅版葺きの外装が所々に見られます。このスタイルは東京にも多いのですが、確かこの地方の職人さんの手になるものだという記述を読んだ記憶があります。

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3階建ての旅館もあります。ここに限らず旅館が多いのは、漁業、水産業関係の方々が多く訪れるということでしょうか。

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しかし丘から商店街をくだり海に近づくにつれて津波の力の強さが徐々に実感されてきます。

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港の近くまで来ると建物の1階は波で壊滅的打撃を受けていることがわかります。この地区は港町らしい進取の気風のある面白い建築が多かったことが推測できます。昭和4年の大火以降に復興と共に建てられたようです。しかし、原型をとどめている建物は殆どありません。

    

登録文化財の武山米店、奥に行くにしたがって狭くなる敷地幅に合わせた平面を持つそうです。

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3階建ての男山本店は1、2層がなくなっています。

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本格的な土蔵建築も波に洗われています。しかし、波に対しての抵抗力はあったようです。倒壊にはいたっていないものが多く見られます。

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本格的かつ丁寧なつくりであることが分かります。

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対岸には、以前宿泊したホテルが見えます。今回の大災害の報道映像の中にも何回か出てきていました。細い入り江状の湾を市街地と丘が取り囲んだまちです。対岸に回ってみます。<続く>

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