まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

能登の今を訪ねる(5)

2024-11-03 18:43:47 | 建築まち巡礼中部 Chubu

再び珠洲のまちなかに戻ってきて、昼食。あわただしい訪問でした。この後は東京に戻ります。

昼食は「かふぇれすとらんきへえどん」。この名前は、隣にあるこちらの建物の所有者から来ているようです。

大変立派な建築です。大庄屋であった櫻井家のお屋敷。浜屋造という建築の形式だそうです。明治20年築ということですから、築140年です。能登記念館として家業でもある製塩や漆掻きの用具などを展示していたのですが、地震の前から閉鎖されていたようです。

切妻、妻入りの上屋の前面に土間の下屋をつけています。

地震で大きな被害を受けたのでしょう。棚も倒れています。壁が少ない建築ですが、倒壊は免れたんですね。

鴨居上部の小壁の成が高い建物は、その部分が地震力に抵抗すると聞きますが、この建物の場合はどうなのでしょうか。中を見たいものです。

 

外から覗くと、展示施設であった痕跡があります。

中に入れないのは残念でした。また「浜屋造り」もどういうものなのか、興味がわきます。

・・・ということで、今回の能登を訪ねる短い旅は終わりました。例えば輪島にしても門前のほうなど全くみていません。また来年、訪れることになりそうです。

復旧、復興が少しずつでも、進んでいくことを遠くから祈るのみです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/ urban design

 

 

 

 

 

 


能登の今を訪ねる(4)

2024-11-03 18:03:00 | 建築まち巡礼中部 Chubu

潮騒レストランのあった高台から降りてきました。大谷地区の地区の集落の一つは大谷川に沿っています。

大谷川です。護岸が大きく破壊しています。ものすごい量の土砂が流れたことが想像できます。

上流方向もRCの護岸がほとんど残っていません。

 

川を少し上ると、大きく崩壊した崖があります。地震で緩んだ傾斜地が、大雨で一気に崩壊したのでしょう。

川沿いの家は、2階建てだったようですが、1階部分が完全に土砂に埋まっています。

大変立派な大きな家屋です。

近づくと、1層分を超える土砂が流れたことが分かります。

今ようやく道路部分の土砂が取り除かれたということなのでしょう。

土砂に埋まってはいませんが、水流あるいは正月の地震などで倒れたと思われる家屋もあります。

どのように、復旧させ、復興の道筋を見いだすのか、私たちには、正直なところ思い描くことができません。

一連の光景には・・・言葉を失います。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/ urban design


能登の今を訪ねる(3)

2024-11-03 16:51:06 | 建築まち巡礼中部 Chubu

二日目は見附島そばの宿を出て、能登半島の北側部分、外浦を目指します。まずは宿のそばにある仮設住宅。これは坂茂さんの設計だと聞きました。2階建てです。規格化されたユニットをうまく組み合わせて、単調さを避けています。

 

北入りの片廊下タイプを並べています。2階建てになるのは、能登には平地が少ないという事情が影響しているのでしょう。

仮設住宅を見学した後は海岸線を北に向かいます。能登半島の東北の突端にあるのが狼煙(のろし)のまち。

パンフレットによると、珠洲という地名は狼煙を意味する「すすみ」に由来するとか。

半島の最先端、東北の突端部は、日本海を南から北に向かう対馬海流(暖流)と北から降りてくるリマン海流(寒流)の出会う、海流の激しい場所で海の難所だったそうです。同時にここは江戸時代から北前船の行きかう場所でもあり、18世紀には焚火を利用した灯明台がありました。それが明治16年(1883年)、今の形となったのです。

設計は、スコットランド人のリチャードブラウンと書いてある資料もありますが、日本人が設計したという案内も出ています。フランス式の不動フネレル式のレンズは当時のものだそうです。

灯台を後に、海岸に沿って西方向(道は絶景海道と呼ばれています)、大谷漁港の方を目指しました。港に迫る高台には、先ほどの仮設住宅と同じ、坂茂さんによるレストランがあります。正月の地震の後一度復活したのですが、9月の大水害で水も電気も止まり、今はやっていませんでした。

日本海を眺めながら食事のできる、人気スポットだったことでしょう。

この高台から見下ろすと、大谷の集落の一部が見えます。倒壊した建物も見えます。しかし、下に降り、少し東に歩いてみると、高台から見た時には全く気付かなかった、9月の大水害の爪痕をまざまざと見ることになります。

 

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/ urban design

 


能登の今を訪ねる(2)

2024-10-31 12:29:40 | 建築まち巡礼中部 Chubu

宿泊は、珠洲の観光スポット見附島のすぐ近く。見附島も海側が大きく崩落してしまいました。

地盤レベルが大きく変わってしまっています。

海との関係を見ても、おそらく土地の全体が上がっているように思われます。テトラポットなどもすべて水面上に出ています。

そして、周りの集落も、地震と津波で大被害を受けています。道路は海岸線と平行なので、道路に並ぶ家々は海岸線と直交するように建っています。おそらく津波が通り抜けたのだと思います。

倒壊した家もたくさんあります。

道路の中央部にはマンホールが飛び出しています。

まったく復旧は手付かずというように見えます。私たちは、水道も復旧した宿に泊まることができましたが、住民の皆さんにとっては、正月から困難な状況が絶えることなく続いているのです。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture/urban design


能登の今を訪ねる(1)

2024-10-30 19:22:01 | 建築まち巡礼中部 Chubu

かみさんの ● ● 歳の誕生日は、今の能登を見たいという本人の希望に沿ったものになりました。

七尾線輪島駅を起点に能登の旅が始まります。

とはいえ、七尾線、今は穴水が終点。2001年に廃線になりました。

駅から朝市通りのある海辺の方を目指します。早速飛び込んでくるのが、倒壊した住宅です。右側の建物の1階が崩壊し、2階が地面に近いところにあります。元あった位置は、屋根の切妻の形状が3階建て建物の壁にきれいに残っています。まだまだ、解体作業も進んでいないようです。

町を歩くと、3階建ても目立ちます。比較的新しい建物だと思いますが、大きな被害を受けていない場所もあります。1層目の下屋の軒がそろい、基本的には切り妻、妻入りの町家(風)建築の並ぶ、落ち着いた街並みだったことが分かります。

こんな理容室もあります。どんな髪型にしてくれるのでしょうか。楽しそうです。

平面的には、間口が狭く奥行きの深い町家の形状で、3階建ての建物もあります。坪庭もあります。なかなか見事です。とは言え手前は空き地になっています。

鉄骨で梁を補強している家屋も倒壊しています。1層目がせん断力で倒壊したのでしょう。

海をめざして少し歩くと、テレビで何度も見た、五島屋ビル。7階建ての地上部は、元の姿をとどめています。

反対側から見ても、地上部は大きな構造的損傷がないことが分かります。

報道で伝えられているように、杭と基礎構造であるフーチングが分離したのが転倒の要因でしょう。下写真で見るように1階柱脚とフーチングも離れているようです。地中梁を見ると、主筋は異形鉄筋ですが、スターラップなどは丸鋼で、被りも極めて小さいことが分かります。

 

朝市の通りは、下記のよう。震災から10ケ月経っているのに、まだまだ復旧の緒についたばかりのようです。

本当に、大変な状況です。言葉を重ねても、どうしようもありません・・・・。

高谷時彦

建築・都市デザイン

Tokihiko TAKATANI

architecture /urban design