まち・ひと・くらし-けんちくの風景-

建築設計を通してまち・ひと・くらしを考えます。また目に映るまち・人・くらしの風景から建築のあるべき姿を考えています。

ジェインジェイコブスの遺作

2008-11-30 23:53:05 | 建築・都市・あれこれ  Essay

明朝、庄内行きの飛行機で読む本を探していたらジェインジェイコブスの最後の著作が出てきました。

2006年になくなった彼女が2004年に書いた『壊れゆくアメリカ』(Dark Age Ahead)です。日本では今年の5月に翻訳が出ました。

彼女の都市に対する姿勢は『アメリカ大都市の死と生』『都市の原理』などから一貫しています。しかしこの本を読んでみると今日のサブプライムローンに端を発する経済危機をみごとに予言していることにまずは驚かされます。

彼女は1984年に住居費と収入とのギャップについて論文で警告しています。またこの本でも「アメリカでは住宅業界に圧倒的に資本が集中して」おり「確実に住宅バブルははじける」と断言しています。

しかし、彼女が1984年に警告したときにはエコノミストから「購入した住宅資産の上昇を彼女が評価していない」ことを過ちとして反論されたそうです。

なかなか人は先のことが読めないものです。昨年の秋には住宅ローンの破綻(mortgage crisis)という言葉が話題に上っていましたが、正直ここまでのものになるとは思いませんでした。

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 

然し残念ながら彼女の予言どおりになってしまったというわけです。

それにしても一貫した主張の背後にある信念、そしてその信念に裏付けられた先見性には感服するしかありません。

 


縮小の時代-地方都市中心部の姿

2008-11-30 19:07:49 | 建築・都市・あれこれ  Essay

いまだ郊外化が進む中で人口減少の時代を迎える地方都市の中心部の姿をどのように思い浮かべればよいのか。空き地が増える今こそ緑と宅地の共存する庭園都市的な中心市街地像、都市生活像を描こうという議論は多い。この場合、宅地として使われない部分は計画者に都合のよい「緑地」という範疇で整理される。

 

 

 

しかし、私たち(とくに建築・都市計画の側から都市を考える人間)はこの「緑地」をもう少し、実態的に考えてみる必要がある。編著者の大野秀敏先生が送ってくれた『シュリンキング・ニッポン』1)という本の中に2つの面白い論考がある。

 

 

一つは石川初氏の「郊外の原風景」。縮小都市において私たちは都合よく「緑地」をイメージする。すなわちそこには自立した生態系があり、放っておけば私たちが散歩したり眺めたりするのに好ましい「動的平衡状態」にある「緑地」ができると思ってしまう。

 

 

しかしそのような「緑地」を作るのには多くの時間と周到な維持管理が必要になる。一般的には500円/㎡の費用がかかるという。

 

 

都市が縮小した後を緑地にしようという議論はよく聞くが、実際に緑地の側から考えてみると話しはそう簡単ではなさそうである。石川氏は「公園」的な緑地ではなく、ガーデンとして個別に管理される共有地の姿を示唆する。また縮小の時代にあっては都市デザインの対象がプロセスと時間になり、これはまさにガーデニングのスキルであることを指摘している。

 

 

もう一つはランドスケープアーキテクト三谷氏の「『庭』からの発想:緑の量から質へ」。

 

 

著者は近代都市計画が大規模で量としての「緑地」に注目するのに対し、個人という一人称に対応する「庭」のあり方に新しい可能性を見ている。「庭」の概念は近代においては私的な領域に閉じ込められているが、ルネサンス、バロックの庭園も都市との不可分の関係のもとにつくられていたことを指摘する。また、町家の坪庭など小さな庭も、建築形式と結びついた都市の構成要素として都市形成の文法となっていたことを思い出さねばならないという。

 

 

個人のレベルでの身近な自然環境との付き合い方、すなわち文化的な態度(著者の言葉で「庭の発想を持つ都市文化」)が成熟していることが将来多く生まれる「緑地」が生きたものになるかどうかを決めるという。

 

 

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これからの地方小都市の中心部では必然的にアキのスペースが多く生まれる。

 

 

コンパクトシティというが郊外に散逸した人口を再び中心に今より密度を上げたかたちで呼び込むことは難しいだろう。ヨーロッパ型のコンパクト(密実で実質のある)な市街地は地方小都市では難しい。ヨーロッパ都市と違い中心に高密度に人が集まっていたのは、人口が急激に増えた近代のことである。地方都市の多くが城下町の歴史を持っているが、江戸時代の町人地にしても街道町型の人口密集はあったものの、城下のほとんどは寺社地や武家地であり、低密度市街地であったことと思われる。

 

 

また近代になり、武家地の宅地化が進むが住居形式としてはところどころに近年開発された高層マンションはあるもののその周りは戸建て住宅地というのが現状であろう。この点でも集合住宅を前提とするヨーロッパ大陸型のコンパクトシティは少なくともフィジカルな都市像としては参考にならない。むしろ拡散しながらも車で移動するのには大変便利なアメリカ型のまちのようになる過渡期にあるようにも思われる。

 

 

ちょっと他人事のように描いてしまった。然し、当面のまちの姿ははっきりしている。若者が去り、老人が残されたまちの中に空家、空き地が増えていく。その空家、空き地をどのように利用再編し、残りの宅地スペースと良好な関係を作り出していくのか。庭/建築、庭/戸建て住宅の隙間、庭/緑地の関係、そして建築から庭、外部空間、都市空間とつながる空間構成を、その維持管理のシステムと共に考え、人々が共有できるイメージを提示することが建築・都市に関わるものに問われている。

 

 

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以上にあげた他にも『シュリンキング・ニッポン』のなかには公園や水際の利用の意味など、多くを考えさせられる論考が多い。私たちの研究室(東北公益文科大学大学院)の院生が取り組んでいる内川発見プロジェクト2)なども、縮小都市の「利用」の提案として長期的な展望の中で位置づけることもできよう。

 

 

1)大野秀敏編著 『シュリンキング・ニッポン 縮小する都市の未来戦略』鹿島出版会2008 

 

 

 

2)鶴岡市の中心部を流れる内川を人々が中心部での生活を楽しむ場として再生していこうというイベントとその効果についての研究。川および河畔の外部空間を中心にした内川再発見プロジェクトⅠに引き続き、川沿いにある歴史的建築(かつての芝居小屋建築の可能性もあるある)を市民と共に利用する内川再発見プロジェクトⅡを2008年に実施。

 

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani

 


ミレニアムパーク

2008-11-24 21:17:55 | 海外巡礼 Asia America

シカゴ建築を一望するならまちの東側を南北に走るミシガンアヴェニューに沿って歩くとよいようです。さらにその東側にはとても楽しいミレニアムパークがあります。

印象に残ったシーンを紹介します。

まずはF.ゲーリーの野外劇場。ステンレス製のリボンが踊るのは彼らしい造形だと思いますが、芝生席(4,000の固定席以外に7,000の芝生席)の上空にはステンレスのぶどう棚(Trellis)が飛び交っています。実はこれが野外劇場の音響システムなのです。

ゲーリーの作品はモニュメント的なものしか見たことがありませんでしたが、この「劇場」はファンタスティックです。巨大なのに妙に親しみを感じさせる、空間の存在を感じます。

なおこの野外劇場はJay Pritzker Pavilionといいます。あのプリッツカー賞の創設者、シカゴの実業家にちなむものです。

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雲の門(Cloud Gate)という作品です。Anish Kapoorという英国人の作品です。高さは10mほど、長さも20m弱、ゲートとなっている人の入り込めるスペースも高さ3.6mもあります。

この巨大さがまずすごい。そしてその巨大さの中に入り込めること、さらにそこに入り込むと自分や周囲の人、そして誇るべきシカゴ建築を映しこんだ親密なスケール感があるということにおどろされます。

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これまた印象的です。クラウンファウンテン(Crown Fountain)といい、Jaume Plensaの作品。両端にある高さ15mガラスブロックの塔には人の顔が映し出されます。これはシカゴ市民の顔です。これだけでも非常に不思議な感じがするのに、その口から泉が噴出してきます。普通だと彫刻の動物の口から出てくる水がシカゴ市民の口から湧き出てくるというのは素敵なアイデアです。

右の写真はこの公園の東(ミシガン湖側)にあるschool of the art institute of chicagoで、現在レンゾピアノの手で増築中。

 

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高谷時彦記 Tokihiko Takatani


2つのアトリウム

2008-11-24 01:17:29 | 海外巡礼 Asia America

シカゴで見た2つのアトリウムを紹介します。

 

一つ目は、サンタフェセンター(1904、 D.バーナム)のもの。私たちはこの建物の1階にあるバーガーショップ(?)で昼食をとりました。

 

 

 

 

 

昔の丸ビルのように中心に光庭(light well)をもつビルディグスタイルは1880年代半ばからD.バーナムが普通に用いていたスタイルのようです。外壁はは白いテラコッタですが、最上部には丸窓が並ぶ特徴的な外観をもっています。

 

ここにD.バーナムの事務所もあり、20世紀前半のアメリカシティビューティフル運動の原点となる1909シカゴ計画はここで作られたとのことです。

 

 

 

現在は光庭の底に当たる2層分がガラスの天窓を持つアトリウムに改装されています。このアトリウムに面した部分にシカゴ建築財団(The Chicago Architecture Foundation)のオフィスとギャラリーがあります。CAFNPOであり、シカゴ建築のすばらしい伝統を市民に伝えることを目標に建築ツアーや様々なエクスビションを行っています。市民や多くの企業などによって支えられている組織のようです。

 

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二つ目はすばらしいドームです。

これはC.A.クーリッジ設計のシカゴカルチュラルセンター(もとの図書館)のPreston Bradley Hallです。

 

ガラスのドームと壁のモザイクはルイス.C.ティファニーのデザインです。

        

 

 

 

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藤沢周平記念館からの眺め

2008-11-23 22:54:18 | 公共建築 Public architecture

11月に入り、藤沢周平記念館は棟の部分までたちあがりました。木造建築の場合、棟というのは屋根の一番高い稜線の部分にある横架材のことです。棟上、あるいは上棟式というのはというのはこの材(棟)が架けられ、建物の骨組みが完成したことを祝う式です。

藤沢記念館のように鉄骨と鉄筋コンクリートが組み合わされた構造(混構造)の場合、とくにこれが棟だというものはありませんが、それでも屋根の最頂部まで鉄骨が組みあがることが一つの区切り、けじめになることに代わりはありません。

これからは外装を進めると同時に、内部の仕上げ工事にも入っていくことになり、私たちとしては、さらに神経を集中して細部にわたる詰めを行って行く時期です。

下の写真は収蔵庫の大屋根から月山と金峰山の方向を眺めたものです。つい先ほどまで見えていた月山は既に全貌を見せてくれません。「月山は月山と呼ばれるゆえんを知ろうとする者には、その本然の姿を見せず、本然の姿を見ようとする者には月山と呼ばれるゆえんを語ろうとしないのです」。これは森敦の『月山』からの引用です。東山明子先生の解説(『庄内の風土・人と文学』)に影響されたせいか、見えても見えなくても、その存在そのものが生と死が分かち難く共存する庄内の風土を象徴しているかのように思われます。

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