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2021年10月20日、湊町酒田のシンボル日和山に食をメインとした酒田市交流観光拠点
「日和山小幡楼」がオープンしました。
下の写真はオープン当日(あいにくの暴風雨の天気でしたが)、待ちかねた多くのお客
さんが詰めかけた様子です。この建物は、老舗
料亭割烹小幡の建物を、その歴史文化的価値を生かしながら、食をテーマのにぎわい施設
として酒田市が改修したものです。運営は公募で選ばれた㈱平田牧場が担ってくれています。
私たちは、調査から設計、監理までを一貫しで担当させていただきました(除:厨房内部
と陳列用家具)。以下、この建築の歴史的価値なども交えて、紹介します。
湊町酒田と旧割烹小幡
旧割烹小幡は1876年創業の湊町酒田を代表する老舗料亭であり、湊が一望できる高台、景勝の
地に建つゆえに瞰海楼とも呼ばれた。明治建築である和館、大正期に増築された洋館および
土蔵の3 棟から構成される。
(上写真:左から対象建築の洋館、明治建築の和館、土蔵)
1998年に廃業後、米国アカデミー賞受賞映画「おくりびと」のロケ地となり脚光を浴びたが、
再開されることはなく内外ともに腐朽が進行し、取り壊しも真剣に検討される状態になっていた。
(上写真左:改修前の北側外観、上写真右:映画おくりびとの一シーン(看板を撮影したもの))
(上写真:改修前の和館南側外観、倒壊寸前であった)
(上写真左:改修前の和館1階内部現況、上写真右:改修前の和館2階内部現況)
(上写真左:改修前の洋館地階、写真右改修前の洋館1階)
2017年酒田市から依頼を受けた私たちは、文献や現況調査から歴史的建築としての価値を明ら
かにするとともに、和館については増改築を繰り返してきた外周部の下屋や中二階を撤去し、
原型としての町家の構造を浮かび上がらせること、また洋館については大正建築の清新な外観
を復活させることを提案した。その後酒田市により、飲食を中心とする交流観光拠点として再
生する方向性が定まり、歴史的価値を生かしながら、地域のにぎわい施設として再生するプロ
ジェクトがスタートした。
(上写真:瞰海楼と呼ばれた時代の古写真、和館は欄干のめぐるこの状態を基本イメージとする)
(上写真:大正の創建時の雰囲気を伝える洋館写真(昭和初期)洋館外観はこの姿を出発点に考える)
酒田町家を原型とする料亭建築をベーカリーカフェと、市民利用の大座敷へ
今回、和館から明治12年の棟札が見つかり、酒田においては希少な酒田大地震(明治27年)
以前の建築であることが判明した。
(上写真左:明治13年に描かれた詩画、写真右:明治12年の棟札)
現在はL字型平面の2 階建てであるが、もともとは平屋の2列型酒田町家を原型として、
平面的にもまた上階へも増築を重ねることで料亭へ進化していったと推測される。また
増築部分では小屋組みの梁間方向は真束トラス、直交方向は平行桁トラスという珍しい
構造形式を見ることができる。
(上図:日本建築学会が酒田大地震(明治27年)直後の調査で描いた港座の小屋組み。
酒田の名工佐藤泰太郎の施工。小幡の北棟は上図と全く同じ構造形式がとられている)
増改築が激しく、内外ともに、町家の雰囲気は失われていたが、中2階の小部屋と水場に
使われていた下屋を撤去するとともに、通り土間やみせ土間空間をつくりだすことで、原型
であった酒田町家の空間構成を創造的に再現した。町家の魅力を持ったカフェスペースが
生まれたと思う。
(上写真:和館のみせ土間。酒田町家のみせ土間を創造的に再生した)
(上写真:客席スペース。厨房を白いボックスとして町家の中に挿入した)
(上写真:左手には通り土間を復元、右手に2階への大階段が見える)
(上写真:南側、湊を望む客席)
また2階は200ミリ近い不同沈下を補正しつつ、欄干が外周をめぐる瞰海楼の雰囲気を復元
した。天井は現しとすることで珍しい小屋組みや増築の跡を確認することができる。増築部
が撤去されたことで外観においても瞰海楼の面影が復活している。
(上写真:2階座敷。欄干が巡る往時の姿を再生)
(上写真:南側の外観。往時の姿に近づけるようにした)
洋館は湊町酒田の進取の気風の表現
洋館は、大正11(1922)年にコック2人が東京築地精養軒出身という本格的なフレンチレ
ストランとして開業した。無筋コンクリート造の地階レストランの上に木造2階建てが乗っ
ている。外観は基壇、ボディと別れた古典的な構成の上に、後のモダニズムにつながる幾何
学的なデザインがなされている。内部には、手の込んだ漆喰レリーフなどが施され、水回り
には当時の貴重な輸出品である鮮やかな色彩の和製マジョリカタイルが使われていた。大正
を生きた女将小幡直の進取の気風がそこかしこに感じられる建築である。
赤錆びたトタン板がはがれ落ちている既存外観は、映画「おくりびと」の印象もあり捨てが
たい面もあったが、私はにぎわい施設としての再生には女将小幡直の進取の気風を踏襲する
ことがふさわしいと考え、創建時(大正期)の外観をベースに再構成した。
(上写真:創建時のイメージをもとに作られた外観)
地階内部は耐震補強のため外周部にRC壁を新設するのに合わせ、天井にあたる1階の床
を撤去し、2 層吹き抜けで、上方から明るい光に満ちた飲食スペースを創った。水回り
に使われていた和製マジョリカタイルは壁付照明器具の一部に生かされている。
(上写真:1階の床を抜き、明るい光のみちる飲食スペースを作り出した)
(上写真:水回りの和製マジョリカタイルを使ってブラケット照明をデザインした)
(上写真:階段室はできるだけそのままの姿を保全した。照明や手すりは新規に設置している)
(上写真:洋館2階は和洋の折衷する不思議な雰囲気をできるだけ踏襲した)
時を止めず、時とともに歩むリノベーション
歴史的建築を使い続けるためには、建築も常に進化しなくてはならない。史跡など
文化財の場合には、歴史的時点への復元が欠かせないこともあるが、私たちの取り組
むリノベーションは過去の一時期の姿に戻すこと自体が目的ではない。先人たちがつ
くってきた過去の歴史に最大限の敬意を払い、きちんとした記録を残し、時には往時
の姿や技法を最大限参照するが、基本的には現代の技術や材料を用いて、創造的に手
を加えていく行為だと考える。使い続けていくために、今の時代の痕跡を丁寧に付け
加え、次世代に渡していく、その一過程が今回のリノベーションであろう。
今回の工事では、大幅な沈下補正とともに、大規模な耐震補強を行った。
(上図:地震時の解析)
和館においては鉄骨柱の設置や木造梁のスチール補強などを行ったが、町家の構成に
できるだけ溶け込むようにするとともに、付加された要素そのものは隠さず露出して
いる。また洋館では地階内部にRC壁を入れ子状に設置したが、その姿をそのまま生か
した2層構成の内部空間をつくっている。耐震補強も、先人から受け継いだ歴史的価
値を尊重しつつ、次世代に伝えるために必要な手を加えていく一過程の一つであると
考えている。
(上写真:模型による改修部分の検討)
工事は上記模型のピンク色の部分(1階、中2階、2階)を部分解体しながら、同時に新た
な下屋部分(上記断面図の緑色の部分)の構築を行った。それだけでも難工事であったが、
敷地は安部公房著「砂の女」の舞台となった庄内砂丘の上にあり、地下は数十メートルの砂
層である。和館は礎石立ちの柱を保持したままでその下に耐圧版や、補強鉄骨の基礎梁を打
設したが、少し掘っただけで、さらさらと砂が流れていく中での工事であった。洋館では上
部2層の木構造を保持しながら、地階の外周と床にRC構造体を入れ子状に挿入する、これも
難工事であった。
(上写真:和館では礎石立ちを保持しながら様々な構造補強などを行った)
(上写真:洋館では、無筋コンクリートの壁と上部の木構造を保全しながらの工事となった)
(上写真:北側の全景)